ACT.11 トライアングル


  ジェイが途端に微動だにしなくなる。ラヴェンダーも背中を向けたまま怒鳴りも喚きもしない。
  現在の見張りはレキとジェイ、その次はエースとシオの番だから彼女が起きている理由はない。ついでに言えばこんな真夜中に着替 える理由は更にない。着かけで止まっているのはいつものジャケットだし、着替えとも言えないだろう、みるみる無表情になるジェイに とどめは一瞬でくだされた。
「どうした?サソリでも出たかー?」
ラヴェンダーのものではない、低い、男の声がする。再び慌て始めるラヴェンダーとは対照的にジェイの顔は強ばっていた。筋肉が凝固 したと言った方が正しいのか、まぬけなくらい無防備に二人の方を見つめた。
  聞き間違いなど万が一にもあり得ない。そう思ったからこそジェイは一気に距離を詰めた。もはや確認など無意味だ。声の主はエース で、ジェイを目に入れるや否や子どもの悪戯がばれたような苦笑いを浮かべる。ラヴェンダーの諦めたような溜息とほぼ同時に、彼女の 視界をジェイが横切った。真っ先にエースの襟元を掴み上げる。これにはラヴェンダーも目を丸くした。
「おいおい……っ落ち着けよ。言い訳くらいさせろって」
エースは相変わらずマイペースな苦笑いで両手を挙げている。
「……何考えてんだよエース」
「だってお前不健康だろ?たまには運動しねえと」
少しも悪びれない言いぐさであっさり事実を認めるエース、これが火に油を注ぐ結果となった。普段はマッチほどのジェイの怒髪天の 炎も、油さえあればどこまでも燃え上がるのである。掴んでいた胸ぐらを離したかと思うと、全く加減無しとばかりに上半身ごと右腕 を振りかぶった。エースの顔が引きつる。
「ちょーーっと!」
パンッ!-うまい具合にぎりぎりでジェイの拳を受け止めると冷や汗をかきながら作り笑いをする。
「待てって。とにかく一度落ち着いて話をだな……って!」
二撃目は不意打ちのせいでかろうじてしゃがみこんでかわす。再び空振りに終わった怒りの拳に、ジェイも苛立ちを顕わにして歯を 食いしばった。
  暴走気味のジェイを目の前にして、唖然としていたラヴェンダーがここでようやく口を挟む。
「ちょっと!あんたがキレる理由なんかないでしょ!?関係ないんだから口出しして来ないでよ!」
ジェイが彼女の方へ視線だけを送った。いつもの穏やかで朗らかな目とは180度逆の冷えきった視線を。言い切ったラヴェンダーの方が 一気に勢いを無くした。
「(あちゃ~、言わんでいいことをわざわざ……)」
しゃがんだままで頭を抱えるエース、ジェイが一端ラヴェンダーの方に向き直る。
「本気で言ってんの……、それ」
「ほ、本気に決まってんでしょ。あたしが誰と何しようがジェイにとやかく言われる筋合いなんか……」
「……ふざけんな」
立場はいつもとまるっきり正反対だ。そして空気も、そこに渦巻く感情もいつもの何十倍激しく、痛い。
  ラヴェンダーは明らかに戸惑っていた。彼女の知るジェイが今、この場所にはいない。それをようやく理解しはじめる。
「ラヴェンダー、俺のこと何だと思ってんだよ……。俺が好きだって言ったとき、お前何て言った?」
ラヴェンダーは口をつぐんだまま開かない。忘れたわけではない、がその言葉の意味と重さにはたった今気付いたようなものだ。 泳ぐ視線を悟られないように、伏せた。
  一方、しゃがみこんだままの体勢で、エースは矛先が自分から逸れたのを認識して胸をなで下ろす。
「『三年我慢してみせろ』って言ったんだよ。言葉なんか宛にならねぇから証明して見せろって。そう言ったよな」
返事はない。
「これが答えなわけ?」
畳みかけるようにジェイの鋭い言葉は放たれる。ラヴェンダーの伏せられた目が、ジェイを見ることは無い。その唇も固く閉ざされ ている。
「……可能性が無いならあの時きっぱり振られた方がマシだったよ。2年も無駄にしなくて済んだんだもんな。……こんな形で裏切られる とは思ってなかったけど。しかも……エースに……!!」
「(またこっちかよ!)」
