ACT.11 トライアングル


「相棒もへばってるだろ?ブレイマーは雨……だめだからな」
気怠い体と気怠い声で、レキはあっさりそう言った。何を意味するかはシオにも察することができる。レキが雨を嫌がる理由は理屈 ではなかったのだ、強いて言うなら体質、本能だ。ブレイマーが雨で溶解し、蒸発することは既に実証されている。それ故雨を降らす 術を持っているアメフラシが今の世で重要視されているのだ。
  シオは急に不安げな目をレキに向けた。
「あ?溶けねぇよ、流石に俺は。怠いけどな」
シオが目を丸くする。まだ何も言っていないのに、先を越されて返答されてしまった。どうやらある意味でレキともメモ要らずの会話 が成立するようで、シオは嬉しさを噛み締めた。と言うより、レキとの間は言葉、文字や音声全てひっくるめて、それらが先行しない。 仕草や視線、空気が二人の間の意志疎通を可能にしていた。
「止まないな……」
端から見ればレキの独り言でしかないそれは確かにシオに伝わり、シオの無言の相槌もやはりレキに、伝わっていた。二人は黙って空を 見続けた。

  舞台は一転して雨降らしの隠れ里より遥か南西、ユナイテッドシティ-。  先のブレイマーの大群による急襲の処理に追われるユニオン本部で、男は大量の資料と報告書に囲まれながら、その薄い数枚の プリント引き抜いて眺めていた。レキとシオの顔写真、そして同記された詳細な個人情報-男、ユニオン大佐の肩書きを持つイーグル は飽きるほどそれらを見返していた。
  コンコンッ-不躾に硬いノックの音が響く。返事をしないでいると扉は開かれないまま、外から声だけが通った。
「申し上げます。“鉄の翼”完成が予定よりも三日ほど早まるとのことです。スケジュールの調整のため、一度あちらに連絡をとるように と」
「分かった……と伝えてくれ。下がって良い」
短い返事の後、足音は遠ざかっていく。イーグルの眉間の皺は深く、濃くなる一方だ。報告は彼にとって訃報では無かったが、朗報とも 言い難いものだった。
「鉄の翼か……救世主かただの金食い虫か……」
乱雑な机の上にあるその資料を興味薄に見やる。
  黒く光外壁は地上700メートル、その先端には同じく黒々と光る風読みの機械が左右にボディを広げている。あたかも漆黒の翼を 広げたような、重々しくそれでいてどこか幽玄ささえ思わせる塔。“完成予想図”を示された紙にはその写真が大きく載せられていた。 そして“翼”の生え際、塔の屋上には巨大な砲台が設置されている。円柱型の塔の直径からはみ出した砲は、我が物顔でそこに座って いる。
  “鉄の翼”完成-それが何を意味し、また何を変えるのか、事実は間もなく結果として姿を現そうとしていた。再び、ノックが響く。
「何だ」
今度は一応返事をした。が、先刻と同じくドアは開かれなかった。
「ポイントBより報告です。例のノーネームチームは西の砂漠に向かう模様。不確かですがジャンクサイドを目指すものと思われます」
素っ気のない天気予報のような言い回しだが、今までの報告や資料よりもイーグルの心を動かす。会心の笑みをゆっくり浮かべた。
「何をするつもりか知らんが……ジャンクサイドか。追いつめやすい場所だな」
独りごちて、ドア越しに部下に近づく。珍しくイーグルから扉を開けた。予想外の出来事に慌てて敬礼を作る隊員をつまらなそうに一 瞥する。
「ジャンクサイドに向かう。指示通りに部隊を編成し直ちに出発。……砂漠は暑くなりそうだ」
「はっ!」

