「うん! そうだな! 間違いない! よっしゃ、感想それだけなら配置に戻ろうな!」
「ユリカモメ隊っていうのは、どうだろう」
「はあ? ユリカモメ……あ? まさかこの期に及んで命名権の話か!? なんでもいいよ! っていうか今じゃなくていいだろう! 片付けないと続々集結してんぞ!」
「分かってる。湖面で討つから後片づけを頼むよ」
高いバーストレベルを最大限生かして、できるだけ一撃で仕留めたい。圧倒的力量差を見せつけておきたい。当然仲間に対してではない。ニーベルングたちがこの場所を放棄するしかなくなるように仕向けることができなければ、この消耗戦は半永久的に続いてしまう。
ナギはもう、スワンの元へ辿り着いただろうか。少なくとも湖面付近にいるはずはないから、誤爆はありえない。ジークフリートの一発は、水柱を立てながら湖面をかすめて、猛るニーベルングの腹を吹き飛ばした。
「あちゃー……」
「あー! 沈む沈む! 撃って~! みんな撃って~!」
おそらくは絶命しているであろう腹に穴の開いたニーベルングに、皆一斉射撃を試みる。先刻のサクヤのように、湖の外へ鮮やかに押し出すなんて真似は到底できない。とにかく撃って、撃って、「おそらく」でなく「誰がどうみても絶対」死んでいる状態に追い込むしかない。その光景が、どうにも不快だった。そしてその不快さを、撃たれる側のほうが痛切に感じるのは道理である。
穴だらけのぼろ布のようになって、ニーベルングは静かに湖へ落ちた。それをもう片方のニーベルングは距離を置いて空中で見守っていた。追撃しようとするライアンを制して、サクヤはその動向を見守ることにした。
「おわ、逃げていってる、な」
「警戒だけして、これ以上の追撃は止そう。まだメインイベントが残ってる」
戦闘が止むのを待っていたように、細雪が降り始めた。氷の粒が、静まり返った湖面を目には見えない程度に微かに揺らす。幻想的ではあった。しかしそれは、ここではいつも不要な産物であった。世界が美しければ美しいほど、人の営みが否定されているような気分になる。利己的な理由でしか引き金が引けない、愚かで醜悪な生き物だと思い知らされる気がしてしまう。
「ナギ、大丈夫だよな?」
寒さで鼻の頭を赤くして、ネスが小走りに合流してきた。
「……やばいと思ったら、無茶はしないだろ。待つしかないよ、俺たちは」
戦闘が落ち着いたのを察して、他の隊員たちも続々と寄り集まってきた。安堵もあろうし疲労もあろう。誰ともなしに焚火を囲んで、弾の補給と体力回復に時間を充てる。
戦闘開始から八十分が経とうとしていた。湖面の一部に波が立ったのを目ざとく見つけて、サクヤはロープを抱えて駆けだす。隊員の何人かが、毛布だのタオルだのを持って慌てて後を追う。湖面から顔だけを出したナギに、まずは無言でロープを投げた。それを手繰り寄せて、自力で這い上がってくるくらいには体力は残っているらしい。見たところ、大きな怪我もなさそうだ。
岸に上がりきる直前、伸ばされた手がサクヤのものだと気づくと、ナギの青くなった唇が心無しが綻んだように見えた。
「お帰り。状況は?」
「説明、しづらい。結果だけ言うと、爆雷は仕掛けてない。……魔ガンもたぶん、必要ない」
「どういう意味──」
ナギが振り向いた先に、サクヤも視線を奪われた。ナギの身体を支えていた手に力が入る。本能的に危険を察知して、彼女の身体を背中側に押し込めた。必要ないといわれた魔ガンも反射的に抜く。
湖がさざめき立っていた。湖面がゆっくりと盛り上がり、灰色の島のようなものが出現した。氷越しではない、間近に見るスワンの頭部。そこから胴体につながる、鞭のようにしなる首。徐々に全貌を露にする巨塔の姿を、サクヤも他の隊員たちもただ唖然として見守るしかなかった。水飛沫が滝のように降り注ぐ。
