extra edition#12 冷たいカタルシス


 機関による見え透いたプロパガンダは、それでも一定の効力を発揮したといっていい。国土の5パーセントを失うという機関発足以来初めての大失態は、若き英雄たちの壮絶な死という話題で上塗りされることで、影を潜めた。憎悪の矛先は常にニーベルングで良い。そうあることで美しい世界が保たれることを、誰もが無意識のうちに理解していたのである。
 残念ながらリュカにそういった適応力はない。もとより極めて鈍感な男だ。悲しみに酔った世界に、その違和感と異様さに、彼はただただ疑問符を浮かべ日々を過ごしていた。
 骨の一本、遺品のひとつも入っていない空の棺を相手に一応の葬儀を取り仕切る。事務的なやりとりのほとんどは実際のところサクヤとナギが肩代わりしてくれたから、リュカは遺族として神妙な顔つきを作って突っ立っておくというのが主な仕事になった。これが本当に苦痛だった。質の悪い三文芝居をさせられている気分。亡くなった二番隊の他の面々にも遺された家族がいたから、その人たちと肩を寄せ合って悲しみにくれていれば良かったのだろうが、どうしてもそれができない。この期に及んで、この空の棺の前で涙を流せる自信がない。それは他の遺族たちに対して、とてつもない侮辱だと思えたのだ。「気丈に振る舞っている」ように振る舞わなければならなかった。そんな自分への嫌悪感で、図らずとも青い顔で幽霊のように佇むことには成功した。
 葬儀が終わっても異様な日は続く。何の偉業も成し遂げていないのに、記者が毎日鼻息を荒らげてリュカの話を聞きに来る。毎日、何人も、同じようなことを繰り返し聞くために、家族の思い出に土足で踏み込んで、歌劇のシナリオみたく感動的に仕立て上げるために、足しげく通ってくる。まだ冷め切っていない事実が凄まじい早さでフィクションになっていく。日に日に、全てのできごとに現実味がなくなっていった。
 あの時──サクヤが恥も外聞も捨てて、何とかリュカが現場に立ち会えるように必死になってくれていた時、自分はもっと積極的に協力すべきではなかったか。当事者でいるべきではなかったか。そうしていれば、少なくとも少しは「正しく」悲しめたのではないだろうか。柄にもなく後悔などして、リュカは兵舎の自室で寝ころんでいた。
 周囲に何の気配もない。生気があるとは言い難い、自分の気配がかろうじてあるだけ。限りなく無人に近い一人きり。「独り」に、なったのだと改めてまた自分に言い聞かせてみる。理解はどこかの段階ですんなりしていて、それでもやはり実感が伴わないから込み上げてくるような感情は無い。その無感動への罪悪感だけは持っている。
「リュカ」
 唐突に他人の声が降ってきた。暗殺者か何かと思い、鼓動が跳ねたが、そのまま跳び起きなかったのは、視界に映ったのが見知った人物だったからだ。
「隊長……?」
 入口ドアが開け放たれている。堂々と開錠されたのに気づきもしなかったらしい。寝ぼけ眼で神妙そうな顔つきのサクヤをぼんやりと見やる。そういえば、この人も結局一度も泣いてない、ような気がする。
「このまま医務室に行くのと、八番隊執務室に行くのだとどっちがいい。どっちにも僕かアンジェリカは付くと思うけど」
「医務……? いや、別に病気ってわけじゃないよ。ちょっといろいろ……だりぃなぁって思ってただけで……」
 身を起こしながらベッド脇の置時計に目をやると、針は正午をまわっていた。なるほど寝坊で片付けられない時間ではある。不法侵入だとサクヤをからかいたかったが、先ほどの有無を言わさぬ口調から、冗談にすると機嫌を損ねそうだと悟る。
「サクヤ隊長。俺、どっかおかしいのかも」
だから今回ばかりは真面目に、ぶちまけることにしてみた。
「リュートが死んだのに、一回も泣けない。っていうかたぶん、ちゃんと悲しいと思えてない、気がする」