安心しきっていたところに自分の名前を挙げられエースがびくつく。が、今度はあの無意味な取っ組み合いには発展しなかった。
  それが始まりか終わりか、静夜に一発の銃声が響く。けたたましい火薬の音、その方向へ目を向けるとレキがリボルバーを天高く 向けて突っ立っている。かけっこかなんかの合図でやる、あのポーズだ。とりあえず全員の注意を引くことはできた。
「また派手に闘りあってんな。痴話ゲンカってのが情けねえけど」
決して冗談めいた風ではない。証拠に目はこれっぽっちも笑っていなかいし棒読みだ。
  銃声を聞きつけて、寝ていたハルとシオも駆けつけた。
「……ジェイ、フレイム掟第三条は分かってるよな?」
どれが一条でどれが三条かなど、ここにいる全員知る由もない。が、レキの言わんとすることは理解できたらしく、ジェイはただ黙って 頷いた。
  フレイム的民主主義-ひとりはみんなのために!みんなはひとりのために!とかいうあの掟のことだ。レキはフレイムメンバー同士の いざこざを認めない。(この際かなり自分のことを棚に上げているようだが)とりわけ殴り合いまで発展したものには必ず介入した。
「言っとくけど俺はジェイには手ぇ出してねえぞ」
これみよがしにエースが無実の罪を主張するのを適当に流して、レキは持っていたリボルバーを二人の足下に放り投げた。
「……何回かやってるから分かるだろ。これでケリつけるぞ」
  シオが驚愕の意を示して咄嗟にハルに説明を求めた。銃一丁をぶん投げてケリつけるなどと言われれば、誰でも彼女と同じ想像をする ものだ。女性陣以外は、レキの意図を悟って渋い顔つきで了承していた。
「ロシアンルーレットって分かるかな。あの中に一発だけ弾込めて……って今入ってるのは銀玉かなんかだと思うけど、とにかくそれを 順番に回して引き金を引く。弾が入ってる弾倉引いた奴が負けってこと。……メンバー間で揉めた時なんかによくやるんだ」
シオは安心したのか不安を増したのか、曖昧な笑みで視線をレキたちに移した。
  了承したものの納得はしていない、ジェイが不服そうに地面の銃を見つめる。
「勝った奴のやりたいようにしていいってことだよな?」
「おー。俺が負けたらケンカの続きでも殺し合いでも好きにしろよ」
はっきり言ってレキが参加する必要は微塵もない。てっとり早く二者間でトリガーを引き合えばいいものをわざわざ面倒くさくする。
  レキはこれが好きだった。ケンカ両成敗やら平和主義やらを掲げてはいるが、実際のところ単にこのスリルとゲーム感覚を味わいたい だけなのである。ジェイとエースが険悪な中で、一人場違いなまでに喜々としていた。
「いつも通り弾は一発、こめかみに向けて引けよ」
当事者が頷く。シリンダーを軽快に弾いて回すと、ジェイに手渡した。弾倉は6つ、2ターン退けられれば勝ちだ。逆に言うとぶち 当たる確立も高い。ジェイは引きつったままの顔でゆっくりと自分のこめかみに銃口を突きつけた。
「……やるぞ」
緊張した空気が広がり、皆が息を呑む。身長に人差し指を曲げながら、ジェイは自らの行く末を案じて固く目蓋を下ろした。そして 一気に、引く。
カチッ!-静寂にただほんの一瞬、引き金の音が響いた。それだけで他には何もない。ジェイがゆっくり目を開けると、見守っていた 連中もどっと息を吐いた。まずはセーフ、確率は五分の一となる。
「何回やっても慣れねぇな、この緊張感は」
余裕を見せて憎まれ口などを吐くエース、至って落ちついた様子で銃口を押し当てる。あっさり引くかと思いきやポーズを取ったまま 数秒間が過ぎた。
「バン!!」
レキの突然の雄叫びに皆体を震わせる。とりわけ前のめりになったのは言うまでもなくエースだ、未だ引いていないことを確認して 青筋を浮かべた。
「殺すぞ!!」
「早く引かねぇからだろー。つまってんだから急げよ」
エースが恨みがかった視線をくれた後、ジェイ同様視界をシャットアウトして引き金を引いた。
カチッ。-音と同時にギャラリーから感心そうなどよめきがあがった。これで確率は四分の一、不利な順番にも関わらずレキはにやけ ながらエースから銃を奪い取る。