ナギは爆雷を仕掛けていない。それにも関わらず、今この場にスワンがいるということは、氷の檻はスワンが自力で突き破ってこれる程度の厚さしか残っていなかったということなのだろう。それは実際に潜ったナギなら目視で確認できたはずだ。では、魔ガンが必要ないというのは──? それを実証してくれたのも、やはりスワンだった。
スワンの瞳に、馬鹿みたいに口をあんぐり開けて佇む自分たちが映っていた。映っていただけでおそらく一切の興味はなかったのだろう。その瞳は、辺り一面の雪景色と、白くかすんだ境界の曖昧な空を映しとって、静かに閉じられた。そして静かに、厳かに、長い首を一直線に空に伸ばす。
サクヤはジークフリートの引き金に指をかけていた。この体勢でニブルを吐かれたら、その被害たるや災害規模に達してしまう。そうなる前に首を飛ばす算段だった。しかし、後は引き金を引くだけの状態のまま、サクヤはまたもや眼前の光景に心を奪われてしまう。
オオオオォォォゥゥ……──スワンの口から漏れ出たのは、ニブルではなく、か細い咆哮だった。オオカミの遠吠えのような低く、長い、どこか哀しい空気の振動。余韻が完全にかき消えるまで、サクヤは魔ガンを構えたままで微動だにできずにいた。
そのまま無音の数秒が過ぎた。
「死んでいる……のか」
天を仰いだままスワンは動かない。氷漬けだったオブジェは、場所と形を変えて再びオブジェに戻る。新鮮味と既視感がせめぎあう。
「スワンは、ナギを追ってきたの?」
「追ってきた……っていうより、ついてきた、っていうか」
「結局、わからないまま、か」
スワンの行動の真意は謎に包まれたままになった。本来なら誰にも見とがめられないような地底湖の底で、氷のオブジェになるまで眠りについてニブル発生装置と化す。スワンの吐いたニブルで、このあたり一帯のニーベルングは随分楽をして生き永らえたことだろう。
それが結果だ。現象と現象をつなぎ合わせただけの歪な真実。理由や目的をそぎ落として提供される可視化された共通理解。この世界では、それがやたらに重宝される。
「ナギはどうして魔ガンはいらないってわかったの? こうやって見ても、スワンが弱っているようには僕には見えないけど」
「信じてもらえないとは思うんだけ、ど」
そこまで口にして、ナギは自分の涙に驚いて口を閉ざした。感情が高ぶったわけではない、至って冷静だ。それでも得体のしれない涙がひとりでに溢れてくる。
驚いたのは本人より、それを目の当たりにしたサクヤのほうなのだが、彼はそれをおくびにも出さず、ナギが話し始めるのを待った。
「ごめん。同情してるとかじゃない。……声が、聞こえて。何を言ってるとかそういうのは分からないんだけど、ただ、放っておいても時期に死んでしまうんだってことはなんでか、凄くわかって」
「……思念みたいなものなのかな。僕には否定はできない。ニーベルングを信奉するわけじゃないけど、実際のスワンを見たら……何か僕らとは次元が違う生き物のように思える」
聳えたつスワンの亡骸を見上げる。最期に何を思って咆哮をあげたのか、ナギが流す涙の意味は何なのか、考えずにはいられない。感傷に浸りたいわけではない。
サクヤは思い知っていた。この世界は虫食いの真実の積み重ねでできている。自分もそのジェンガの建造に知らず加担している一人なのだろう。自覚をしてしまったら、整然と積み上げなおしたいと思うのが道理だ。生まれてきた世界のことくらい、死ぬまでに知っておきたい。単純で、健全で、純粋な好奇心だ。
「作戦終了。……帰って、あったまろう。このままだと顔も凍ってしまうし」
ナギの涙の跡を、分厚い手袋をつけた親指の腹で何度かぬぐう。その一連の行為を遠巻きに見ていた隊員たち、の代表としてライアンが深い嘆息とともにしゃしゃり出てきた。
「サクヤ、何も考えてないのかもしれないけど、ほんとそういうとこだから。あと作戦終了はロマンチックにささやくように言うもんじゃなく、声張って全体に聞こえるようにお願いします」