「キャプテンの魔ガンなんて、毎日飽きるほど見てるでしょ。だいたいサクヤがこっちに来た初日に、私が念入りに紹介しましたっ」
「そう、だったっけ?」
自信はない。到着初日という単語を聞いて、その自信の無さに自信を持ったくらいだ。あの日の記憶について言うならば、ほとんどすべての説明や紹介に関して、後日答え合わせが必要だった。
サクヤが心なしか申し訳なさそうに記憶をたどる姿を見て、ナギも半分は申し訳なく思い、もう半分はどこか面白く感じたため、再度の解説はしないことにした。そうしなくても、百聞は一見に如かず。ブリザードが明ければ、間違いなく拝めるものなのだから。
不意にサクヤが立ち上がった。スワンの眠る氷漬けの地底湖を覗き込んだかと思うと、あまり意味はないと知りながら、手元のランタンを掲げてさらに奥に目を凝らした。
「やっぱり、入ってるな」
ナギを呼び寄せる前に、彼女の方から気になって近づいてきた。サクヤがあっけらかんと呟くそれが亀裂だの「ひび」だのの話なら、最悪の事態である。並んで凍った湖の底のほうへ目を凝らした。
「魚! え、どっから?」
「それを僕も考えてる」
二人の視線の先、動かざること山のごとし状態のスワンを通り越して、その足元付近をサケらしき魚がさまよっているのが見える。ほとんど影だけのそれは、凍っているのではなくさまよっているのだ。そこが当然重要だった。
「氷はもうあそこまで溶けてるってことだね。水温も、外のブリザードには影響されないみたいだ。ラインタイトのせいかな」
「それももちろんそうなんだけど、あれってどっかから、たぶん外部から入り込んできたってことだよね? これ、やっぱり外とつながってるってこと?」
ナギの「やっぱり」という言葉に、サクヤは思わず会心の笑みを浮かべた。彼女は「やっぱり」察しが良い。
「だと思う。魚一匹じゃ仮説の域は出ないから、検証したいと思ってる」
サクヤがランタンごと移動して元いた位置に胡坐をかくので、ナギもそれに倣って向かい合って座った。カップに半分ほど残っていたココアからは、もう湯気があがっていない。冷えていると承知の上で口をつけた。
「あのあたりの地形は、おととしあった中規模の雪崩の後に入れるようになったところなの」
「うん。僕も調べてみたけど、どうやらこのあたりの地下は穴だらけみたいだ。だからちょっとした雪崩でも地盤沈下を誘発して地形が変わったり、地下で形成された景色が剥き出しになったりする。あの場所が元は地下にあったものだとすると、ここと地底湖を介してつながっている可能性はなくはないからね。……ただ、泳いで確認するわけにもいかないし」
仮説が確かなら、証明すると死人が出る。氷点下の、とんでもない濃度のニブルが溶けた湖の、出口にも入り口にもニーベルング。どの死に方もごめんだ。サクヤは早々に白旗を挙げた。
実をいうと今はこれ以上考えるつもりもない。ただの思い付きが、検証に値する仮説に昇格しただけで十分に収穫である。
「サクヤはなんていうか……、一番隊とかも向いてるのかもね?」
と、ナギが唐突にそんなことを言うものだから、サクヤも思わず視線をあげた。
「僕が? いや、うーん……実際、一番隊には分かりやすいくいらい毛嫌いされてる身だけど」
「そうなの? 人に嫌われるタイプじゃないと思ってたけど、ひょっとして作ってる?」
「そんなことしないよ。ここでは思い切り好きに動かしてもらってる。逆に、本部でこういうふうに好き勝手に動くとあまりいい顔はされないというか、逆風に煽られるというか」
「何となくはわかる。でもそうは言っても、サクヤは二番隊隊長候補、でしょ?」
反射的に驚愕を顕にしてしまったから、それが肯定の意になってしまった。中部第二支部に出向して以降、階級や功績とは疎遠になっていたから余計に過剰反応してしまう。
「よく、知ってるね」
