extra edition#7 靴はなくてもワルツは踊れる


「中央大隊所属のバルト・ガリアス少尉? どうも、すいませんねぇ。なんか、休暇中にいらん仕事させてしまったみたいで」
「えー、そちらは、えー」
「グングニル機関本部二番隊隊長アサト・ブラックウェル大佐です。『うち』の『これ』が、なんかわかりませんけど、とりあえず迷惑かけたでしょう?」
「いや、アサト隊長。僕も今日は非番で……」
 今更ではあるが、バルトにも概ね状況は呑み込めてきている。グングニル機関のエリート部隊長の名は官民問わず、轟きわたっているからバルトがその名を知らぬはずもない。その男を「隊長」と称すからには、このちょっと恰幅のいい肝の据わった若者の正体は知れたものである。
「なんだ、そっちのほうがプロだったのか。一杯食わされたな」
「すいません少尉。非番の日は魔ガンを持ち歩けない規則なんで……」
「ぐだぐだ言ってねぇで、いいから行けよ。俺の“ヴァルター”貸してやるっつってんだろ!」
 サクヤは、アサトの魔ガンを無理やり握らされたかと思うと、そのまま大層な勢いで尻を蹴られてテラス席に追いやられた。尻をさすりながらすごすごと配置につくサクヤ、相棒らしき隊員が苦笑しながら後を追う。異様で緩やかな時間が流れていた。カフェテリア内に流れていたクラッシックのワルツが場に絶妙に合っている。
「……普段そんなに自己主張するような奴でもないんですけどねー。報告時から、あの二体は同時に討つって念を押してきやがりましてねー」
 部下二人が戦場に出ていったのを見送ると、アサトはサイフォンに淹れっぱなしになっていたコーヒーを自分とバルトの分準備して、窓際の席を陣取った。他の隊員たちも各々見晴らしの良い席にかけて、討伐の様子を見物するようだった。興味のないものは談笑にふけこんでいる。異様で緩やかな時間が流れていた。
「あんな少人数で対処できるもんなんですか。それに軽装というか、一人はパンツ一丁ですが」
「いやいや、それ言うならお宅も相当ですよっ。魔ガンなしにニーベルングにここまで対処できる人間は稀ですから。恥ずかしながらグングニル内にはまずいない。俺たちは“これ”がないと一般人以下のダボ集団ですからね」
 アサトは親指と人差し指をたてて軽く振る。彼らだけに使用権限がある、対ニーベルング用の特殊兵器を指すものと思われた。アサトの仕草ほど簡単に撃てる代物ではないように感じる。一発かすっただけで、榴弾砲に煽られたくらい吹っ飛んだのだ。直撃していたら間違いなく死んでいた。
 あのレベルの兵器を、自己判断で撃てる時点で一般人の感覚とは程遠いはずだ。
「ご謙遜を」
「いやいや、これが結構マジな話で。魔ガン不所持の際は原則応戦しないようにたたきこまれる。で、あいつはそういうのをすぐ破ってくるから本気で面倒くせぇ」
 アサトの視線が窓の外に移動するのに合わせて、バルトも討伐ショーを見守ることにした。悪趣味なショーだ。ほんの数分前まで生きるか死ぬかの瀬戸際にいたはずなのに、今はただの窓ガラス一枚が鉄壁に見える。
 窓の外では完全に錯乱したニーベルングと、その後ろで蹲って伏せたままのニーベルングが主演の三文芝居が繰り広げられていた。エンディングは仲良く同時にあの世行き、という演出にこだわっていたようだったが、実際は少しずれた。敢えてそうしたのかもしれない。サクヤのパートナーらしき隊員が先に、手負いのニーベルングを撃つ──ニーベルングは一発で火だるまになった──それを合図代わりにして、サクヤは極限まで暴れ牛に接近、その懐に滑り込んで顎下から一発を放った。温泉の景観を損なわないように配慮したのだろうが、魔ガンという名の爆弾発射装置を自らの周囲で使えば、当然自分も巻き添えを食う。風船を思い切り割ったときのような容赦のない破裂音とともにニーベルングは跡形もなくなった。
