extra edition#12 冷たいカタルシス


「……真の、力?」
「そう。隠された、真の力」
 神妙な顔でリュカが呟く。また何か考え込むように口元を手で覆った。
「何か勘ぐってるなら、濡れ衣だよ。僕は、何も口出しはしていない」
「それは何となくわかる。こういう、何てぇの? ピントのずれたことやって話をややこしくするのはリュートの発想っていうか……。こんな回りくどいことしなくてもさ、直接言えば良かったのに。ありがとうとか、ごめんとか、飯食いながらでも言えたようなことばっか一生懸命書いてあったわ」
 残りかすのような溜息をついて、リュカが立ち上がった。
「はー……なんで今日、雨降んないかなぁー……?」
「今降られると少し困るな」
「俺は今どしゃぶりになってくんないと、顔あげらんないわ」
 悲しくて、寂しい──何の複雑さもない、ありふれた負の感情。リュカがずっと閉じ込めてきた最強の悪の親玉。こいつと相対すると、身動きがとれなくなる。立ち上がれなくなる。周囲からは可哀そうな奴、もしくは面倒くさい奴認定されるだけ。兎にも角にも良いことがひとつもない排除すべき感情のはずだった。
 リュートの遺した言葉は、灯台のように優しく穏やかにリュカの道を照らしてくれた。リュートに導かれながら辿り着いた先、悪の親玉は、同じ分量の愛情で中和されて随分マイルドな味わいになっていた。こいつならまあ、向き合えないこともないと思えるほどには。
 しばらくの間リュカは、隣で響く紙のこすれる音だけを聞いていた。それが極端に大きくなって便箋を封筒へしまっているのだと分かると、そのときだけ視線をサクヤへ向けた。未開封の遺書はもう無いように見える。
「全部読んだの?」
「一応目は通した」
 歯切れの悪い物言いだと思った。サクヤにとってそれは、悲しくて寂しいだけの単純な感情を想起させるものではなかったのだろう。少し強張った横顔は、ここへ来たときと変わらない。
「隊長。俺、ちょっと寄りたいところができたから遅刻してもいい?」
「遅刻ならもうとっくにしてるけど」
「あー……だったわ。じゃあ、えーっと、半休。……いや、もう半休って時間も過ぎてるか?」
「冗談だよ。今日はゆっくり休むといい。実は僕も休みをとってある」
 遺書の束を軽く掲げる。そこにしたためられていたのが頼み事だったのか恨み言だったのか、はたまた愛の告白だったのかはリュカには分からない。いずれにせよ受け止めるための時間がサクヤにも必要だということだけは、分かる。座り込んだまま動く気配のないサクヤを残していっていいものか、それだけが少し気がかりだった。
(──いや、逆じゃね? 一人にしてやるべきだろ、そろそろ) 
 遺書読み大会はそもそもリュカが言い出したことだ。泣くにせよ笑うにせよ、誰かと共有したがりの自分と同じ規格に当てはめること自体が不自然だ。
 座り込んだまま動く気配のないサクヤを残して、リュカは墓地を後にした。できれば少し、雨が降ってくれればいいのにと願って。


 リュカはその足で整備部に向かった。受付で遺書に名前があった技師を呼び出してもらった。幸い「ポートマン」は在籍しており、面会に特別な苦労は必要なかった。リュカにとって少し意外だったのは、こちらに向かってくるのが年若い小柄な娘だったことだ。もちろん、リュカよりもいくらか年下というだけで子どもというわけではない。階級章も付いているし、れっきとしたグングニル隊員である。
「整備の指名ですか? ヴェルゼだと、けっこう割り増し料金かかりますよ?」
 意外なことが立て続けに起こって、リュカは一瞬言葉を失った。相手側から、それもこんなに飄々と口を切られるとは思っていなかったし、まだ出してもいないリュカの魔ガンを言い当てたことにも驚いた。ただ後者のおかげで、ある種の確信も持てた。
「指名っていうか……ちょっと聞きたいことあって。うちの兄貴、わかる? リュート・バークレイ」
 今度はポートマン技師が言葉を失う。小さく頷いただけで、目を伏せてしまった。責め立てるつもりは毛頭ないのだが、普通に考えれば彼女は加害者(共犯者)で、被害者のリュカを目の前にすれば相応の罪悪感は抱くだろう。もしくは「リュート」という名に対する「お悔み」なのかもしれないが。
 リュカにとって今はそのどちらでも特に構わない。話が早そうだ、というのが一番だ。魔ガン“ヴェルゼ”を取り出し、カウンターに置いた。
「兄貴の遺書に、これのことがいろいろ書いてあってさ。それで、まあ一回ポートマンさんとお話しないとなって」
 女技師は完全に項垂れてしまって、リュカには彼女のつむじが見えるばかりだ。責め立てるつもりはない。断じてない。ついでに言うと、女の子を悲しませるような真似も好きではない。しかし、これは次の一手を誤れば、初対面の女の子をかけつけ三十秒で泣かせるという不名誉な新記録を樹立しかねない状態である。俄かに周囲の注目を集めていることにも気づき、妙な緊張を強いられていた。
「少し時間、かかると思うんですけど、元に戻せます。すみません」
 カウンターテーブルを見つめたままではあったが、ポートマン技師は意外にもはっきりとした口調だった。
「あ、じゃなくて逆で。その、リュートが頼んでたカスタム、そのまま続けてくんないかなって……いう、お願いを、しにきたんだけど」
 自分の耳を疑ったのだろう。予想だにしないリュカの言葉に、ポートマン技師も思わず顔をあげた。気恥ずかしそうに笑うリュカの姿に、既視感を覚える。
「正直手の感覚とかタイミングとかそっちでなじんじゃったし、いきなり生活がガラッと変わるのは……ちょっとまだ、困るんだ。ヴェルゼもそのほうがいいって」
 ポートマン技師は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まってしまった。
「そういうのは、だめ?」
 数秒機能停止していたポートマン技師が、思い出したようにゆっくりとかぶりを振る。
「いえ……それはできます、もちろん。ちょっとびっくりしちゃったというか……。魔ガンと話せるんですね、兄弟そろって」
「兄弟そろって?」
「リュートさんも、よく同じように言ってました。バルムンクが掃除しろってうるさいとか、休ませてほしいって駄々こねるとか。……ヴェルゼのデチューンも、“本人”と相談したって」
「ははは! 大丈夫かよ、リュートのやつっ。そいういうの、何とかフレンドって言わない? あ、俺も同族だったのか。──……っていうか、あるじゃん? そういうとき。流石にしゃべりはしないけど、さ」
「ありますよ、よく。だから、リュートさんの依頼を受けました。あなたには枷になると分かっていて。……すみません、でした」
「あーうん、だからいいんだって。結局、“こいつ”と、リュートに俺は生かされてたわけだから。あ、あと、君にも。……ありがとね、あいつの変な要望、ずっと聞いてくれて」
 多少なりとも抱えてきていた緊張が、ものの数分のやりとりで蒸発してしまった。だからわざわざ作らなくても自然に笑顔が出る。こちらが笑顔なら相手も当然──。いや、強張っている、何故かこれまでで一番。
「リュカさんって、ちょっと変な人ですか?」
「……は?」
「……デチューンして、お礼を言われるのは初めてなので」
 リュカの感謝は直接的にはそこに対してではない。ただ多少ずれていたからといって躍起になって否定するほどのものでもない。言っていることが普通でないのは百も承知だ。ひとまず咳払いで、軽い抵抗だけ示しておいた。
「そっちも十分──。まあ……いいや。それで結局、この注文は受けてもらえるんだっけ?」