extra edition#8 時には路地裏で夜会を


 八番隊が今抱えている討伐対象“トラツグミ”──その非正規に近い、わけのわからない類の討伐任務を遂行するにあたって、サクヤはまだ何の解決策も用意できていない。
 そのニーベルングは決まって夜、野営の小隊を狙って襲う。それも見張りの交代時や、用を足している僅かな時間などに限られており、応戦したはずの隊員ですらその姿をはっきりと捉えていないというお粗末さだ。
 この地味で堅実な脅威を打開すべく、八番隊に白羽の矢が立った。その俊敏さ、被害の軽微さから、おそらくバーディ級によるものだろうとは予測してはいるが、それすらも未だ実証できていない。毎夜、八番隊から少数精鋭で囮の野営を見繕っているのだが、見透かされているかのようにここには出没しないのである。火を絶やさなければ現れることはなく、暗闇の中では現れてもその姿を捉えることができない。何の報告もできないままに、かれこれ二週間が過ぎている。そのうえ、先日リュカとバルトの組がようやく遭遇、交戦した際に、現場から「焼きトウモロコシ」が見つかったせいで、八番隊は討伐任務にかこつけてキャンプを楽しんでいるなどと非難を浴びる始末だ。ちなみに、その前日にはサクヤ自身も夜行性の昆虫採集に勤しんでいたから、この件に関しては文句のつけようもない。
 会議室に扉を開ける。示し合わせたように同時に、二人の口から深い溜息が漏れた。


 一方、そのころのマユリ。誘われた廃屋で迎える二日目の午後。
 衣食住は保障されており、休息の量もおそらく適切だと思われる。が、監視の目がとにかくすさまじい。定められた時間内でマユリが少しでも手を止めようものなら、容赦なく「制裁」が飛んでくる。そういう意味では、軟禁状態にあるといってもよさそうだった。
 廃屋の古びた床に間に合わせのラグマットを敷いて、その上にありとあらゆる工具と部品が並べられている。マユリはその中央で、露天商のごとく胡坐をかいてノルニルのダウンデートに努めていた。彼女の半径3メートルに足の踏み場はない。本人以外からしてみれば、それは並べられているというより、整然と散らかっているという印象である。
「素朴な疑問なんですけど……」
 マユリがふと顔をあげた。その瞬間を見計らってシグは引き金を引いた。
「つめたぁっ!」
「手が止まってる」
 ソファーの陰から魔ガンを構えたシグが、事も無げに言って顔を出した。正確には魔ガンのような装飾の水鉄砲、を構えたシグだ。見た目は魔ガンにしか見えない。マユリの作品のひとつで、彼女の個人工房──既に一番隊にガサ入れされおり、現在はもぬけの殻である──から予め持ち出しておいた代物である。シグはどうやら、いや絶対にこの水鉄砲を気に入っている。事あるごとに理由をつけては、マユリの顔面めがけて引き金を引いていた。それも、ノルニルや周囲の部品群に被害が及ばないよう、きっちりマユリの顔サイズに収まる水量に調節して、である。
 マユリが丸一日かけて学んだことと言えば、シグの恐ろしいまでに正確な命中精度と、性根のゆがみ具合のみだ。
「口と手って同時に動かせるって知ってた? 疑問点は作業進めながらで」
「休憩ですよ! 長時間労働、事故の元!」
 水滴だらけになった眼鏡をはずして、マユリはフグ口を作った。
「疑問って?」
 いつの間にか玄関口でサクヤが苦笑を漏らしていた。隣には疲労困憊のナギの姿もある。トラツグミの討伐会議でさんざんたたかれてきた直後だろうから、シグも珍しく気を遣ってソファー席を空け渡した。
「何のためにここまでするのかな~って。あたしがいてもいなくても、ジークフリートさんの隊はきっとうまくまわりますよ?」
 サクヤだけがジャケットを脱ぎながら、定位置になりつつある一人掛けソファーに腰を落ち着けた。背もたれにはどういう原因でそうなったのか分からない、こぶし大の穴が空いているのだが、サクヤに特に気にした様子はない。
