ACT.1 ロストパラダイス


  東スラムの日常はだいたいいつもこんな感じだ。
昼間は街をぶらぶらして必要な物資を調達(あえて方法には詳しく触れないが)、他チームと運悪く顔を合わせたら時間、場所選ばずすぐさま抗争、 たまにバイクを転がしてたまにレース、そして勝ったら宴会、この繰り返しである。
東スラムはそれでなくてもフレイムとブラッディ・ローズという二つのチームが混在しているから面倒が絶えないのに、これに西スラムや北スラムが加わると厄介だ。
西スラムにはサンダーを首領とするチーム「スパークス」が根城を張っているし、北スラムには「デッド・スカル」、シバを頭とする残虐集団がいる。
とりわけデッド・スカルはフレイムにとって目の上のたんこぶ、鼻の中のニキビ、同じ箇所にしつこくできる口内炎よりも邪魔な存在だった。
そしておそらく向こうもフレイムをそう思っているはずだ。
 仲間意識が強く信頼で成り立っているフレイムに対して、デッドスカルは真逆の在り方をとっている。
個々のやり方重視で、非道も裏切りも奴らには当然、他者を踏み潰してでも自分が生き残ろうとするのが首領、シバのやり方だ。
敵対精神は今やピークを迎えており、それでも互いの緊張状態を保ち、冷戦状態を維持している。
それがこのロストシティの唯一の秩序、暗黙のルールのようなものだ。
 そこに集まる少年たちはほとんどが皆「ノーネーム」と呼ばれる孤児だ。
自分一人生きていくにも困難なこのご時世に親から捨てられた子は多く、また親が早々に亡くなるケースも少なくない。
ロストシティを今のような廃墟にした「ブレイマー」により親を殺された子供もその例である。
その大半はファミリーネームを持たず戸籍もない、ひどいときには名前さえない子供もいる。
その子供たちを総称して、政府は彼らのことを「ノーネーム」と呼ぶようになった。
生きるために犯罪を、暴走を繰り返す彼らを蔑視するための呼び名に他ならない。
「はぁーあ、にしても住みづらいっつーか、生きにくい世の中だよなぁ。ブレイマーももうちょっと選んでから襲撃するとかしてくれりゃあな。 ポリスだけ喰っちゃうとか、政府のお偉いさんだけ喰っちゃう、とか」
「不味いんじゃねえの?ある意味選んでんだよ」
「……心配しなくてもブレイマーもジェイなんか喰わねーよ、くせーし」
言われてジェイが自分の作業服を嗅ぎ回す。確かに臭いが、酒の臭いだか何だかよく分からず首を傾げる。
ついでに最後に風呂に入った日を思い出そうとするが、ずいぶん記憶を遡ることになりそうなのでやめておいた。
「いーよ、もう。臭さでブレイマーが撃退できるならいくらでも放ってやるさ!」
「だからラヴェンダーにふられんだよ。臭さでブレイマーが逃げてくってある意味ただ者じゃねぇもんな……」
レキの呟きは急所を突いたらしい、ジェイは顔を梅干しのようにくしゃくしゃにしたかと思うと部屋の隅に分け入って、体操座りで泣き始めた。
哀れに思ってか、クイーンがその極太の腕で優しくジェイを撫でてやる。レキにしてみればクイーンの的を他にそらすための良いカモだった。
クイーンに抱きつかれ続けて凝った肩を回していると、シャッターの向こうから誰かが足早に賭けてくる音が聞こえる。
そうこうしている内に唐突にシャッターが押し上げられた。
レキが訝しげに下からのぞき込む。
「やってんじゃん!レキ、見たぜレース。あいかわらずすげーのな、ラストのドリフト」
不躾に倉庫内に入ろうとする男を、レキが慌てて押し戻す。
倉庫にはもう入れるスペースはないし、余分な酒もない。
何より、この男を入れてやれない理由がレキにはあった。 男と一緒にレキも外へ出て、後ろ手にシャッターを閉める。無論男はレキのこの態度に不服そうな面もちだ。
「なんだよ、いれてよ。別に邪魔したりしねぇよ、オレだってフレイムの一員だろ?」
レキよりも少し幼い、だが整った目鼻立ちは誰かによく似ている。レキがこれみよがしに嘆息をぶちかました。
「いつ誰がお前をフレイムに入れるっつったよ。何度も言ってんだろ、ほら帰れって」
男の顔つきが一気に険しくなる。小さく舌打ちを漏らしてレキから視線を逸らした。
「こっちだって何度も言ってんだろーがよ!何でフレイムに入れてくんねーんだよ、新しい、知らねぇ奴は入れてたろ!?」
おそらくはゼットのことを言っているのだろう、確かに彼はゼットよりもはるかに前からフレイム加入の旨をレキに話していた。しかし、返ってくる言葉はいつも同じだ。
「エイジ、お前が今のままならフレイムには絶対入れてやれねぇ。……クスリは仲間壊しかねないからな、やめたら考えてやるよ」
フレイムの、レキの信念だ。彼、エイジを拒否する理由はそこにある。
レキの頑なな態度にエイジは完全にへそを曲げて、近くにあった灯油缶を思い切り蹴り飛ばした。そのままレキをにらみつけて踵を返す。
レキはレキで辛抱がきく方ではない、エイジの露骨な威嚇に二、三青筋を立てていた。灯油缶を蹴りたいのはこっちだ、が近くにないので地団駄ふんで怒りをごまかした。

