危機的状況は矢継ぎ早に起こる。サクヤの想定以上に周囲の気温は上がってしまった。
「何やってんの、二人とも! このままじゃたぶん雪崩くるけど!」
「え?」
危機的状況は、いやこの場合、解決策兼危機的状況は、とにかく矢継ぎ早に五月雨式に、連鎖的に起こり続ける。
青ざめたナギの誘導に従って、息つくまもなく死に物狂いでその場から離れた。魔ガンの影響だと思っていた地鳴りは、交戦をやめた後より一層強まり、三人の視界と足元を前後左右に揺さぶる。
数分後。やはり彼らの背後で事は起こった。醜い戦場を、その残骸を一切合切消し去るみたいに、真っ白い雪の波が押し寄せた。それは燃え続けていたニーベルングの亡骸のみならず、針葉樹林そのものを徹底的に呑み込んだ。眼前の景色が無に変わった。一瞬でだ。
今度は三人そろって座り込んだまま、その光景をただ茫然と見ていた。
「めちゃくちゃすぎるぞ……。でもこれで第一陣はどうにか退けられたか」
ジェシーが渾身の嘆息。
「第一陣はね」
空は極力見ないようにして、サクヤも力なく答える。そういう「一段落」のやりとりには乗ってこず、ナギはおもむろに立ち上がってひざ下の雪を適当に払った。
「サクヤ。こういうやり方って本部では主流?」
ナギの声がかたい。この質問を想定していたはずなのに、決まりのいい答えを準備していなかったことに、サクヤは今更ながらに気が付いた。
「いや、そういうわけじゃ。その、時と場合によるというか、……好んでやったりとかでは、決してなく」
「手段のひとつとしてある、みたいな」
「うん、そう。手段のひとつ、だね。うん」
今出せる、最良の回答のはずだ。そうであってほしい一心で声が必要以上に上ずった。ナギの顔は浮かないままだ。その口から微かにため息が漏れた。
「……じゃあ、中部第二ではやめてほしい。見ててちょっと……」
「不愉快だよね」
「そういうことじゃなくて。ああいう……単独での囮行動は、危なすぎる。ここは本部でも、ましてやあなたが組んでるのは二番隊でもないんだから。たまたまうまくいったけど、私の力量だと失敗する可能性のほうがずっと高かった」
サクヤは作り笑いのまま数秒かたまってしまった。思っていた反応と若干違う。咀嚼するのに多少の時間を要した。ナギはそれを思い切り勘違いする。
「……不本意なのはわかるけど」
「いや、そういう感想は全く持ってないよ。予想外の見解がきたんで、ちょっとびっくりしてた。とりあえずひとつ言えるのは、君は、自分の力量を過小評価してるよ。僕は失敗する可能性が高い作戦を実行しようと思うほど物好きじゃない」
「いや、だから……その、そういうことじゃなく」
「わかってる。危険性については君の指摘するとおりだと思う。今後は控えるよ。隊の規模や練度に関わらず推奨されるような手段じゃない」
「そうしてくれると」
ほっとしたのかナギの顔が綻んだ。その表情を見て、説明がつかないレベルでサクヤのほうが心底ほっとしていた。そういう内心のある種の心の動きに、サクヤ自身はすぐに気づいた。
自分は間違いなく、彼女の信頼を得たいと思っている。もう少し言うなら、それができれば特別なものであればいいと思っている。別段否定することもなくあっさり認めることができた。認めたうえで、とにかく一旦保留にするしかないと判断した。
他のいくつかの「冬休みの宿題」と同じように、決断するには少し時間がかかる。少なくとも、ニーベルングと自然の脅威にさらされて、火傷の痛みと闘いながらくだす判断ではないことだけは確かだ。
「さあ、第二陣以降をどう対応していくか、だが? ──おすすめは、このまま高みの見物、か」
「賛成。サクヤには、功労分と初見のボーナスとして、グリューワインが贈呈されます」
「初見ボーナス?」
視界の端に、息も絶え絶えに丘をのぼってくるハロルドの姿が映った。劣悪な通信状況を加味して、直接伝達する方法をとったらしい。小脇に小さめの酒樽を抱えている。