ナギは、その話題を振ったことを少し後悔したようだった。苦笑して取り繕っている。
「たぶん、みんな知ってる。本部二番隊の情報……っていうか噂みたいなものだけど、そういうの支部では結構出回るの。その中でも、サクヤと、バークレイ少尉は別格で」
「はは。それは光栄だな」
「この作戦が終わったら、つまり春になったら、サクヤは二番隊隊長になってるのかな」
ひとつひとつを確かめるように、ナギはゆっくりと言葉にした。喜ばしくも、少し寂しいと感じてしまう。
スワン討伐作戦がうまくいけば、何らかの形でその功績はサクヤに反映されるはずだ。それを狙って現二番隊隊長もサクヤをこちらに送り出したのかもしれない、そんなふうに考えることもできた。
「その可能性は限りなくゼロだとは思うんだけど」
サクヤは幾分迷って、結局はそう答えることにした。
「どういうこと?」
「二番隊隊長はリュート、バークレイ少尉が引き継ぐことでほぼ確定してる。僕がここに来る前の段階でそうなってたよ」
リュート本人が首を縦に振っていないことは知っている。知っているが、そのあたりのごたごたまでを今ここで話す必要はない。
「そうなんだ。サクヤが隊長っていうのも、面白そうだと思ったんだけど」
「そういう柄じゃないよ。隊でもよく自分勝手に動いて怒られてた」
「うん、だからそういう、サクヤが自由に動けるような隊ができるなら面白そうっていうか、新しいなって」
その話題は反応に窮するものだった。噂、というのはどの内容がどこまで伝わるものなのだろう。ナギのこの話題の振り方は、核心を避けるために遠回しなのか全くの偶然で核心に触れつつあるのかわからない。分からないから、サクヤとしては直接聞くしか手立てがない。
「ナギ、ひょっとしてキャプテンから何か言い含められてる?」
「は? 何を?」
そしてそれはあまりにも浅はかな手立てだったと思い知る。ナギの眉間に一気に寄った深いしわがそれを如実に物語っていた。
「いや、ごめん。違うならいいんだ」
「良くはないでしょ。今、サクヤは何かしらの嫌疑を私にかけたわけでしょ? それもキャプテンがらみで。私なにか、気に障るようなこと言った?」
選択を間違えたらしいことはすぐさま分かったのだが、それに適した対応が思い浮かばない。サクヤとしては、先刻の発言を撤回して、この話はここまでということで手を打ちたいだけだ。それが無理らしいことだけは察している。
そんなサクヤを知ってか知らずか、ナギは意を決して呑み込んできた疑問をぶつけることにした。実のところ、かなりはじめから持っていた違和感だ。本質に触れる権限はない、そんなことは先刻自ら確認したばかりだから百も承知なのだが、ちらちらと違和感を覚えさせてくるほうにも責任はあると思う。
「サクヤ、違ったらごめん。もしかしてあなた、どこか病気?」
「え……」
なぜ、そんな突拍子もない結論がいきなり飛び出すのか、という続きが出てこなかった。言いようによってはいくらでもごまかせた。それが数秒の沈黙で叶わなくなった。
であればいっそ、「二番隊の噂というやつはそんなところまで出回るのか」という皮肉でも、この際良かったように思う。肯定だろうが否定だろうが、そつなく、滞りなくできれば、その話題は大したことないものだという証明にもなったろう。サクヤはそれをしなかった。できなかったと言ったほうがより正確なのかもしれない。
取り繕うことができないほどにナギの言葉は予想外で、かつ否定しようがないほどに的を射ていたのだ。結局サクヤは、単純に驚愕だけを顕にした。ナギはそれを肯定ととったろう。そのうえで言葉を吟味しているようだった。
「あなたみたいな実力と実績がある人が、なんでうちみたいな貧乏くじを引いてきたのかずっと気になってた。それに、食事量。……少ない、よね。ずっと。もともと小食なのかとも思ったけど」