「……ローズんとこのクソ坊主か?懲りねぇなあいつも」
どこから湧いてきたのやら、エースが煙草を吹かしながら半ばあきれ気味に登場。おおかた外で一服中に二人がもめ始めたのを見て、身を潜めていたのだろう。 面倒ごとと熱血漢が苦手な男である。
レキが恨めしげにエースの残り少ない、短い煙草を見やる。
何を勘違いしたのか、エースは煙草の箱から器用に一本押し出して、レキの顔の側で振った。レキがやれやれとばかりにそれを押し返した。
「俺たちのとこじゃなくてローズに入れてもらやぁいいじゃねえか、俺があいつならそうするね。バッカだなぁあいつ。毎日ヤリ放題」
エースが、さもくだらないと言わんばかりに新しい煙草に火をつけながら独りごつ。 面倒ごとと熱血漢は嫌いだが、煙草と女は絵に描いたように大好きなエースのことだ、本音だろう。
「ローズも手ぇ焼いてるみたいだったな。ブラッディもうちと一緒でクスリやんねぇ主義だから、まず入れねぇだろ。……つーか弟、こういう集団に入れたくないんじゃねぇ?」
「なんじゃそりゃ、十分ぐれてますっちゅーに。甘やかして育てっからクソ生意気なんだな、ブラッディの頭の弟ってだけでずいぶんデカい面してやがるからな、一回しめとくかっ」
やけに楽しそうに眼を輝かせるエースに、レキが軽くすねを蹴る。
「冗談だって。俺はいろいろ忙しいんだ、ブラッディのねーちゃんと楽しいことしたりな」
「ブラッディー……今からか?」
「中の奴らには、エースは飲んだくれて寝ちまったとでも言っとけ。お前も行くならバレねぇようにしろよ」

  ここであえてフレイムの掟三箇条を紹介しておくとしよう。
その一はレキも言っていた通り《酒は飲んでもクスリは飲むな!》、破った者は即刻チームからさよなら、というなんともわかりやすい処罰だ。
その二、これが微妙なのである。
《敵対チームとの馴れ合い禁止!(恋愛御法度)》―まずどこからどこまでが敵対チームか。
スパークスやデッドスカルはその範囲内であることが明らかであるし、フレイムのメンバーは心底敵対心を持っているから論ずるまでもない。
問題はブラッディ・ローズ、あの女だらけのチームだ。
同じ区域で縄張り争いをしている割には、むき出しの闘争心というか嫌悪感をいうやつがない。むしろエースを筆頭に、性欲、恋愛、大歓迎といったふうだ。
ジェイも思い切りブラッディ・ローズのメンバーに恋愛モードであることは言うまでもない。
問題点は他にもある。何を以てして「馴れ合い」と称するか、だ。
必要以上の会話か、必要以上の密着か、必要以上の感情か、いずれにしろ、それらをきっちり守っている者などいない気がする。
 そしてその三、《フレイム的民主主義》―フレイム的というのは、やり方が大雑把な、とかたまに暴力行為もありの、とか訳してもらえばいいだろう。
チームリーダー―たいてい皆は頭(ヘッド)と呼ぶ―を中心として団体行動をし、個人主義を好まない。
全員が全員の利益を尊重するのがフレイムの実践する民主システムだ。これは彼らの行動を追っていけば、おいおい見えてくる。
とりあえず今重視すべきは項目その二、である。