「そうだなあ、ひとつはタイミングかな。あのまま放っておいたら、君は間違いなく二度と、魔ガンともラインタイトとも関われない生活を送ることになっただろうから。ただでさえ入れ替わりの激しいグングニルの中から、有能な隊員をみすみす放出するのはいかがなものかと思ってね」
「ヘッドハンティングってやつですか?」
「ははっ、そうだね、それが一番の理由。僕が自信を持てるのは適材適所くらいのものだし、それに君には、八番隊が合っていると思うよ」
「……そうかなぁ。ジークフリートさんのことは、そんけーできますし、魔ガンの使い方もきれいだし、でもなあ……毎日百発百中で水鉄砲くらうのは、ちょっとなあ……」
「隊長、今さらっと腹の立つ謙遜しましたよね? あと、あんた完全に俺のこと毛嫌いしてるよね?」
「それはシグがマユリをいじめるからでしょ」
 一旦姿をくらませていた調停係が不意に現れる。そしてすぐさま、場に漂っていた自由すぎる空気を、そのてんでばらばらな思考と志向──おそらく嗜好もそうなのだろうが──を、ある程度統一感のある方向へ促す。
 ナギが嗜めるようにシグの頭部に乗せたのは、人数分のカップが乗ったトレイ。それとグラスハイムで行列ができるチョコレート専門店の菓子箱だった。ちょうど新市街と旧市街の境界に店を構えているから、こういう機会でもないと立ち寄ることも難しい。ましてや時間を食いつぶして行列に並ぶことはもっとできない。
「うわ、暇人」
 菓子類に興味がないシグのような男にも、その菓子箱が意味する諸々は伝わってしまうらしい。内心子供のように胸を躍らせているくせに、すまし顔で店の前に並ぶナギの様子がいとも簡単に想像できてしまう。
 見透かされているのが分かるから、ナギも懸命に反論したりはしない。多少恥ずかしくなったのを誤魔化すために、厳めしく咳払いなんかはしてみたが。
「集中力アップといえば、チョコレートかな~って思っただけでしょ」
「ブリュンヒルデ様ぁ! さすが分かっていらっしゃる!」
 まだ濡れたままの眼鏡を手に持ったまま、マユリは突進気味にナギに抱きついた。これには戸惑う。ナギも、シグも、サクヤでさえも。
「う、うん? それ私? とりあえず休憩にしたら……と思うのだけど」
「ブリュンヒルデ様の匂いがする~。高貴な鉄と鉛の匂い~」
 マユリはナギの胸部に顔をうずめながら、鼻をすんすん鳴らしている。かろうじてハグという名の行為に留まっているだけで、公然と行われるにしては割と、いやかなり常軌を逸した光景だ。
「え! それ私のこと!?」
「……高貴な鉄と鉛のにおい」
 シグがわざわざ復唱して真顔のまま笑いを吹き出すという、こちらも無駄に難易度の高いことをやってのける。その間の抜けた空気音のおかげで我にかえったのか、ぼんやり観察していたサクヤが、ようやくマユリをひっぺ返しにかかった。
「マユリ、彼女はブリュンヒルデじゃなくてナギ。今のはその、魔ガンのほうの感想だよね……?」
 フォローに回ったつもりである。確認のために嗅ぎまわすわけにはいかないから、これが精いっぱいだ。
「そりゃもちろんそーですよ。ブリュンヒルデ様から鉄と鉛の匂いがしたら、大問題でしょ」
「だからそれだとわけがわからないから……」
「逆にですよ? 名前で呼び合っているのって、何かポリシーがあるんですか? ……私あまり、好きじゃないです」
 皮肉を口にしたつもりは毛頭なかったのだが、それが場を和ませるような発言でなかったことは、マユリもすぐに気づいた。それも正直な感想なのだから、撤回するのも違う気がする。
「……いつか無くなると分かってるものに、愛着がわくのは、嫌というか」
 いろいろ試行錯誤を重ねたうえで補足をしてみたのだが、これが言ってみるとまた逆効果だったことがわかる。マユリの言葉は尻すぼみに消えていった。