ちなみに上空数百メートル先では、灰色の塊が今にも空を埋め尽くさんとして散り散りに蠢いている真っ最中だ。
「もったいぶりすぎだろ~。控えめにいって死ぬかと思ったわ、今回」
サクヤに贈呈、などと言っていた酒樽の蓋をいち早く開けたのはジェシー。湯気の上がる赤黒い液体に口をつけて一足先に雪の上に座りこんだ。
「いやー、貧乏くじだったよね。この絶体絶命の状況で逆に誰も死なないってこわいわ。どうなってんの、サクヤ・スタンフォード」
ハロルドは、本来機敏に報告すべき内容の一切を割愛して、機敏にグリューワインを注ぎ分けた。ナギの分、自分の分、そして功労賞扱いのサクヤの分。
「えーっと……これはつまり?」
「サクヤ! 上、上! すごいのくるからっ!」
ナギが子供のように無邪気に笑って空を指さすから、思わず呆けたまま空を見た。このとき唯一の正しい判断は、まだグリューワインに口をつけてなかったことだと、後になってから思う。口に含んでいたら間違いなく、コントみたいに思い切り噴出していた。
パァンッ! ──花火があがった。一発。
パンッ! パァン! ──いや、二発、三発。
バァンバッバババババババババ! ──数えるのは、諦める。空が何度も爆ぜていた。鼓膜がおかしくなるくらい、音と光は空間を支配する。美しくも幻想的でもない、凄まじいまでの破壊のショーである。たった今しがた間近で見た、ブリュンヒルデの連撃ともまた違う。空が舞台になっただけで、どこか遠くの、別世界の出来事のように思えた。
耳をふさいだ状態でサクヤ以外の残りの三人は大喜びだ。サクヤはといえば。
「何か! 感想は?」
ナギがとんでもない至近距離で声を張り上げる。それでも唇を読むことでしか意思の疎通が図れない。
バン! バン! バン! バン! ──基地の方から光の玉が、魂みたいにゆらゆら尾をひいて、無数に立ち上っていた。そのひとつひとつが、やはりゆらめきながらニーベルングに吸い寄せられて風船みたいにあっけなく弾けて四散する。それが延々と続いた。見たことのない、想像の仕様がない光景を目の当たりにして、感想などと言われても脳がついていかない。
「サクヤぁっ。 な、すっげーだろ? これがうちの最終兵器! 中部の守りの要ミドガルズオルム様! あ~、いつ見てもお強くていらっしゃる!」
ジェシーの泥と雪と煤で薄汚れた顔は、既に赤らんでいる。サクヤは眼前の現実味のない光景に加え、戦場(先刻まで)で酔っ払いに背中をばんばんたたかれるという貴重な経験のさなかであり、珍しく完全に思考が停止していた。ステンレスのカップを握ったまま、完全な放心状態である。
「ははは! なんだよその間抜け面!」
「期待通りすぎるよね」
「確かに。キャプテンに話したら大喜びだよ、きっと」
坑道監視チームはフライング気味に大団円に向かおうとしていた。知ってのとおり、ミドガルズオルムで全ニーベルングを撃退することはできない。難を逃れる者は一定数出る。それらがちらほらと、頭上を飛び去って行くのを、四人はそろいもそろって見送った。誰も魔ガンを構えようとはしない。その気力がそもそももうない。
「職務放棄」
「……ではないだろ。残りの仕事は、中央にまわしちゃおうぜ。ニーベルングのほうも必死こいて山越えするわけだから、その栄誉をたたえてここはひとつ、びしっと見送ってやるのがむしろ仕事だと俺は思う」
ジェシーという名の酔っ払いは、謎の持論を展開した後、有言実行とばかりに滑空するニーベルングの数体を敬礼で見送った。ナギはそれを小突いてから、機能停止したサクヤの顔をのぞきこんだ。
「任務完了です、サクヤ隊長」
「隊長って……。とにかくこれ以上は僕らも限界だね。帰還しよう」
「手当も必要かと」
「どこか怪我を?」
「何とぼけたこと言ってんの? 火傷、放っておくと長引くよ」
ナギの苦笑が柔らかい。それがひどく心地いい。麻痺していた痛みと心が俄かに疼き始めてしまう。ニブル病の程度が分かったときと同じように、サクヤはただ「困ったことになった」と思った。