「中部第二支部過去最悪の一日だったなあっ! しかし上々の出来だ! つまり最高だ! ミドガルズオルムと最高の中部第二支部、ああ! あと、あいつだ! オルム以上にむちゃくちゃやりやがったサクヤに!」
予期せぬ場面でいきなり名前を呼ばれて、サクヤはまたも目を丸くした。
「乾杯!」
「かんぱーいっ!」
乾杯だけでもうそこら中に酒が飛び散る。次の瞬間には宙を樽が舞い、グラスが舞い、人が舞っていた。
ブリザード掃討戦後は毎回祝杯をあげるが、今回は通常の比ではない。皆心のどこかで生きるか死ぬかについて一度は考えたし、職を失うことについてはもっと本気で考えた。それらの不安が払拭された今は、狂ったように酒を飲んでとにかくめちゃくちゃに喜びを分かち合いたい気分なのである。
乾杯の音頭をとった後、ディランは隊員たちにもみくちゃにされているサクヤのほうへのしのしと近づいた。
「キャップテ~ン! こいつっ、こいつですよ~! 今回のヒーローはっ。見せたかったなー、あの鬼神のごとき魔ガンさばき!」
「そいつは結構。飲んでるか?」
完全に理性をかなぐりすてたジェシーをひっぺ返し、ディランはサクヤの隣にどっかりと腰を落ち着ける。腰を落ち着けるといっても食堂の椅子という椅子は事前にとっぱらったから、地べたに、ということになるのだが。
「思った以上に進んで困ってますよ。グリューワインがこんなに美味しいものだとは思わなかった」
「掃討戦後は格別うまいもんだ。そうでなくてもくそ寒いここで、仲間に囲まれてりゃそれだけで酒なんか美味い。お前の働きのおかげで、俺たちは全員生きてこうやって美味い酒が飲めてる。感謝するぜ、サクヤ。もちろんきっちり俺の名前で報告をあげる」
「ありがとうございます」
「嬉しくはなさそうだな」
「そいうわけでは……。いや、そうなのかもしれません。必要以上に功績をあげて、アサト隊長や周りに『やっぱり二番隊隊長に!』とか言われるのは勘弁してほしいですからね」
「そこは結局、煮え切らねえわけか」
「いえ、むしろ煮え切ってます。僕はもともと二番隊隊長にはリュートがふさわしいと思っていて。彼は隊員の長所や短所を明確に把握しているし、二番隊以外からの信頼も厚い。僕はほかの隊員の信頼を得るような言動をこれまでしてこなかったし、信頼を得ようとも思っていませんでした。隊長の器ではないように思います」
「ふぅん。器じゃねえかは置いておいて、確かに出発点は違うかもしれねえな。そういうのをアサトが見落とすとは思えねえから、違う観点でお前は推されてんだろうな。んで、見たところお前もそういうのを見落とす奴じゃねえ」
「だったとしても嫌なものは嫌です」
騒然としていた食堂内に、とりわけ威力のある笑い声が轟いた。
「だいぶ酔ってんな! そこまで嫌なら、まっ、しょうがねえよなっ!」
ディランは豪快に唾をまき散らしながら気が済むまで高笑いをあげた。ひとしきり笑って満足したのか、今度は器用に声を抑える。
「サクヤ、お前、ここに留まるならそれでもいいぞ。俺が勇退した後、オルムの権限をまるまる譲渡してやってもいい。ナギっていう有能な補佐官つきだ。どうだ? 悪くない話だろう?」
「ナギが、補佐官」
「なんだ。いっちょまえに不服か?」
「まさかっ。いや、なんていうか、想像したことがなかったんでちょっと想像してみたというか」
「で、想像してみた結果どんな感じだ?」
サクヤは一応、ディランの真意を探ろうと先刻から顔色を窺ってはいる。が、これが見事なまでに読めない。何も考えていないように軽快に笑いもするし、すべてを見透かしたような目を見せもするし、まるまる冗談だったといわんばかりの悪戯な笑みを浮かべもする。懐だとか器だとかの話を蒸し返すなら、この男のそれは相当に巨大で底深いのかもしれない。その感慨をそのまま答えにすることにした。
