視線は眼前を飛び交う三体のイーグル級ニーベルングに注がれていた。二人は湖から少し距離を置いた針葉樹林に身を隠して、仕留めるタイミングを見計らっている。彼らは今まさに、サクヤが提案した“シチューポットパイ作戦”の最中にあった。
概要はこうだ。まず、スワンが眠る鉱山側の地底湖表面に蓋をする。蓋の素材は、耐火、耐衝撃性を備えたグングニル機関御用達のアンドバラナイト。彼らの制服ジャケットにはじまり、手袋からブーツに至るまでおおよそすべての支給品に用いられている例の液体金属だ。その耐久性に関しては、使用者である自分たちが保証人である。その「蓋」の準備が整い次第、このニブル湖に集まってしまったニーベルングを一掃。ナギが潜水し、スワンの眠る地底湖まで辿り着き、氷を吹き飛ばすための爆雷を設置、帰還する。その後は、ニブル湖側へスワンが現れるのを祈ったり願ったり渇望したりするという流れだ。
「最後のほうがイチかバチかっていうのが、サクヤっぽいというか気が抜けるっていうか」
「僕もそう思う。でも、キャプテンとナギが言うには、コストパフォーマンスの高いやり方らしいから」
「当たればでかいだろうけど……ローリスクかあ?」
「……こっちの被害はアンドバラナイトの微々たる出費と、ナギが風邪ひくくらい、だそうだよ」
「言われるとそうねぇ。もしかしたら、風邪もひかないかもね。あのお嬢さん」
ライアンの視線が、数十メートル後方で念入りな準備体操に明け暮れるナギに移される。他の隊員たちと何やら談笑しているふうだ。もしかしたら自分たちよりも、よほどリラックスしているのかもしれない。
「な、サクヤ。もし聞いちゃまずいことなら、暇つぶしの一環だと思って聞き流してほしいんだけどさ」
声の調子が先刻とは変わったせいか、サクヤがニーベルングの監視をやめてこちらに振り向いた。
「あれのこと、ほんとはどう思ってんの?」
ライアンの視線は未だにナギたちのほうに固定されている。準備体操を終え、何人かで寄り集まって「おしくらまんじゅう」を始めていた。
「あったかそうだなあと思うけど?」
「いやいやいやっ。分かっててごまかしたろ、今。何が楽しくておしくらまんじゅうの感想なんか聞くよ? 俺は、俺の持ってる感慨が正しいのかどうかを知りたかっただけ。……協力は、まあある程度、できると思うからさ」
気を利かせてか、どんどん小声になっていくライアンに対して、サクヤは申し訳なさも相まって困ったように苦笑した。
「ライアンが思ってるのとは、たぶんちょっと違うと思うよ」
「……え、そうなんか? いや、だって」
「彼女の人柄も能力もとても魅力的だと思ってる。でも、そういう対象として考えたことはないかな」
「ああ……そう? それならそれで、別にいいんだけどさ。……いや、良くはない、か? サクヤさ、そういうことならちょっと態度を改めたほうがいいぞ。お前のふるまいは傍から見ても当人から見ても──」
「しっ、ライアン。無線」
世間話の域を超えたあたりで、タイミング良く作戦開始を告げる無線が入った。鉱山側の地底湖には滞りなく「蓋」がされたようだ。これが済めば、もう凍えながら待機する理由はない。
「さあ、打って出よう」
サクヤの手招きで、潜んでいた(一部はおしくらまんじゅうに勤しんでいた)総勢三十名が、魔ガンを手に針葉樹林から躍り出た。単純計算で一体あたり十名で応戦する、余裕のある人員配置だ。が、それは今集結している数の話であって、時間がかかればかかるほど、ニーベルングは際限なく増えていくと考えられた。
威嚇と装甲破壊を狙った魔弾のいくつかが、見当違いの場所で空しく爆ぜた。それが開戦ののろし代わりとなる。食事だか補給だか、あるいはニブル浴だか知らないが、とにかく憩いの時を思い切り邪魔されたニーベルングたちの応対は実に好戦的だった。