 それが窓越しに俯瞰で見た、一部始終だ。実際は、そんなに綺麗な終わりではなかっただろうことはある程度想像はつく。細切れになったニーベルングの肉は、ぼたぼたと生々しい音を立てて降り注ぎ、泥の中に埋もれていったようだった。
 カフェテリア内で歓声が沸き起こる。
 サクヤは当然のように利き腕を火傷していたが、そんなことは取るに足らない事象のようだった。あるいは日常茶飯事なのかもしれない。意にも介さない様子で、再び泥パックを全身に施していた。そうだ、確かここの泥は肌の炎症に即効性があるとか謳われていた。
「おい、何人か消化手伝いに行ってやれ。ユキノー、ここの泥は炎症にもいいらしぞー。後で浸かって帰ろうやー」
「必要ありません。消化が済んだら帰ります」
「あーそうですかー。……最近の若い奴ってなんでこう付き合い悪いんでしょうねぇ。酒も全然飲まねぇし。バルト少尉は? どう? 休暇を台無しにしたお詫びに奢りますよ、サクヤが」
 アサトが片手で酒を飲む仕草をしてバルトを誘う。
 視界の中ではまだ黒煙が上がり、窓を開けた瞬間肉の焼ける音と臭いが場を支配した。談笑をするような雰囲気ではないはずで、これを大団円と呼ぶにはあまりに異様な光景だった。


 強烈な記憶ではあったが、それでもところどころ細かいところは忘れている。それでも、自分よりも一回りほど年下の青年に、その立ち振る舞いに、強い興味関心を持ったことだけは確かだった。
 一通り話し終えると急に気恥ずかしさがわいてきて、バルトは誤魔化すためにお茶のお替りをアンジェリカに申し出た。
「ひょっとして、バルト少尉をグングニルにご招待したのは、あのブラックウェル大佐?」
 情報通のアンジェリカも、バルトの入隊経緯なんてものにまでアンテナを張っているはずもないから、これは初耳だった。思わぬ人物が、思わぬ大物につながっているものだ。この糸を手繰るのがアンジェリカの趣味であり特技である。バルトの他愛ない昔話は、アンジェリカにとっては興味深い内容だった。
「そうだな。口をきいてくれたのはあの人だ」
 実を言うなら、そのまま二番隊に所属させようとしていたのをぎりぎりのところで断ったという経緯もある。アサト個人のことは嫌いではないが、「二番隊」というヒーロー像がバルトにはいささか重く感じられた。その重圧すら、二番隊の連中はうまく飼いならし、利用しているようだ。自分は良くも悪くもその域に達しない自覚があった。あのとき感じた正しい異様さを、失いたくないとも思っている。
「それにしても……やっぱり接点があったんですね、彼と」
 アンジェリカが珍しく、我慢できずに含み笑いをこぼす。
「カップルは一緒に送ってやろうっていうのは、いかにも彼らしいですね」
「あー……いや、どうもな。そういうのとは、ちょっと違うらしい。あいつの中では、因果応報がもう少し具体的に想像されてたっつーか。ある意味宗教チックな考え方だとは思うんだが」
「因果応報?」
 バルトの口から似合わない単語が飛び出した。アンジェリカも思わずオウム返しである。
「サクヤの仮説では、ニーベルングは俺たちとは違うコミュニケーション手段を持ってるんじゃないかと。鳴き声とか、フェロモン? とかいうのか? そういう類の、もっとぶっとんだやつだ。連中の目的意識みたいなのは、俺たちが思う以上に完全に『共有』されていて、そのネットワークの中に『負の感情』みたいなものも含まれるんじゃないかってな」
「つまり、サクヤさんの持論では、ニーベルング一個体に対するグングニルの対応は、すべてのニーベルングに共有され得る、と?」
「ん? ああ、まあそれだ。そんなようなことを言ってた気がするな」
「なるほど。誠意ではなくて、報復を避けるためのセレモニーだった」
「そこまで断言すると、レベルの高い人でなしみたいに聞こえちまうから……、誠意もあったと思うぞ、うん。……いや、どうかな。言ってて自信がなくなってきたな。話してるとどうもあいつ、ときどき胡散臭いところがあるよな?」