ACT.11 トライアングル


  フレイムメンバー5人、ブラッディ・ローズ1人、彼らは己の浅はかさを心底呪った。例えばナガヒゲがもう少し、後ほんの少しでも 役立つ地図を調達していてくれたなら、この呪詛大会は勃発しなかったはずだ。嘆いても悔やんでも、無いものは無いし状況は変わらない。
「暑い!!2メートル以上離れて歩けっつってんでしょ!臭いしむさいしうざいのよ!!」
言うまでもなく散々な言われようの相手はジェイだ。ラヴェンダーもジェイも上着を脱いで腰に巻き付けている。その腰が、また暑い。 多量の発汗とこの煮えたぎるような空気のせいで臭いはあるだろうが、それはジェイだけではない。ラヴェンダーの場合、半分は暑さ 故の八つ当たりだった。
  砂漠-説明はおそらくそれだけで事足りる。サンセットアイランドでは砂浜を踏みしめる度にいちいち感動していた何人かも、今や このサクサク感に怒りを覚えるほどだ。世界中を覆っていると思われた光化学スモッグもここでは影も形もない。太陽の自己主張は どこよりも何よりも凄まじかった。生きとし生ける者を平等に照らす暖かな光、というよりは生きとし生ける者を片っ端から丸焦げに してしまおうみたいな悪意すら感じる。熱と光の悪魔は彼らを見失うことなく、一定の距離で監視を続けた。
「……5分以上脱ぐなよ、火傷すんぞ。紫外線もきつそうだしな」
レキの忠告も聞こえているのかいないのか、テキパキと髪を後ろに束ね始めるジェイ。こういうとき普段やかましい奴に限って早々に ダウンするものだ、セオリー通りジェイやラヴェンダーは極度に静かだった。たまにヒステリックなわめき声が聞こえる程度だ。
  行けども行けども砂の山ばかり、真っ直ぐ進んで来たつもりだがそれも怪しかった。エースが、テンガロンハットをシオの頭に乗せる。
「被っとけ。倒れるぞ」
エースの方がよほど倒れそうだが、有無を言わさずそのまま歩き続ける。流石に煙草を吸う気にもならないようだ。最も今ここで ライターなど点火しようものなら全員から非難囂々である。
「ちょっと!!おっさん!えこひいき!」
見苦しすぎる。エースのジェントルマン精神とやらは、もうお一方の女性にはお気に召さなかったようだ。帽子ひとつで目の色を 変えられるとは思っていなかったらしくエースも肩を竦めた。
「あ、じゃあラヴィにはこのヘルメット……」
「次半径1メートル以内に入ったら殺すから……」
「うるせーなぁっ、黙って歩けよ!ただでさえ体力削られてんのに」
「水飲みてぇなぁ~おい、レキ、休憩しようぜ、休憩」
「さっき隠れて飲んでたろ、エース!!」
「うわっ!出た!!最悪~!」
しばし間-。
「うるせえ!!」
ジャキ!-広大な空間の割にコッキング音が馬鹿でかく響く。協調性のキの字もない後方連中に、遂に御上の我慢の限界が来たらしい。 レキが振り向く前に瞬時に口をつぐんだスズメたちは、先刻の言い争いもどこへやら仲良く肩を寄せ合って愛想笑いをかました。レキが 深々と嘆息しながら再び銃を懐にしまう。
「もう10分歩いたら休憩な。あー、エースは水分補給すんなよ」
なんだかんだで皆の会話は聞いていたらしい、あっけらかんと言った後、怒りの背中を向けてまた黙って歩き出した。ジェイと ラヴェンダーのいかにもな「ざまあみろ」の視線を浴びながらエースもダラダラと足を進めた。
  街らしきものは一向に見当たらない。それどころか人工物ひとつ、虫一匹いない。あるのはただ果てのない砂原とゆらゆら揺れる 陽炎、そして頭上の悪魔的存在だけだ。その全てがレキたちを阻んでいるように見える。錯覚も、こう全員が同じ考えを抱いていると あながち幻想でもない気がした。
  ジェイがペットボトルの蓋を軽快に開ける。
「シオ、水」
自分が飲むのかと思えば、後ろを歩いていたシオに手渡す。今度はラヴェンダーの仕様のないひがみも出てこなかった。シオからボトル が返ってくると、すぐにラヴェンダーの方へ歩み寄る。彼女は生気のない目でジェイを一瞥すると、差し出されたボトルを黙って 受け取る。
