ACT.10 カウントダウン ゼロ


  どんなに濡れてもスモッグなしの生の太陽は短時間で乾かしてくれる。それは沈みかけた西日でも同じことだった。遊び疲れて4人は 仲良く並んで座る。砂浜に尻もちをついて、今度こそのんびりと夕焼けの海を眺めた。
「やべぇ~……俺今じ~んとしちゃってるよ。夕焼け空ってこの色なんだよなぁ、いっつも気がついたら夜だから忘れてたけど」
「朝も昼もねえもんなロストシティ(あそこ)じゃ。太陽もなけりゃ月もねえし、ここだと星とか見えんのかな?」
「それは流石に無理でしょ……。少ないだけでスモッグはあるんだから」
男たちのロマンチストな考えを容赦なく叩き潰すことが現実主義の女の役割だ。反論したいところだったが、見たこともない“星”に そこまで執着心も持てず、男たちはあっさり口をつぐんだ。想像上の月やら星やらよりも目の前の真っ赤な太陽は圧巻で、文句無しに 美しかった。暫くは沈黙を保ったまま赤一色の風景を眺める。
  空が、紅い。海が、波が、砂浜が、そして互いの頬さえも紅く照らされている。
「なあなあっ、夢の語り合い大会しようぜっ。夕陽の下で今後の展望を告白すんの、青春くさくて良くね?」
「夢ぇ!?また一番不釣り合いなやつ持ってきたな」
  ノーネームは普通将来の夢などを語りあったりしない。理由は至って単純、彼らは誰より現実の厳しさを知っている。遠い将来を 夢見ることよりも近い明日を生き抜く方法を考えることの方が彼らにとっては重要だった。実際、ジェイが冗談だとしてもこうして 口にするまではレキも、他の二人も考えたこともなかったのである。
「俺はさー、かわいい奥さんもらっていっぱい子供つくって……そうだな、晴れた日には弁当持ってピクニックとかしちゃったりして」
各々で想像してみる、がかわいい奥さんもその子供たちもジェイに対しては究極に不釣り合いなものばかりで皆失笑する他なかった。
「しけてんなーお前、言いだしっぺの割には」
「育ちが育ちだし……貧しい想像力しかないんじゃん」
せめて“ささやかな幸福”と解釈してほしいものだ、言いたい放題のレキとユウだが、ジェイも半ば図星のため言い返すこともできない。
「ま、でもある意味で一番難しいのかもな、それ」
他人事のように軽快に笑いとばすハルに、ジェイが恨みがかった目つきでバトンを渡す。
「……じゃあハルはどうなんだよ。もう一回警官目指す、とか?」
「冗談っ。もうこりごりだよ、警察官なんて」
いろいろな出来事が高速で頭を駆けていって、ハルは苦笑いをこぼした。
  4人のうちユウを除く男3人は、実のところ幼少期からのくされ縁だった。その頃には既にノーネームとして生きていたレキとジェイ、 そして相反して富豪の一人息子だったハル、言わばお坊ちゃまだった彼が、生きるために様々な軽犯罪を二人して行っていたレキと ジェイを、正義感気どりで追い回していたのが3人の出会いで、始まりだった。やがてハルの両親がブレイマーに殺され、彼自身が ノーネームとなった。暫くしてレキとジェイは自由を求めてロストシティへ、ハルは警察官になるべくユナイテッド・シティへとそれぞれ の道を進んだ。
「結局ノーネームじゃそういう職業は無理なんだよな。能力があっても後ろ盾とか財力とかないとさ……。……そうだな俺は、ヒーローに なりたい。正義の」
際立った他者の反応がない。かと思えばレキが小馬鹿にしたように顔をそむけて噴き出した。リアクション的には小さいが無性に 腹立たしい、ハルが露骨に口元をひきつらせた。
「だせぇよ、それっ。何とかレンジャーとかってことだろ?」
こちらもジェイに負けず劣らずの乏しい発想力である。ヒーローといえば何とかレンジャーというのがレキの中では鉄則らしい、ほぼ 決定事項のような言い回しで再び失笑をかました。
「ハルマキマンとかでいいんじゃない?ちょっと油っこそうだけど」
