アサトは思い切り嘆息した。ディランの個人通信はほとんどの場合、本部を通すと許可が下りない類の応援要請だ。わかっていたからこそ、あらかじめ釘を刺しておいたのに、これではまさに糠に釘である。
「レベル5軍団なら、そっちのほうが多いだろう。こっちが出す意味がわからん」
「それがウトガルドの鎮静化にまるごと当てちまってな! 現存の戦力でしのげねえこともねえが……どーうもな。“眠り姫”が起きちまうっぽいんだな、次の春は」
ディランは通信機の向こうで心なしか声を潜めたようだった。バイキングさながらの巨大なひげ面が、声を潜めてメルヘンなキーワードを発したところを想像すると、それだけでげんなりする。何が“眠り姫”だ。アサトの知る“それ”はそんなかわいげのあるものじゃない。
「……レベル5が扱えればいいのか」
「いい返事だな。恩に着るぜ、親友。欲を言うなら、腕の立つのがいい。あと、口の堅い奴だな。軽くても構わんが、そっちに返してやれなくなっちまうかもしれん!」
どこまで冗談でとっていいのか図りかねた結果、ひとりで大爆笑するディランとは対照的にアサトは黙りこくっていた。黙りこくって一瞬考えただけで、次の瞬間には概ね心が決まった。
「……ちょうど今、こっちで腐ってるっていうか、腐りかけのドリアンみたいな奴がいる。異臭放つ前にそっちでたたきなおしてくれるなら貸してやらんこともない」
「そーか、そーか! ……。って了承すると思うのか? 冗談じゃねえ。そんなの送ってくんな」
「心配すんな。腐ってもドリアンだ。腕なら俺と大差ない」
本当のことを言うと、たぶん自分より上だ。というのは癪に障るからこの場では言わない。アサトが僅かに持ち合わせているプライドは、それはそれとして大事に退官の日まで守ってやるべきだと思っていた。「最強」という根拠のない伝説は、この組織のよすがとして必要とされるものである。
などと、今度こそちょっとした感傷に浸っていた一方で、ディランは全く別の不安をいだいていた。そしてそれを躊躇せず口に出す。
「そうじゃねえ。腐っても腐らなくてもそいつ、明らかにくせぇ奴だろうが」
ディランは真剣だった。ただでさえ男所帯の自分の支部に、これ以上臭い奴が来るのは全力で避けたい。支部長としての当然の心理だった。
アサトはこの後、自分でもおかしいと気づいていながらドリアンのすばらしさについてディランに語ってきかせる羽目になった。くだらない。くだらなすぎる。ただ、この執務室で、グングニルの回線を濫用してディランと楽しい密談をするのもおそらく最後だ。そう思うと、なかなか受話器を置く気になれなかった。
三日後、二番隊執務室に呼び出されたサクヤには、酒もチェス盤も準備されなかった。手渡されたのはすでにいくつかのサインが成された辞令書である。
「お前、中部にとべ。んで、しばらく顔見せんな。報告もいらねぇ」
アサトはいつになく不機嫌丸出しで、そしてやはりサクヤのほうには目もくれず溜まった書類に目を通しながら言った。サクヤは無言のまま手元の紙切れに視線を落とす。辞令には今アサトが言い捨てた内容が、もう少し畏まった様式で記されてあるだけだ。
その中で期限について言及されていないことが気になった。アサトが言う「しばらく」が「無期限」と同義なら、これはいわゆる左遷というのではないだろうか。
そんなサクヤの分かりやすい不安を察して、アサトが申し訳程度に補足をした。
「ちょっと訳ありの作戦で、こっちに応援要請がかかってる。訳あり、かつ難易度も高いミッションだが、最優先事項じゃない。もういっちょ付け加えるなら、ある程度時間もかかる。今のお前にうってつけってわけだ」
「うってつけ」
「ああ、そうだ。何かしら作戦とは関係ないことをぼんやりのんびり真剣に考えながら仕事するには適した環境なんだよ。中部第二は。みんなお前みたいに頭のネジがどっかずれてる。ずれてないと対処できない問題ばっかだからだ。今回の作戦もそういう類にあたる」
