「サクヤはブリュンヒルデを撃ったことがあるの?」
予想と違う切り出しに、脳の回路を直ちに軌道修正する必要があった。回答は単純でいい。たぶん。思いきり動転している内心を気取られないように、作業の手は止めずにおいた。
「試し撃ちはしたことあるよ。高威力高性能の優れた魔ガンだからね」
「だけど、メインアームには選ばなかった」
「まあ、そうだね。選ばなかったというか、選ばれなかったっていうか」
二番隊の皆でブリュンヒルデを試し撃ちしたときのことを、じっくりと思い返してみた。粒ぞろいの二番隊が異口同音に「扱いづらい」という感想に終始した。威力は折り紙付き、銃身の軽量化も弾丸の処理速度も申し分ない優良魔ガンのはずだが、どうも手になじまない。そもそも一番の売りであるはずの威力が、もはや暴発に近いレベルで制御に苦心する。気を抜いて、自身もろとも大爆発というのが関の山だ。そういう不安定さが嫌厭されて、ブリュンヒルデには特定のガンナーが長いこといなかった。
「ナギは、ブリュンヒルデの制御に苦労はしていない?」
「制御、か。その感覚がいらないのが“これ”のいいところだと思うんだけど」
「どういう意味だい?」
「確かに安定感はないんだけど、それもね。ブリュンヒルデのほうが、そのときどきに応じて出力を微調整してくれてるって感じで。私はそれに合わせてるだけ。合わせてればうまくいくことのほうが多いし」
「魔ガンに合わせる、か」
「単純に言うなら、相性が良かったってことになるのかな。そんなんじゃいざというとき困るぞって言われたら反論できないんだけど」
「いや、面白いよ。ブリュンヒルデも、そういう感覚を持つ君だから主に選んだのかもしれない」
「あなたも、ジークフリートに選ばれた?」
ナギは、サクヤが使ったそのフレーズが気に入ったようだった。冗談ぽく微笑して、やはり冗談のつもりで投げかけたのだが、サクヤは思いのほか長く思案顔を作っていた。
サクヤが愛用するのはバーストレベルが高いことだけが取り柄といってもいい旧式魔ガンだ。
耐久性が低いから整備の頻度が高く手間もかかる。新型の魔ガンが機能性を重視してどんどん簡素なデザインになっていくのと比較すると、装飾だけは無駄に凝っていたりする。それだから骨董品と揶揄されることさえもある。
相性という一番単純な単語で片付けるなら、それは良いほうだと思う。間違いなく他の魔ガンよりは手になじむ。
「どうかな。たまに試されているような気は、するけどね」
「試される? 自分がジークフリートにふさわしいガンナーか、みたいなことを?」
「というよりは……。そうだな。トリガーを引くべき時か、否かを」
「あなたはそれを、選択している」
「それをしなくなったら、僕らはただのシステムだと思わない?」
淀みなく答える。ナギは知らぬ間に息をのんでいた。
サクヤはそれっきり、ほとんど会話らしい会話は持ち出さず、広げた資料と睨みあっていた。図らずもいつもと変わらない風景になる。
サクヤは時折、おそらく無意識に、手持ち無沙汰になった右手で下顎を覆う。そのときばかりは、終始柔和な顔が少しだけ難しくなる。考え込むときの癖なのだろうなと、ナギは漠然と考えた。そして持て余し気味の空白の時間を、自分の思索に耽ることに費やす。
サクヤには、ニーベルングを前に、トリガーを引かないという選択肢が存在する。中部第二の面々のように、いちいち相手にしていてはきりがないから、といった自然発生的な理由ではないのだろう。ではどんなときにサクヤはその選択をするのだろうか。興味を覚えた。だのに、言葉が続かなかった。その質問は、サクヤという男の本質に触れるものだと無意識に感じてしまったからだ。そこに立ち入る資格を自分は持っていない。当然の事実の確認。それがひどく気持ちを沈ませた。
