extra edition#12 冷たいカタルシス


「えー……なに、俺が泣かしたみたいになってんじゃん……。なんでよー。俺、絶対今のは悪くないと思うんだけど」
「……悪くない、ごめん。私がたぶん、台無しにしてる。ごめん」
「だから俺、無理はしてないって」
「うん」
「何かのきっかけで、わ~って実感して、そのときは転げまわって泣き喚くかもしんないし」
「うん」
 ナギの返事から、リュカは彼女の数ミリ単位の勘違いを正せていないことを理解した。それは、この場においては寧ろ助かることなのだと割り切ることにする。ナギも周囲も、リュカが今「転げまわって泣き喚く」ような感情を押し殺してここにいると思っている。それが普通で、そう見えているのなら面倒がなくていい。
「それより、隊長だいじょうぶ?」
「……分からない。今日まだ、会えてない」
 たった一人の兄を(どうやら)失った(らしい)自分よりも、件の人物のほうがよほど心配だ。唯一無二の対等な理解者であり親友を、長きに渡って共に死線を潜り抜けてきた仲間を、サクヤは根こそぎ失った状態にある。
 サクヤは隊長権限と、それとは別に独自のツテを使って情報収集に奔走しているようだ。現地への五番隊の派遣が決定した時点では、即座に八番隊の出撃申請もしている。そしてそれは昨日の段階で棄却された。リュカが知っているのはそれくらいで、サクヤが今どこでどう孤軍奮闘しているのかは分からない。
「んー……じゃあさ。これ食ったら、とりあえず隊長と合流しようぜ? みんな集まってさ、そしたらもうちょっと視野広げてなんかいい感じに、思いつくかもしんないっしょ」
「そうだね。名案」
「だろ?」
 カレーはいつも通り煮詰まって美味しかった。辛さもいつも通り、食後のコーヒーの薄さもいつも通り。それなのに、周囲を取り巻く空気だけが確実にいつもと違って不味い。事実を敏感に察知して重力を増した空気だ。そういうふうに誂えられた雰囲気でさえ、リュカは染まる気になれない。自分はどこまで鈍感なんだろうと思う。そして敏感ぶっている形だけの関係者たちの視線に、早くも嫌気がさしていた。