「報告不要というのは?」
「そのまんまだよ。作戦中やっこさんに動きがなければ、お前はあっちの通常業務に従事することになる。定期報告は正式なもんがあがってくるから、お前から個人的にこっちに送る必要はない。やるなら向こうの支部長にだ。他に質問はあるか?」
「作戦完了次第、本部に帰投する、ということですか」
「作戦終了後の身の振り方はお前が決めていい。っていうか仕事が片付くまでにどうしたいのか決めてこい。中部に残りたきゃ俺が口きいてやるし、帰ってくる必要があるなら帰ってくればいい。辞めたきゃ辞めてもいい」
アサトの言い草は、冷たくはない。ただ、しびれを切らした風ではあった。サクヤは彼から打診されたある案件について未だ保留にしたままだ。それはサクヤの中では、少なくとも二週間ばかり熟考するつもりの重要案件だった。その時間の感覚が、アサトとはずれていたということなのだろう。
辞令書を懐にしまう。いずれにせよ、この紙の内容は打診ではなく命令であるから是も非もないのである。
「承知しました。準備が整い次第、中部第二支部に向かいます」
「ああ。詳しい説明は向こうでするよう言ってある。支部長によろしく」
短く敬礼をして、サクヤを執務室を後にした。他の支部への応援は当然初めてではない。が、中部第二支部に関しては経験がない。長期で単独というのもそうだった。だから心細い、などというのとは違う。彼は初めての体験というやつを概ね歓迎してきたし、実際楽しんできた。しかし今回ばかりはそんな風に楽観的になれない。
彼は、できるだけ早く最適解を見つけなければならなかった。5年という限られた時間の中で、自分が何を成し、何を諦めるのか。そのために、他のことには憂いなく過ごせる、慣れた環境に身を置いておきたかったのだが。
気乗りしない──それが、サクヤが抱いた中部第二支部への出向に対する、最初の感慨だった。
グングニル機関中部第二支部は、大陸の中心から見て北西に位置する山岳地帯の真っ只中にある。第二防衛ラインからアスガルド中央区付近まで伸びるスヴァルト連山の全区域が、この第二支部の担当である。夏は高地よろしく過ごしやすいが、平地の暑さが和らぐ頃から辺りは雪化粧をはじめる。そしてそれから二週間も経たずして、すべては分厚い雪の膜に覆われる。この状態が遅めの春まで続く。
ではその間、中部第二支部の隊員たちはどうするのか。
「通常業務だな。だって、ニーベルング、ふっつーに出てくっから。お互い半分凍りつきながら何やってんだろうって、たまに思うよな、さすがに」
「待て。通常業務に、もういっちょ雪かき当番が追加される。たぶんこれが一番つらいから最初に言っとくな」
タイミングよくふもとの町に補給(買い出しともいう)に来ていた第二支部の隊員たちが、サクヤを駅で出迎えてくれた。短く刈り込んだ頭をフライトキャップで覆って、少し肩を竦めながら歩くのがネス。黒髪長髪にイヤーマッフルという軽装のライアン。サクヤの顔を見るやいなや旧知の仲のように、肩をばんばんたたいて手厚い歓迎をする。そのまま二人で競うように第二支部やスヴァルト区の特色を説明しはじめた。
第二支部は、ディラン支部長──隊員はみな、「キャプテン」と呼ぶ──の性格と意向に良くも悪くも染まりきっており、階級も年齢も無関係に皆名前で呼び合うらしい。聞きしに勝るフレンドリー支部だ。いや、フレンドリーという表現はいささか正しくないかもしれない。家族的、とでもいうべきだろうか。
本格的な冬が訪れると、基地周辺はしばしば猛烈なブリザードに襲われる。家に帰ることはおろか、基地周辺をぶらつくことすら難しくなる。そうなると必然的に基地に寝泊まりする者が増え、居住環境が整っていく。四六時中一緒にいて寝食を共にするわけだから、やはりこれも必然的に、部隊は家族的性格を持ち始めるわけだ。