同じころ、中部第二の基地内では窓辺にへばりついて外の様子を見守る隊員が散見された。降雪量は刻一刻と増し、狂ったように吹き荒れる風が、視界のキャンバスを容赦なく白一色に塗り替えていく。風は不気味に鳴っていた。
「キャプテン」
執務室の二重窓に、やる気のない蝉みたいに張り付いた巨躯。その補佐官という立場を名乗らされているセルゲイが短く呼んだだけで、ディランはさも鬱陶しそうに返事をした。セルゲイは動じない。
「するならする、しないならしないで今決めていただかないと困ります。方々から文句は出るし、食事当番は途方に暮れるし、下手したら死人が出るしで良いことなしです」
「わぁかってる! だからできるだけ『しない』方向を見定めようとしてんだろうが!」
「そうですか。さっさと腹くくって準備にとりかかったほうが俺は賢明だと思いましたけどね。まあ、それならそれでいいんじゃないっすかね。ちなみにナギもサクヤも坑道で缶詰状態ですから、レベル5撃てるのは、後はダンくらいになりますけど」
「馬鹿野郎! それをさっさと言えよ! 誰だあの二人セットにしたのは! 肝心なときにうちん中空っぽじゃねえか!」
「すいません。組ませたのはキャプテンだったと記憶してますけど、そのあたりの不満一切合切こらえて、とりあえず準備にとりかかりますけど、いいっすか」
「いいも悪いもねえよ! 警報ならせ、備えるぞ!」
「あいさー」
ディランが執務室を出た数十秒後に、待ってましたとばかりに警報が轟いた。基地内は、どこか諦観したような、俄かに沸き立つような、複雑な空気に包まれる。警報は、やってくるであろうブリザードと、その後に高確率で訪れるさらなる脅威への備えのために、全隊員が通常業務を放棄してとりかかるという発令合図である。ブリザード警報だとか、もっと短くブリ警報だとか、隊員たちはそんなふうに呼んで畏敬の念をいだいている。たぶん。
ひとたびブリザードが吹き荒れれば、その間、いわゆる無力な人間は、いわゆる大自然の脅威の前に成すすべもなく立ち尽くすだけだ。いや、実際には完全にひきこもるのだが。
つまるところ、なんの邪魔も警戒もないこの間に、ニーベルングは山越えする。山越えに成功した一部のニーベルングが、中央に入り込み、本部の討伐対象となる。それを阻止することは、ほとんど不可能である。では、天然の防衛ラインとまで謳われる中部第二支部はこれにどう対応するのか。
「ブリザードが過ぎた後、基地の周辺を飛んでるニーベルングを一体残らず墜とすだけだよ?」
ホットココアをすすりながら、ナギが事も無げに言ってのける。
坑道の外が本格的にブリザードに見舞われてからも、スワンの見張りであるサクヤとナギは落ち着いた様子でこの場に留まっていた。正しくは、留まらざるを得ない状況だった。幸い、坑道内の気温は外気に関わらずほとんど一定で、寒いは寒いのだが凍死するほどではない。だから毛布にくるまってここで爆睡しようと思えばできる。
二人はそうはせず、ブリザード前後の動き方について確認しあっているところだ。発端は、ナギが独り言みたく呟いた「今頃ブリザード警報鳴ってるころかな」という一言である。
「それは何て言うか……総力戦でってことだよね」
サクヤの脳内では、中部第二の面々が多数のニーベルングと乱戦を繰り広げる凄まじい光景が劇画調で再生されている。雄叫びを上げ、雪と泥とニブルにまみれながらの死闘。あまり歓迎される事態ではない。
「それはまあそうなんだけど、サクヤが思ってるのとはちょっと違うと思う。よっぽどのことがなければ、飛んでるうちの三分の二くらいはキャプテンの一発で撃退できる」
「一発……一発で? そういえば、大佐の魔ガンについては聞いたことないな。基地内で携帯しているのも見たことないし、かなり重量級のものなのかい?」
ナギは口を半開きにして、何言ってるの今更、という顔をした。いや、実際にそう言った。