extra edition#2 小匙一杯の罪と罰


「参考にしてほしくはないんだけど、私なら先陣をきるわ。持ってる魔ガンのタイプも含めて、いい囮になりそうだから」
「なんとなく、そうだろうと思っ」
またも、すべていい終える前にサクヤの言葉は轟音の前にかき消されることになった。ユリィの放った初弾は、上空に現れたイーグル級の羽根をかすめて遠くの空で小さく爆ぜた。
「サクヤ隊長! イーグル級一体、下も始まったみたいです!」
「みたいだね。下のことは下に任せて、僕らはコレに専念しよう。これで五回目くらいの対面かな? ホシムクドリ」
 サクヤたち最上層に陣取った小隊は、焦ることなくかつ迅速に迎撃態勢を整えた。サブローも遅れることなく周りの動きに合わせる。縦横無尽に飛び回るイーグル級ニーベルングに照準を合わせて魔ガンの引き金を引いた。通常通りでいい。このニーベルングはどうせ、一筋縄で討たれる器ではない。
 サクヤが名付けた名の通り、そのニーベルングの羽根には滲んだ星のような模様が無数にちりばめられていた。しかしそれは、もともとの個性というわけではない。それらは数えられないほどの魔ガンで撃たれた跡だった。
「羽根は駄目だ! 他の部位より装工が固い! 頭から胴にかけての直線上を撃ってくれ!」
「そんなこと言っても羽根しか……」
 対象のニーベルング──ホシムクドリ──が羽根を広げて見せたのは、ユリィがその姿を捉えたはじめの一瞬だけで、あとは枝にとまった蝙蝠のように堅牢に閉じていた。その状態では滞空していられるはずもなく、ホシムクドリは羽根を閉じたままサクヤたちが応戦する渓谷の最上層に落ちてきた。
「サ、サクヤ隊長……! あのまま落ちてきましたっ。このままでは狙撃の陣形が……っ」
「見てたからわかるよ。三番隊を後方に下げる。あれは、今日ここで討つべきニーベルングだ」
 特異なニーベルングだ。それはサクヤが初めて対戦したときから何となく感じていたことだ。どうやったら相手を翻弄できるか、必要な時間を稼げるか、そのためにはどう戦うべきかをきちんと練っているように見えた。こちらが魔ガンという対ニーベルングに特化させた兵器を用いていることも、組織だって討伐に動いていることもすべて承知しているようにも思えた。だから引き際もよく考えられている。感情的にも理性的にも、共感せずにはいられない存在に思えた。
 率先して撃っていたアーマーブレイク系魔ガンの所持者たちが、自己判断で左右に撤退していく。羽根は鉄壁の上、ホシムクドリは地上戦にも接近戦にも長けていた。首を鞭のように高速で地面に這わせて散り散りになった先方隊を薙ぎ払った。
 上体を起こしたホシムクドリの死角から、サクヤは単独で躍り出る。
「キサラギ准尉! 後方、任せた!」
(冗談だろ……! なんで俺!)