 主塔にあるグラント少佐の執務室。そこでサクヤは90度に腰を折って床を見つめていた。この体勢のまま数十秒が立っている。食いしばった奥歯が耳の奥でぎちぎちと嫌な音をたてていた。
「決定は昨日と同じだ。八番隊は戦闘準備を整え本部にて待機。隊員個人の例外的措置はない。我々は事態を一刻も早く収拾するため最良の人選を行っている。情で判断しているわけではない」
「重々承知しています。だからこそ、そこに恩情をいただきたく……こうして参上しているのです」
 磨き上げられた床が、サクヤの苦悶の表情を映し出していた。入隊して以降、謝罪以外で誠心誠意、ここまで頭を下げるのは初めてかもしれない。しかし今は、そんな事実は些末事だった。この床に頭をこすりつけて嘆願が通るなら、そうしてもいい。
 八番隊は現存の最大戦力として、起こり得る最悪の事態に対処できるよう本部待機を命じられている。二番隊の救援──いや、生存者の捜索に隊として赴く許可は下りなかった。ならばせめて、二番隊隊長であるリュートの実弟、リュカだけでも捜索隊への随行を許可してもらえないかと頭を下げにきたのだ。
 耳に届くのは、グラント少佐の深い溜息とそれを合図に開かれた入口扉の無情な音。
「やめたまえ、スタンフォード中尉。グングニル隊員として前線に立つ以上、死は縁遠いものではない。どんなに有能な者も、地位のある者も、分け隔てなく『不意に』そのときは来る。
……失う覚悟も無く、君は今までニーベルングを狩ってきたのか?」
 間を置かず、答えるべき局面だった。分かっていてそれが叶わない。不協和音を立てていた奥歯を何とか緩め、絞り出すように短い否定を口にするのが精一杯だった。
「では、バークレイ中尉の弟は違うのか? 君の行為は、リュート・バークレイ中尉、リュカ・バークレイ曹長、両名への侮辱でしかない。特赦はない。分かったら退出しろ」
 ここで粘っても無意味な時間を消費するだけだということは分かる。それでもすぐに切り替えて踵を返す気にはなれなかった。噛みしめた奥歯からじわりと鉄の味が広がる。
「……失礼します」
 入口の前に立つ補佐官に一瞥くれて、サクヤは早足で執務室を後にした。出るや否や、扉は内側から即座に閉められた。厄介者を閉めだすにしても、あまりにも露骨だ。それが引き金になったか、珍しく脳を介さず握り拳を振り上げていた。
「わあああああ! サクヤ!」
「ストップストップ! それはまずいって!」
 グングニル塔内ではあまり聞かない類の、腑抜けた悲鳴がこだました。その完璧に場違いな「いつもどおり」が、即効性の鎮静剤みたくはたらいて、サクヤの溜飲を下げる。驚きが、怒りや苛立ちを塗り替えた。
「リュカ……に、ナギ。どうしてここに」
「セーーフっ。ギリギリセーーフっ。隊長、壁バァンはまずいって! せめてもうちょっと行った先でやるとか、工夫しないとさあ」
「ああ、別に……そういうつもりは」
 なかったとは言い切れず、口ごもった。このまま後先考えず、グラント少佐の執務室を殴りつけたところで、事態は悪化も改善もきっとしない。ただ自分が謹慎だとか減俸だとかの、世にもどうでもいい処分をくらうだけの話だ。
「ここでサクヤ隊長までいなくなっちゃったら、俺ら本当に路頭に迷っちゃうんだからさ」
 サクヤはまた、少しの驚愕と共に冷静さを取り戻した。リュカは「どうしてここに」の問いには答えない(おそらくはじめから聞いていない)が、サクヤの胸中を読んだかのように先手を打ってきた。
「僕がいなくなっても、まわる隊にはしてあるつもりだよ」
「サクヤ」
 間髪入れず、ナギの諫めが入る。
「そういうこと言うのやめて。今は特に、だけど……今じゃなくても」
「……そうだね、悪かった。さすがに少し、疲れているのかもしれない」
 珍しく憔悴の色を隠さないサクヤに、ナギも口ごもってしまった。リュカは天を仰ぐ。二対一は分が悪い。重力を増した空気は、決してリュカの味方にはなってくれない。
「とりあえずさー……戻ろうぜ? どこもかしこも居心地が悪いのなんのって。ちょっとこう、バシっとくつろごう。休憩! 話はそれからってことで」
「それがいい。ナギは、リュカといっしょに先に戻っていてほしい。僕はもう少し……。とにかく、後で合流するよ。何かあったらバルトに指示を仰いで」
 リュカとしては珍しく、サクヤを気遣ったつもりだった。
 それが空振りに終わったことはナギにも分かる。ばつが悪そうに後ろ手で頭をかくリュカを見て、胸がざわついた。自分はさておきサクヤですら今は周囲に構う余裕がないのに、リュカが誰より平常運転であることにさすがに違和感を覚えずいはいられない。
 実感がないと彼は言った。許される間はそうありたいと。けれどそれは、本当に彼を救うものなのだろうか。取り返しのつかない何かにつながってしまうのではないだろうか。
 また不安の色が滲み出たナギに、リュカは苦笑するしか対処のしようがなかった。


 それからサクヤがどう奔走したのか、リュカは詳しくは知らない。結局サクヤやリュカが捜索隊に加わることは無く、現地に赴くことすらも許可されなかった。
 そして第一防衛ライン崩壊の第一報から一週間が経ったところで、グングニル機関は二番隊壊滅の事実と経緯を公に向けて発表し、生存者の捜索を打ち切ることにした。機関関係者のみならず、国中が英雄部隊の死を悼み、喪に服した。グングニル塔へ続く大橋には連日多くの人が訪れ、通行が困難なほどに献花で溢れかえった。新聞各紙は、リュートを筆頭に在りし日の二番隊員の肖像を並べ、その短い生涯を英雄譚として感動的に報じた。