ナギはナギで、絶望するサクヤこそが場違いだと言わんばかりだ。間の抜けた疑問符を吐きながら、軽快にシチューポットパイをたたき崩していく。
「……あの湖は、スワンの狩場としては規模も鉱山からの距離も申し分ない。ただ、リスクも高い。ただでさえ魔ガンが使えない水中で、あの低温。ニブル濃度は言わずもがな。時間が経てば経つほど周辺のニーベルングも増えてくる」
「そうだね、そうなるね」
「それに舞台装置が整ったからって、主演がこちらの思惑通り動いてくれるとは限らない。むしろ、可能性は極めて低いと考えられる。……だから、時間の許す限りはこれ以外の方法を模索するつもりだった」
「でも、ないでしょ? 他に。時間もないしね」
ナギは相変わらず、食事を摂りながらあっけらかんと言い放ってくれる。確かに失敗要因など挙げだしたらきりがないし、それをひとつひとつ丁寧に取り除けるような時間はない。掘り出した狩場は、気候とニブルで刻一刻とこちらに不利な戦場になってしまう。
「……そういう悪条件下で、君は単独行動を強いられる。いいの? 結構な貧乏くじだ」
「貧乏くじはあなただってばっ。私は別に、悪条件だとは思わないけど? 私は、私自身とみんなを信頼してる。だからうまくいくと思ってる。あとはサクヤが、私のことを信じてくれれば、問題はだいたい解決かなと」
サクヤは呆気に取られて言葉を失った。随分ごり押しのナギの意見に、なぜかこれ以上反論できる気がしない。正体不明の説得力に気圧されて、結局笑いを吹き出してしまった。
「そういうことなら、問題は始めから解決してるよ。僕は君を信頼してる」
半分残ったシチューポットパイを置いたまま、サクヤは席を立った。
「サポートは僕がする。君は無傷で帰すし、スワンも討つ。だから君の力を貸してほしい。君のことは必ず守るよ」
頭を下げる。はじめからこのつもりで、意を決してここへ座っていた。こんなことをしなくてもナギの返事は間違いなくイエスで、もっと言うならそもそも事前に話をしなくても彼女は当然のように役目を引き受けたろう。
そういう結果いかんに関わらず、自分を信頼してもらう方法がこんなことくらいしか思い浮かばなかったのだから情けない。根拠と保障のなさに関してはナギと同レベルだと思うのに、どうも自分の宣言のほうが格段に胡散臭い気がする。なぜだろう。
「ナギ、どうしたの」
自らが醸し出す胡散臭さに首をかしげながら、反応のないナギの方を見下ろした。今度は彼女のほうが口を半開きにしてかたまっていた。
「どうしたって……、いや、もういいです。どうもしないです。こっちはサクヤの力を借りっぱなしだったから、ようやく少しは返せそうでほっとしたと思ってただけ。湖周辺のニーベルングについては、サクヤが責任もってなんとかしてくれるってことでいいんだよね?」
「? うん、そう」
ナギが極上の苦笑いを浮かべる。サクヤはナギのそのまっとうな反応に疑問符を浮かべたまま、しずしずと席についた。スプーンを握るつもりはもうないらしい。手書きで新たにニブル湖の存在を書き込んだ周辺地図を広げ、思考は既に作戦の細部に及んでいるようだった。
放置されたシチューポットパイを一瞥して、ナギはそのときその瞬間の思いつきを口にすることにする。
「ね、サクヤ。もう一度賭けをしない?」
「賭け?」
たったの一語でサクヤの思考をこちらに向かせることに成功した。
「そう。次の作戦で、より等級の高いニーベルングを討ったほうの勝ち。負けたほうはまた何か一つ願い事を聞く」
「それって……」
言うまでもなく、想定される討伐対象の最大等級は、アルバトロス級のスワンだ。嘘みたいなタイミングで、旅行なり放浪なりをしていたアルバトロス級の何某が飛来してこない限りは。つまりナギは、どちらがスワンを討つか、という単純な賭けを持ちかけているのだ。
「いいよ。つまり、君が誘導してきたスワンを僕にも討つ権利があるってわけだ」
「また自信満々」
「そうでもないよ。やり方次第で君にしか討てない状況だって作れる。もちろん、作戦の本旨はスワンの討伐だから、そこから逸れないように注意は必要だけど」
「それはもちろん、重々承知してます」
「君から言い出すってことは、何か願い事があるの?」
「ある。結構大変なやつ」
ナギは、意味深に含み笑いをこぼすだけで、具体的な内容については今は語らないつもりらしい。
「これはちょっと、頑張らないとまずそうかな」
「サクヤは? サクヤは何か私に頼みたいこととか、ある?」
それがないと賭けが成立しない。後から考える、ではどうも心もとないから、無いなら無いで今決めてもらうつもりでの確認だった。サクヤは小さく唸って、ほんの少しの間、考えるそぶりを見せた。
「……あるにはある。君だけに頼むようなことでもないけど。ついでに言うと、けっこう大変な部類かもしれない」
「じゃあ内容的にも釣り合いそうかな。……あ! これ以上サクヤの事情に首つっこまない、は駄目だから。それはもう、前回のやつで契約が済んでる案件だから」
「あはは、契約って。それはしないよ。だいたい、君は興味本位で他人のことを根掘り葉掘り問いただすような性格じゃないだろ? 権利は適切に行使されてるよ。不満はない」
「そ、そうかな。だったらいいんだけど」
調子が狂う。ちょっとくらい非難されても仕方ないと思っていた局面で、褒められたり感謝されたり、サクヤのレスポンスは毎回悉くずれている気がする。それが嘘でも演技でもないことがひしひしと伝わってくるから、余計に訳が分からなくなる。こういうのが世間では「天然」という位置づけになるのだろうか。それも何か、安直すぎる気がして考えるのはやめにした。
そうこうしている間に、サクヤのほうが先に席を立った。食事や作戦の構想に区切りがついたからに他ならないが、彼のトレイに載った、まだ水深のあるシチューポットパイを目にして、ナギは不満を持っていた。顔には出さずに置く。当然指摘もしない。スワンの討伐が無事終わるまで、そのあたりの要望は喉の奥にとどめておくことに決めた。
「この緊迫した空気にそぐわない作戦名だけ、どうにかならない? ……“シチューポットパイ作戦”」
ニブル湖のほとりで身体を震わせながら、ライアンはどうでもいい愚痴を吐く。何か話していないと寒さと緊張で、今の倍以上は小刻みに震えられる自覚があった。同じ状況で同じ服装のはずなのに、サクヤは隣で悠長に笑っているだけだ。
「そうかな。僕は結構気に入ってるけど。シチューポット・パイ作戦」
穏やかに、かつ的確に訂正を入れるサクヤ。確かに昨日の会議で、彼は執拗に「パイ作戦」のイントネーションを「大作戦」みたく寄せていた。こだわりがあるらしい。それを感じて、ライアンは小声で「パイ作戦」のみ言い直す。
「そういうことじゃなかったわ。つまりな? 気に入るとか、入らないとか、そういう話じゃないじゃん、作戦名って。一言で、的確に、関わる全員が作戦の全体像がつかめるような……」
「うん、その点においては完璧だっていう自負がある」
意図せず、サクヤは緊迫した空気に合わせた生真面目な表情になった。ちがう、そうじゃない──ライアンは胸中でやはり適当につっこむだけにとどめる。このとんでもなくどうでもいい会話は、寒さと緊張を和らげるためのデモンストレーションであって、実質的な意味はない。白い息をまき散らしながら適当に笑って、適当に時間をつぶすことこそが目的である。