「たまに本部とか行くとさ、キャプテンのことちゃんと呼ばないといけないだろ? 度忘れしてんだよな! この人階級なんだっけ!? みたいな!」
「あー。俺もそれ、あった。だから本部の人が呼ぶまで、待ってた。大佐だよな? あってる?」
「あってるあってる。俺は、“キャプテン大佐”って呼んで、会議で恥かいてきたから覚えてる」
ネスとライアンは白い息と笑いとを同時に吐きながら、運搬車両の荷台に手際よく物資を投げ入れた。サクヤもそれを手伝いながら談笑に参加した。荷台の七割ほどを食料や水、日用品が占めると、ライアンが運転席に乗り込む。ネスが助手席のドアを開けながら振り返った。
「悪いんだけど、サクヤはそいつと一緒に荷台に乗ってくれる? 基地まで一時間くらいかかるから、その間寝ててもいいしさ」
「いや、地形をある程度把握したいから起きておくよ」
「ははっ、熱心! 地理系はそいつが一番詳しいから聞いておくといいよ。……って、ナギ。ずーーーーっと黙りこんじゃってるけど、どうかした? 緊張してんの?」
突然話を振られた女性隊員が、ようやく顔を上げた。それまではネスが言う通り、無言のまま神妙な面持ちで俯いていたから、サクヤとしては知らないうちに気に障ることを言ったかしたのではないかと冷や冷やしていたところだった。往々にして本部では、そういうことがあった。
「や、ごめんなさい。そういうわけじゃないの。ただその……聞いてたタイプの人とずいぶん違うなぁって、思って……」
「聞いてたタイプ? ああ、キャプテンからなんか事前情報があったんだ?」
「うん。ドリアンみたいなのが来るぞって」
その瞬間に場が凍り付いた。ネスがサクヤに寄ってきて、小声でぼそぼそと何かつぶやいている。
「なんだサクヤ。お前あれか。あのへんからちょっと女子に嫌われるようなにおい発するタイプか? 安心しろ、俺いい薬持ってるわ」
「いや……そんなことは、ないはずだけど……」
自信は持てないから、何となく自らの体臭をかいでしまう。ネスも一緒になって二人で鼻先をすんすん言わせた。
「だよな! なんか逆にちょっといい匂いするもんな! ナギ! お前もちょっとこっち来て嗅いでみろって! ガセだぜ、それ絶対!」
「いや、嗅がないから。もういいからネスも乗ってよ。帰るの夜になっちゃう」
「うわぁ、自己中~。俺自己中な女だいきらーい」
「サクヤも」
ぶつくさ文句を垂れるネスには構わず、ナギは淡々とした様子でサクヤにも荷台に乗るよう促した。全員乗り込んだことを確認して、ライアンはさっさとエンジンをかける。エンジンがかかるとほぼ同時くらいに、ネスは助手席でいびきをかき始めた。とんでもなく自由だ。
ライアンはおそらくかなり、安全運転を心がけている。それでも荷台は時折激しく縦揺れした。ナギは、サクヤと向かい合って申し訳なさそうに座っている。縦揺れにするたびに、軽量そうな身体が大きく跳ねた。
「その……到着そうそう不愉快にさせてしまったみたいで……なんか、ごめんなさい。キャプテンも言うこと適当だから、うのみにしないようにはしてたんだけど」
「いや、気にしてないよ。……気になるといえば、ええと、ナギ、はひょっとしてレイウッド大佐の?」
ご息女、お嬢さん、娘さん。いろいろ考えたが、どれも適さない気がして口にしなかった。男ならまだしも、会って数十分足らずの女性をいきなり呼び捨てというのもやはりというか、実は気が引ける。
「ああ、うん。そう。……あ、別にずるはしてないよ? 雪かき当番も免除されないし」
サクヤの煮え切らない態度を、ナギは妙な風に勘ぐったらしい。七光りだとか特別待遇者だとか、そういう誤解は早々に解いておくべきと考え力説したのだが、その一連の流れのどれかがお気に召したらしい、サクヤは声をあげて笑った。笑いの沸点が低い、というわけでもなさそうだ。彼はどこか、意識して柔和な表情や雰囲気を作っているようにみえる。
「……そういうわけだから、変に気を遣う必要はないからねっていうのを言いたかったんだけど。ま、いいか。基地周辺とか、哨戒区域とかは明日の朝の遅い時間に私が案内するから今日は基地内を軽くまわって、夜はあなたの歓迎会、ね」
「歓迎会?」
「そう。そこの……カチャカチャ言ってる木箱の大半は、今夜分」
サクヤが背を預けていた木箱の中には、なるほど大量の酒瓶が身を寄せ合っていた。とすると、ナギが背もたれ代わりにしている巨大な木樽も、中身の予想はつく。
「楽しみだ」
特に他意はなく、思ったとおりを口にした。
応援要請を受けて、着任したその日に宴席を設けられるのは初めての経験だ。心とからだは、その高揚をいつもと変わらず好ましいものとして受けとめている。それだけのことに人知れず安堵した。
ただし、何事もそう平和的には進まない。殊、中部第二支部に関してはそれが顕著である。車が支部の格納庫に着くやいなや、サクヤは半ば拉致されるように宴会場に駆り出され、ずいぶん適当な説明と紹介をされた後、有無を言わさず酒を浴びることになった。浴びるほど飲んだ、というのではなく、実際に何度か頭からぶっかけられたように記憶しているのだが、正確な回数や状況は定かではない。
その夜の中部第二支部の明かりは、消えることなく白銀の世界を照らし続けていた。
頭痛と吐き気、それに加えて全身に鉛をまとったような倦怠感。おかげでどうも調子が出ない。全細胞に最大出力で稼働するよう命令を出しているつもりなのに、良くて七割──いや、今日は五割以下のパフォーマンスだ。
こんなにあからさまに二日酔いになったのは生まれて初めてかもしれない。サクヤはドラを鳴らし続ける頭を抱えて、それでもシャワーを浴びて、規定の時間前にはブリーフィングルームに顔を出した。
「え?! おはよう……」
「? おはよう、早いね」
ナギが幽霊でも見るような目でこちらを凝視してくる。
「コーヒー……ちがうか、水? がいいよね」
「いや、コーヒーでいいよ」
ナギはすぐに湯気のあがるカップを、お供え物でもするかのようにおそるおそるサクヤの前に置いた。サクヤは深々と嘆息しながら濃いめのコーヒーを口にする。それである程度目が覚めたというか、頭が冴えたというか、とにかく仕出かしたいくつかの過ちに気づくことになる。
ナギは自分のカップを持ってサクヤの向かいの席についた。昨日の運送車両の荷台の中と同じ配置になる。実のところ、サクヤの記憶で鮮明なのはそのあたりまでだった。だからまるで、そのときの会話の続きのように感じられる。でもそれは間違いだ。今は一夜明けた朝の9時で、自分は基地についても任務についても一通りの説明を受けた(はずだ)し、これから一冬を共に過ごすことになる仲間たちとも十二分に語り合った(はずだ)。
「コーヒー、ありがとう。ごめん、つい……当然のように」
「ああ、それはちゃんと起きてきたご褒美みたいなものだから。少しゆっくりしてて大丈夫だと思うよ。どうせ誰も起きてなんかこないし。にしても、よく起きてこれたね?」
「初日から寝過ごすのはさすがにね。君のほうこそ」
「私はそんなに飲んでない。今日はあなたに基地の外を案内する約束だったし、全員潰れてるところにニーベルングが襲撃っていうのも笑えないし……本部から緊急通信とかも、笑えないでしょ?」