「ありがたいお話ですけど、ミドガルズオルムは、僕には過ぎた代物だと思います。僕には、というか人間には……?」
「はっはははは! まともな人間ぶりやがって! まぁいい。どうせ俺からの提案はそのへんに落ち着く。お前がその提案をするに値する奴だってことだ。この期に及んで、お前は選べる立場ってのにいるわけだから、せいぜい脳みそひねくりまわして選択と決断をすることだ。自己中に選べよ。お前の人生だ」
ディランのグローブみたいな手につままれたカップの中身が、一気にその口へ吸い込まれていく。景気づけとばかりにサクヤの背中を一度大きくたたくと、ディランは新たな酒を求めて談笑する隊員たちの輪の中へ消えていった。
それを遠くで見ていたのか、入れ替わりにナギがやってきた。他の隊員に横取りされないように、小走りでだ。タイミングがいいのか悪いのか、サクヤとしては少し間を置きたかったというのが本音である。
「結構、飲んでるね?」
「うん。香りがとてもいい。柑橘系と、他にも何か入ってる?」
「シナモンと……ローリエじゃないかな。飲みやすいけど酔いが回るのも早いから、ちょっと気を付けておかないと」
「そうか。うん、でも久しぶりにいい気分だ。外でもらったのは味を楽しんでる余裕なんかなかったしね」
「そうだね。気に入ったならよかった」
気分がいいといいのはどうやら本当らしく、サクヤは今更ながらナギのカップに乾杯を求めてきて、ナギも苦笑しながらそれに応じた。少し冷めた、薫り高いグリューワインに各々口をつける。
束の間の沈黙が流れた。奇声を発しながら暴れる支部の隊員たちを二人でぼんやり眺める。
「賭けの清算にきたんですけど」
「賭け? なんの……あっ!」
いい気分とやらはその瞬間に弾けて泡となった。
──より多く、ニーベルングを討伐したほうが勝ち。負けたほうは勝ったほうの言うことをひとつ聞く。僕が勝った場合の望みは、君がこれ以上僕の事情について心配したり気を遣ったりしないこと。初めから気づかなかったことにしてくれれば、それでいい。──そう言った。自分から言い出したのだから、酔っていようが一言一句違わず思い出せる。ついでに言うなら、そのあと挑発するために「自信がない?」とまで付け足した。一連の流れを思い出し、本日の討伐数をおぼろげに思い出し、深く深くため息をついた。
サクヤは途中から賭けのことなどすっかり忘れていたし、覚えていたとしてもおそらく例の囮役を買って出た。その結果、討伐数、つまりとどめの数では圧倒的にナギが抜きんでた。サクヤの手引きでそうなったのだが、結果は結果だ。
「これで私は晴れて、サクヤの事情に堂々と首をつっこめるわけだけど」
「そんな何の得にもならないことに引き換えて大丈夫? 結構いろいろできるよ? 真面目に働いてきたせいで貯金も結構あるし。時期二番隊隊長の権利とかプレミア付きでおすすめですけどね」
(……ほんとに、けっこう酔ってるな、この人)
乾いた笑いを響かせるサクヤに一抹の不安を抱きつつ、ナギはその自虐的な冗談は華麗に無視することにした。黙って待つこと数十秒、サクヤの渾身のため息が、長く長く吐き出された。失った分を取り戻すみたいに、残っていたワインの一気に流し込む。酒の力を借りでもしないと、ここから先の話は苦痛以外のなにものでもない。
「二番隊隊長には、僕が中部にいる間に進退を決めてくるように言われてあった」
観念はした。ただ本当に、先刻まであった「いい気分」とやらはきれいさっぱり消えてなくなった。酔ってはいる。それだけだ。
「二番隊隊長を断るなら、それに替わる新しい小隊の隊長をやるように。ここで、グングニルでやりたいことがあるなら、権限と責任のある立場が必要だからってね。そういう話を、ナギがピンポイントでついてきたから、つい──」