ユウの余計な補足に、今度は皆なかなか具体的に想像したらしく顔を顰めた挙句、ハルを同情的な目で見つめた。
「じゃあそこのお二人さんはどうなんだよっ」
そこのお二人さんが同時に顔を見合わせる。そして同時に、肩を竦めてみせた。
「俺は楽しく生きれりゃそれでいーや、なりたいもんもやりてーことも別にないし」
「じゃああたしもー」
「なんだそれ……」
レキらしいと言えばそうで、ユウらしいと言えばかなりそうだ。結局ハルだけが、言いだしっぺと話の勢いに乗せられた結果になって しまったようで、つくづく要領の悪い自分に深々と嘆息した。不意にレキが立ち上がる。
「そろそろ帰ろうぜ、日も落ちる」
ジャケットのポケットの中に冷えた両手を突っ込んで、中にあるギン(バイク)の鍵を弄んだ。ユウも立ち上がってクロの鍵を取り出す。
「また来ようぜ、4人で。夏にな」
夏にどうしてもこだわりたいらしい、ジェイの提案に皆適当に生返事をして道路脇に停めてある2台のバイクのもとへだらだらと足 を進める。さっさとエンジンを吹かすレキを余所に、ユウはまだ道路に出るための階段付近で立ち止まり、海を見ていた。気づけば ジェイはちゃっかりギンの後部座席に座っているし、ハルは運転手のいないクロの前で立ち尽くしている。
「ユウ、何してんだよ。帰るぞっ」
エンジン音にかき消されまいと声を張り上げてその背中を呼ぶレキ。
「……空への光、か」
「ああ?何だって!?」
ずいぶんガラの悪いお兄さんだが、ギンの激しいエンジン音の中では仕方のないことである。ユウが残りの階段を軽快に上がってクロに 跨った。レキが首をかしげる。
「何なんだよ」
ユウはお構いなしに鍵を回してクロを唸らせる。ようやく立ち往生していたハルも後ろに座った。
「何でもない。帰ろ」
再び首をかしげながらも、レキはグリップを回してスタートを切った。確認しなくてもユウのバイクはぴったりと付いてきている、 そのことは心地よい二台のエンジン音で分かった。互いのバイクの音は飽きるほど聞いているせいか、レキにとってはギンとクロの 唸り声は一種の音楽のようなものだった。並んで走る銀色のバイクと黒色のバイク、沈みかけた夕日はそのどちらも眩しいほどに照らし ていた。

  ―ガン!!―響きもしない鈍い音がレキの拳を伝って全身を回った。目の前の夕日に照らされた海と波の音はレキに遠い日の思い出を 連れてきたのだった。回想が止んでもその光景は変わらないし、波は義務のように寄せて、返す。
  何もかもがうるさく感じた。墓石を力任せに殴りつけたところで、この苛立ちや憎悪や、後悔は消えない。打ち付けた右手の指から 赤黒い血が滲んだ。レキはこの岬、墓石の前に座り込んで、しびれた右手で彫ってある文字を辿った。
―アイラ、享年47歳、ここに眠る―
たったそれだけの短い文章、その文章がレキを打ちのめした。望みもしない涙が知らない間に流れていたのを、墓に雫が落ちてから 初めて気がついた。哀しみや同情などではない、果てしない憎悪が水となって、あるいは血となって拳から、流れていく。
  すべての辻褄が面白いくらい合っている―予想と覚悟はあったはずなのに、この墓石はそれさえも粉々に砕いた。そして何も言わない。 レキがこの女・アイラに会って聞きたかったことの全てはこの石とこの文字が葬り去ってしまった。左手で握っていた紙切れのような ものが音をたてて潰れていく。
「くそぉ!!……何で……!!」
再びレキの右手が墓石にたたきつけられる。鈍い音と悲鳴のような嗚咽、そしてやはり変わらない波の音。何一つ調和しない。握りつぶした 右手の紙切れをゆっくり広げると、それは白い封筒―手紙だった。随分古く、茶色く風化した紙、その封は切られている。開封も随分 昔のようだった。
「あなたは絶対に誰かを愛してはだめよ、愛されるのもだめ。約束してちょうだい、レキ」
今も鮮明に覚えているあの言葉―母親が最後にレキに残した言葉が頭の中でぐるぐると回っていた。