「追い立てて全部サクヤかダンに集めろっ。湖に落とすなよ!」
「退避させるな! 仲間呼ぶぞ!」
怒号と魔弾とニーベルングがそれぞれ飛び交う中、ナギだけが湖の西側に回り込んで、戦況を見守っていた。アルバトロス級を仕留めるには格好の舞台も、イーグル級三体にはいささかフィールドが広すぎる。想定通りに撃ち落とすために、想定以上の時間をくっていた。それでも一体、二体と黒い煙をあげながら林の奥へと墜ちていく。
ようやく三体目、と一息つこうとしたところ、その爆発が湖の中央上空で起こったことにすぐさま苦虫をつぶす。湖に落ちても別に構わない。ただ、そこはニーベルングにとっていわゆる回復の泉というやつに他ならない。墜ちたふりをして、タイミングを見計らって水中の獲物を仕留めようと画策することもできる。
(まあそううまくはいかないか……)
ナギは仕方なしに、憂いを残したまま湖にダイブした。その直前、凄まじい爆撃が連続して三体目のニーベルングに直撃して、湖の外へ亡骸を押し出したのが見えた。引き金を引いたのが誰かは何となくわかる。バーストレベルの高い魔ガンはそういう使い道もできるのか、などとぼんやり感心して泥水よりも濁った水中をかきわけた。
ナギはニブルについてもニーベルングについても、とりわけ博識というわけではなかったから勝手な想像ではあるのだが、この湖のニブルは既に飽和状態にあるように感じられた。それでも、灰色に濁り切っていたのは水面近くだけで、水深が深くなればなるほど本来の透明度に近づく。奇形ではない魚がちらほら、ナギの横を通り過ぎて行った。
(まずは地底湖までの連絡通路を探さないと……)
湖の端に沿って泳ぎ、スワンが通ったと思われる馬鹿でかいはずの横穴を探す。最悪でも湖の円周をひとまわりすれば見つけられるはずだ。しかし、それはできれば避けたい。潜水服に身を包んでいても時間と体力に限りはある。そしてそれは、水の外で応戦する隊員たちにも須らく当てはまることだ。
水中にまで轟く籠った爆発音が、ニーベルング第二陣の襲来を告げていた。
意を決してさらに深く潜る。水温は一層冷たく感じられた。かくして、求めた横穴は、列車のトンネルのような規模であんぐりと口を開けてナギを待っていた。激流でもなければ、複雑な道でもない。さらに言えば、ナギは泳力も基礎体力も並以上にはある。冷静さを欠かなければ、今すぐに命を失うようなことはない。理解は理解として、心臓は勝手に早鐘を打ち続けた。
そこは何人をも拒む、暗く冷たい世界だった。外界とのつながりのように思われた魔ガンの爆撃音も、今はもう聞こえない。酸素を吸い込み肺に送る、肺から送られた二酸化炭素をまた吐き出す。いつもより早いその繰り返しの音だけが、ナギが今いる世界の構成音だ。スワンの氷まで辿り着き、爆雷を起爆させるまで、その定められた静寂が続くはずだった。
声が聞こえて、ナギは水を掻くのをやめた。耳をすませる。明らかに早まった鼓動音しか聞こえてこない。そして繰り返される呼吸の音。暗闇。極寒。孤独。死の気配。それらが待ち構えていたかのように一挙に攻めてきた。ナギは大きく深呼吸して、もう一度水を掻く。そのときまた、はっきりと声が聞こえた。空気の振動ではない、ナギの世界をまるごと包み込むような確かな声が。
ナギが潜水した後、ニーベルングはどこからともなく次々とニブル湖に飛来して、自分たちの新たな安息の地を守ろうと躍起になっていた。湧いて出る、とはおそらくこういうことを言うのだろう。第五陣の二体が飛来したのを機に、サクヤは上空を見上げて一度魔ガンをおろす。
「どうした!? ニブルに当てられちゃったか?」
何の前触れもなく機能停止したサクヤの身を案じて、ライアンが慌てて合流してくる。それをサクヤは片手で制した。
「渡り鳥みたいだなあって」