胸中とは裏腹に体は素直に命令を聞いていた。やりたいことは何となくわかる。羽根が壊せないなら開かせる他ない。ついでに言えば、地上にこのまま留まってもらうのも迷惑だ。
 サクヤはホシムクドリの射程内、しかも真正面から足場となる地面に向けてジークフリートを連射した。たった一体の、大きく見積もってイーグル級程度の大きさしかないニーベルングに対して繰り返される砲撃の嵐は、渓谷の中層にいる多くの隊の注目を浴びることになった。
「なんなんだよ、あの人っ。あの魔ガン、どうみたって連射なんかする類じゃないだろっ」
 渓谷そのものの地形が変わりつつある。足場を削ってでも、なんとか対象を空にあげるしかない。そのための決め手を、最悪なことに自分が任されてしまっている。
「くそっ。当たれよ!」
尾鰭に照準を定めて手早く引き金を引く。当たれよと願ったものの、次の瞬間には拍子抜けするほど派手に直撃していた。と、同時に足場が傾く。ホシムクドリは空中に舞い戻ることを余儀なくされた。いうまでもなく、盾として機能していた羽根を広げて。
「今だ! 撃て!」
サクヤの簡素な号令とともに、顕になった胴体めがけて皆が一斉射撃。数度の凄まじい爆音と熱風、立ち込める砂煙の中で黒い影が渓谷の底へ落ちていくのが見えた。断末魔は聞こえなかった。いつものことといえばいつものこと、誰がとどめをさしたのかも判然としない。だから引き金を引いた全員が手柄は自分のものだと笑いながら豪語する。
「ありがとうキサラギ准尉。意図を察してくれて助かったよ」
 砂埃をかきわけて、サクヤが近づいてくる。今回の手柄は最初から最後までこの男のものだ。
「自分は何も。そもそも……撃っていません」
 証人は多い。サブローは一斉射撃の号令で、引き金に手をかけた。そしてそれだけで終わった。彼は周りの隊員たちが二発、三発と駄目押しの一手を放つのを他人事のようにただ見送っていた。奇しくも彼は、この期に及んで求めていた派手な失態をさらすことになったのである。ただしそれは、彼が細心の注意を払って、露呈しないように努めていた類のものだった。
「……君は、自分が撃たなくてもこのニーベルングは堕ちると判断した」
「そんな奢った考えは持っていませんよ。単純に、身体が……動きませんでした。それだけのことです」
 今更だとは思ったが、小さく震える右手とその右手に握られたままの魔ガンを目立たぬように降ろした。
 引き金を引くという、呼吸と同じくらい単純な動作の先には、たった今まで生きて、動いていたモノを強制的に屍に変えるという結果が用意されている。それはいつも、たとえ自分が引いた引き金の先の光景だとしてもどこか他人事だった。指先に残るのは、金属の触感だけなのだから当然といえば当然だ。それがあの日から一変した。指先に触れる引き金の触感は、死と明確に結びつくようになった。得も言われぬ背徳感と恐怖心が全身を硬直させた。
 サブローの口から力のない笑みがもれる。グングニル隊員に求められる唯一にして絶対の能力は、魔ガンを使いこなしニーベルングを討伐することだ。最前線から退こうが、後方支援に徹しようが、求められる最低限の条件である。
「九番隊に転属願いを出していたのは、これが理由?」
「そんな情報まで持ってるんですね、こわいな。だいたい何で俺のアベレージまでご存じなんですか? まさか小隊を組む新規の部下全員、成績をチェックするなんてわけでもないでしょう」
「もちろんそんなことはしない。キサラギ准尉の成績や動向に限って、半年前からチェックしてたんだ。だから三か月前の例の事件についても、概要は把握してる。あのあたりから君の成績に微妙な違和感を持った。成績がふるわない隊員は、決まって射撃練習場に多く顔を出すようになる。でも君は今まで通り、週一回、練習メニューも変えないままだ。まるで、射撃のアベレージが当然下がる状況を作っているように見えた」
予想外すぎる回答に、サブローは耳を疑った。
「なんでそんなことを」
「あー……ここでいうようなことでもなかったんだけど、この際だから。サブロー・キサラギ准尉、僕が立ち上げる新しい遊撃部隊にヘッドハンティングされるつもり、ない?」
「は?」
 サブローの間の抜けた声が号令でしたと言わんばかりに、二人の足元で一際大きな爆音が轟いた。中層部の戦闘は今まさに熾烈を極めている。それを抜きにしても、彼らの周囲はいまだ警戒を解いていい状態にはない。それらの光景は一切合切目に入らないかのように、サクヤは平然としてつづけた。
「七番隊のリスクマネジメントを担ってたのは、君だろ? あの隊はその、申し訳ないけど薄氷の上を歩いているような運営だったから。隊長が、『力』のある人だから表ざたにはならないだけで、……漏れるところにはだだ漏れというか。七番隊がうまく機能してたのは、はっきり言ってキサラギ准尉がいたからだ」
「ま、待ってください。そこまでの働きをした覚えはありません。そもそも自分は……前線から退きたいんですよ、そのための裏工作だったわけで。サクヤ隊長が言う遊撃隊がどの程度の位置に当たるのかわかりませんが」
「二番隊を超える隊をつくりたいと思ってる」