 サクヤはベッド脇に立ったまま、一瞬言葉を失ったようだった。リュートとリュカの兄弟仲が良好だったことは彼も知っている。だからそういう類の告白でないことは分かる。
「手続きや記者の対応に忙殺されていたから……感情が追い付いてないだけだよ」
「違うんだって。そういうんじゃなくて……。父ちゃんと母ちゃん死んだときも、俺こうだったんだよ。他人が死んだみたいに、泣けなくてさ。……世の中には赤の他人が死んでも泣いてくれる心の優しい人がいるってのに、あんまりじゃない?」
 サクヤはただ黙っている。かけるべき言葉を吟味しているのかもしれなかったが、いずれにせよ明快な答えが返ってくることは期待できそうになかった。
「なんてことを、言われたところで隊長も困っちゃうんだけどって話だよね。あー、だから逆に? 俺大丈夫だからさ。落ち込んで立ち直れないとかないから。今日のは、疲れ切って立ち上がれないって感じだしね?」
「そういうのは、鏡で自分の顔色見てから言うといい」
「男前が映るだけっしょ」
 笑ってかわすことにした。それでいい、いつもどおり。元よりサクヤが何とかしてくれると思っていたわけでもない。打ち明ける相手にサクヤを選んだのは、サクヤなら誰よりリュートの死を悼んでくれると思ったからだ。重大な欠陥を抱えた、出来損ないの自分に代わって。
 大げさな伸びをして、たいへん遅ればせながら出勤準備にとりかかろうとするリュカ。
 サクヤは一瞬間だけ考えたが、脇に抱えていたいくつかの封筒のうち、一つをリュカの前に差し出した。それはリュカの表情を止めるには十分な威力を持っていた。暗灰色の、飾り気のない封筒。グングニル隊員なら、それが何かは一目で分かる。
「扱いは、リュカに任せる」
 止まった表情のまま、右手が勝手に受け取っていた。彼がリュカの部屋を訪れたのは、どうやらこれが目的だったらしい。渡されなかったもう一通は、たぶんサクヤ宛てなのだろう。厳重で分厚い遺書用の封筒を、特に意味もなく掲げてみる。故人の遺志がしたためられているはずだ、無造作に開封するのは躊躇われた。
「なんか手元に来るまで間が長かった気がするけど……。葬儀は派手に! とか骨は海に! とか書いてあったら、とんでもなく手遅れなんだけどどうしよう」
 虚ろな記憶で申し訳ないのだが、葬儀はしめやかに行われ、遺骨に至っては欠片も発見されていないから手遅れも何もどうしてやることもできない。
「リュートはたぶん、そういうことは遺さないと思うよ」
「隊長はもう、読んだの?」
「──いや。……これから」
 サクヤも自分宛の厳めしい封筒に視線を落とす。物珍しくはない。自分も、八番隊の皆も、規定に従って書き残しているものだ。それでも今自分が手にしているこれは、全く別次元の代物のように思えてならない。読まれることで意味を持ってしまう。現実になり、過去になり、刻まれてしまうものだ。
 また、サクヤはこの中に記された内容が、そう古いものではないことを知っていた。リュートが遺書を書き直したタイミングで、サクヤに話をしていたからだ。ニーベルングとの交戦中だった。まだサクヤが、名実ともにリュートの相棒として二番隊で活躍していた頃の話だ。


「死ぬかもしれないってはじめて思ったの、いつだった?」
 突如振られた突拍子のない話題に、サクヤは咄嗟には切り返すことができなかった。中途半端に口を半開きにしたまま、一応は何か返そうと思い、あれこれと頭の中をまさぐる。
「二度目の、西部戦線で魔弾を使い果たしたとき……だったかな?」
「ああ、あれ。あれは確かにやばかったな。補給が後一歩遅かったら死んでた」
「? うん、そうだね?」
 共感を得たようだが、結局何の意図があっての質問なのかは良く分からない。リュートは記憶の断片をかき集めて、その時の死闘を脳内再生しているようだった。
「で、それから何回思った?」
「さあ……正確には。4、5回はどこかで思ったと思うけど」