「次はハルに回してよ。あんたと間接キスなんて死んでもゴメン」
ラヴェンダーの必要以上の冷淡な台詞もジェイは適当に流す。いつものようにオーバーリアクションで返す元気と余力がないらしい、 彼女が飲み終えた後のボトルを言われた通りハルの方へ差し出した。
「いいよ、先飲めよ」
「とか言ってさっきの休憩も飲んでねぇだろ?俺の分も飲んでいいから飲んどけよ、無理すんな」
ハルがきまり悪そうにボトルを受け取る。これぞ本物のジェントル精神だ、ハルは一回目も、二回目の休憩でも水分補給をせずにその分 をシオとラヴェンダーに回していた。
  と、くそ暑い中ジェイが顔を寄せてくる。
「……つーかラヴェンダーまで水回さなくていいって。……絶対倒れそうにねえし」
声を限りなく潜めてはいるが、生暖かい吐息がハルの耳たぶに湿気を伴ってかかる。それを扇ぎながら失笑した。
  後方がいろんな意味で生ぬるいことをやっている最中、エースは決意の眼差しを携えて先頭のレキに駆け寄った。
「レキ、ひとつ提案がある」
あからさまに不信感たっぷりの眼差しをエースに向けるレキ。半眼のまま提案とやらを待つ。
「……水ならダメだぞ」
「そうじゃねぇ、今この無謀な旅路についてだ。俺なりに脳細胞フル動員で熟考してみたんだが」
至極真剣な顔つきを向けるエース。対照的にレキの方は唖然として肩を竦めていた。
「……暑さでイカれちゃったのか?」
休憩と一応名付けているものの安らぎなどは微塵もない。歩いているか、足を止めているかの違いだけで摂ったばかりの水分は容赦なく 汗腺から流れ出ていくし、エースの言う脳細胞とやらも照りつける太陽のせいで、止めどなく死に絶えていっている気さえする。無駄な 紫外線を浴びながら、レキは虚ろに続きを待った。
「昼間ってのは太陽アレが出てる時間のことだよな。夜になりゃあ引っ込むわけだよな?」
「脳細胞死滅したんじゃねえの……?」
男二人で見つめ合って体内から汗を排出させる。砂の上に幾度と無く落ちるものの目にも留まらぬ早さで蒸発して跡形もなく消えた。 深く長い溜息の音、それはエースのものだった。脳細胞が悲惨な死を遂げているのはレキの方だということがこの時点で判明する。
「だからだな、日が沈んでから移動して昼間は日陰作って休んだらどうだ?不毛だろ、真昼に歩いても」
その不毛さは証明せずとも明らかだ。ふと辺りを見回すと、一週間便秘に苦しんでいるかのような前屈みで全員覇気のない表情を晒して いる。二つ返事で提案は呑まれるかと思いきや、目に見えてレキの眉間の皺が濃くなった。
「エース……何でもっと早く言わねぇんだよ!!時間も体力も無駄遣いしちまったじゃねえかっ。集合!今から日陰探し!」
座り込んでいた連中がその一言で立ち上がる(かなりのスローペースだが)。この気温で更に頭に血を上らせると、それこそどこかの 血管が破裂する畏れがあるが、レキはお構いなしに息を荒らげて四方に目を走らせた。言い出しっぺのエースは承諾されただけで満足 したのか、ろくにキャンプ地を探しもせずのんびりレキの後をつけた。他の者も皆虚ろに遠方を見やる。
「ねえ、とりあえず今日の夜は休んで移動は明日の午前中にしない?日陰探しもそれからで十分じゃん?……この辺にはないと思うし」
さほど時間も経たない内に新たな提案者が出現する。今度はレキもあっさり頷く。それもそのはず、日陰どころか視界には砂山以外何もない。 一面黄土色の粒が広がっているだけで真っ青な空とのコントラストが鮮やかだ。
「もうちょい歩いて休めそうなところ探すか。見つかったら今日の移動は終わりな。ほら、へばってないで立てよ」
太陽光を反射してジェイのヘルメットが、ミラーボールのように目映い光を放っている。今これをいつもの調子で小突いたりするのは 自殺行為だ、景気づけに叩こうとしたレキも寸前で察して手を止めた。