  相反する二者が冷戦状態を保つのは極めて難しい。例を挙げるとフレイムとデッド・スカル、この二チームの均衡は全てフレイム側、 とりわけレキの的確な判断に寄るところが大きい。今までレキの信念と努力を以てして、やっとのこと保たれていた膠着状態もここ最近 では破られるのも時間の問題という感じだ。どちらが先に仕掛けてもおかしくないところまできてしまった。
  それに対して敵対する三者間で均衡を保つことは、さほど困難ではない。寧ろ破ることの方が難しいと言って良い。三竦み状態は、 自然に成り立つものである。ユニオンがフレイムの動向を追えば、またそのユニオンの動向そ探る敵対勢力もある、ということだ。 それがブリッジ財団、ブレイマーを商品とする巨大勢力である。
「……くだらんものを作ってくれたものだな、狸共が。あんなものを撃ち込んでブレイマーを全滅させる気か?市場に政府が口を挟む ものじゃあない」
代表であるブリッジは独り言を言っているわけではない。隣にはシオの実姉、財団に切り札として捕らわれているアスカが居る。が、 彼女は沈黙を保っているため実質独り言とそう大差なかった。
「キャノンをクレーターに発射させるわけにはいかない。それだけは避けねば。……ガキ共を行かせるか。棄て駒だ、万が一死んでも 差し支えない。いや……好都合か。そろそろ利用価値も無くなってきたところだ。クズどもには勿体ない花道を提供してやろうじゃない か……」

 「なんだこの地図……アバウトだな」
ナガヒゲに手渡された古い地図を掲げてレキが呟く。舞台は再び診療所、シオが作った温かいシチューを貪りながら連中が里での最後の 確認作業に入っていた。とっぷり日は暮れ、夜になっても雨はしつこく降って窓の外の風景を歪めている。
「意外だな、地図読めんのか?」
「全然?でも何も描いてねーもん、アバウトなんだろ?」
ゴミのように無関心に放り投げられた地図をエースがキャッチ、数秒経たない内にレキと同じように放り投げてしまった。持ち主で あるナガヒゲが怒り半分に慌てて受け取る。
「なんだそりゃ、地図じゃねーじゃねえか。ガキの宝探しじゃんーんだぞっ」
呆れた物言いのエースとは対照的に、宝探しと聞いてジェイが顔を覗かせる。期待は裏切られたらしい、ジェイでさえも半眼で肩を 竦めた。地図(ナガヒゲはあくまでそう言い張る)には方角を示す記号と一面黄土色の土地、そして西の隅の方に“JUNK SIDE” とあるだけだ。宝探しにしてもお粗末過ぎる。
「立派な地図じゃ。持っていくが良い」
「いらんっ!何威張りくさってんだ、どこのお偉いさんだっ」
エースが苛つくのも無理はない、あてもなく砂漠を歩かないで済むかと思えばとんだ肩すかしである。最後の晩餐になるかもしれない と思い、エースは先陣を切っておかわりに向かった。
「まーまー。無いよりはマシじゃんっ。ジャンクサイドって街に行けばいいんだろ?人が住んでんだから迷うことないって」
やたらにニンジンが目に付くジェイの皿、どうやら故意によけているらしい、その作業に追われる彼を横目にレキもラヴェンダーも そそくさと二杯目を求めて鍋の方へ向かった。ついでにシオも、席を立つ。
「今は無人じゃ。ロストシティと同じじゃよ、かつては大都市として栄えとったらしいが、ブレイマーの巣窟な、今は」
「はあ?ブレイマーがうじゃうじゃ居るってことかよっ。んな奴らの別荘にわざわざ行くってこと!?」
「まぁそうなるな」
エースが完食、ジェイをたしなめるようにスプーンを投げ置く。ジェイ以外は何となく気付いていたから今更特別驚かない。ラクダも 絶滅した死の砂漠に、定住している人間がいたならそっちの方が逆に恐怖だ。
  同じ食卓を当然のように囲んでシチューをすするブレイマーを、ジェイは混乱した頭で見つめた。シオの手料理を満足そうに皿ごと 舐め回すブレイマー、毒気を抜かれたのか呻りながらもジェイはニンジンをひたすら端によけ続けた。
「そこに居るのもお前みたいに菜食主義者だったらいいんだけどなぁ……」
「肉食でしょ、思いっきり」
ラヴェンダーも完食、席を立つついでにジェイにとどめを刺す。真剣ぶって嘆息をかますジェイ、その横を気付かれないように通り 過ぎて、ナガヒゲは最後の一杯を自分の皿になみなみと注ぎ、何食わぬ顔で食事を続けた。