ACT.1 ロストパラダイス


  夜が更けて宴会の声が止むと、残念ながら違反者続出だ。
先刻まで皆が飲み暴れていた倉庫も、今は静まり返ってシャッターも口を閉ざしていた。
中は雑魚寝を通り越してもはや無法地帯だ、よだれが他人の顔にかかろうが足の裏が額に乗っかろうが皆構うことなく爆睡している。 折り重なった身体にうめき声を上げる者もいるようだったが、それも誰ともつかないすさまじいいびきにかき消された。
  あまりの息苦しさに、とうとう下敷きの一人が這い出てくる。
「気持ち悪いっす……。トイレ……。」
山積みの死体、もとい、絡まり合った寝相の悪い男たちをかきわけて、ゼットはシャッターを押し上げる。
寝ぼけ眼をこすりながら手頃な場所を目で探していると、隣の倉庫で微かに話し声がする。
「ヘッドの声じゃないっす。……女?」
気分はさながら極悪犯を遭遇した新米刑事だ、息を飲んでゼットがおそるおそる現場に近寄る。目はすっかり覚めて緊張と高揚がゼットの胸中を支配した。
「ねぇ、誰かそこにいない?」
「あ?まさか。あいつら一回寝付いたら日が昇るまで起きねぇはずだぞ」
やはり女の声だ。続いて聞こえた男の声には聞き覚えがある。
ゼットが確認を取ろうと身を乗り出した矢先、標的は意外にも自ら顔を出した。
「エ、エース!何してるっすか!?他チームとの恋愛は御法度っすよ!」
倉庫の奥で寝ころんだままの女と、ばつの悪そうなエースを交互に指さしてゼットが叫ぶ。
エースは罪悪感というよりはむしろ、お楽しみの邪魔をされた苛立ちの方が大きいようで、何度か気だるく頭を掻くと深々と嘆息した。
「ちょっと今後の両チームの在り方について議論を交わしてたんだろ、小さいことでわめくなよ。なんならお前も一緒にやるか?」
苦しい言い訳をとかく繕ってみたものの、のれんに腕押しである。
ゼットの冷たい視線と後方の女の軽蔑の眼差しを痛いほど感じながら、エースが面倒そうに眉根をひそめた。
「ヘッドに言うっすよ……!エースがそんなんじゃヘッドも大変っす」
どこまでもエースを追いつめるつもりのゼットに、エースは最終手段に取って出ることにした。
女を残して、乱れた衣服のままテンガロンハットだけを頭に乗せるとゼットの背中を押して自分も外へ出た。
「何するっすか……?実力行使なら効かないっすよ!」
「んなこと言ったってなぁ。レキに言ったってあいつも困るぞ、ほら見てみろよ」
エースが指さした先、ゼットが言われるままに視線を移すと夜の闇に一体化するような黒いバイクが目に留まる。
それを盾にしているつもりなのだろうが、彼の真っ赤な髪は夜の遠目にもはっきりと識別できる。
ゼットが唖然として口をぱくぱくさせた。
レキの下で彼に腕を回しているのは、おそらくこの黒バイクの主人だ、見えなくてもそれくらいゼットにも分かった。
「おい、やんなら中でやれ!うっとおしい!!」
自分のお楽しみの中断の憂さ晴らしに、エースがわざと大声で叫ぶ。
その瞬間、レキが眉間にしわを寄せて起きあがる。 やはり相手はブラッディ・ローズの頭、夕方白熱のバイクバトルを繰り広げた二人がこれなのだからゼットのショックは大きかっただろう。
青ざめるゼットをエースはしてやったりの笑みで見ていた。
「うちの頭がすでに破ってんだから、俺だけ摘発っちゅうのもなぁ?やっぱ連帯責任としてレキも……ってことになっちまうけど。 ゼット、ここはお互い協定結ぶほうが無難だと思わんか?」
エースのにやけ顔もどこ吹く風、ゼットはまだ開いた口が塞がらないようだ。
その間にもレキとローズはさっさとバイクに二ケツして見物人のいないところへと逃亡していった。
跡には砂煙と生気の抜けたゼット、そして我関せずと口笛を吹くエースだけが取り残された。
「さぁてと、俺も続きといく……か……」
テンガロンハットを被り直して気合いを入れ直した矢先、先刻の倉庫から女が足早に去っていくのが目に入る。
エースのお相手に他ならないが、長いことほったらかされてしびれをきらしたらしい、ヒステリックに喚きながらエースに中指をたてる。そのまま背中を向けて視界から消えた。
呆然とするエース、こそこそと寝所に帰ろうとするゼットを得意の足かけで転ばすと、俯せにになった彼の上に馬乗りになってかなり本気のヘッドロックをかけた。
「いでで……!ギブッ!ギブっす!!誰にも言わないっすよぉ!」
「やかましい!邪魔しやがって、天誅だっ」
青ざめていくゼットを無視して、エースは力任せのプロレス技で思う存分八つ当たりに励んだ。
闇夜の倉庫街に気味の悪いうめき声がそれから長時間に渡って響き渡った。

 夜は更に更ける。
もはや夜明けに近いのかもしれないが、二人にそれを判断するのは難しい。
レキとローズは、エースに割り込まれたのをきっかけに手頃な廃墟に場所を変えた。 たまに利用しているのか崩れかけた部屋の隅には大きめのベッドがあって、二人は違和感なくその空間に溶け込んでいた。
すっかり眠りに落ちていたのに、金物じみた物音とシーツの冷たさで、レキは目を覚ました。
隣にローズの姿はない。
耳障りだった物音は、ローズがジャケットやら銃やらを身につけている音だった。
「何……もう帰んのかよ」
はっきりしない意識と全身の気だるさで顔をしかめる。
ローズは無言のままはずしていたピアスを手にとる。真っ赤な、血のように赤い薔薇のピアスはローズがいつも付けているものだ。
「おい……」
「そろそろやめにしない?こういうの」
レキの言葉を遮って、ローズが唐突に切り出す。理解に苦しんでレキが疑問符を浮かべた。
「レースの後にこうやって会ってこうすんの。いくらあたしが元フレイムでも馴れ合いすぎじゃん。 今はお互いチームの頭なんだし、ずるずる続くのもどうかと思うわけ」
寝ぼけた頭が徐々に冴えてくる。数秒間固まってつまらなそうに嘆息した。
「何を今更……。別に毎日ってわけじゃないだろ?普段は普通に『敵』してるんだし」
「……だからよ。あんたの欲求解消に利用されるのははっきり言ってうんざり、欲求不満なら他当たって」
ローズの言いぐさは冗談というふうではない。
彼女がバイクの鍵を手に取ると、ようやくレキがベッドから起きあがる。大きく構えていた手前正直焦っていた。
「ちょっと待てよ。そんなんじゃ……」
「それとうちのコには手ぇ出さないでよ。最近エースが見境ないから」
ピアスを二つ両耳に挿して、ローズががたついたドアノブを握った時に、レキはまだベッドから出るかどうか迷っていた。身を乗り出してローズの顔を窺う。
視線は感じたがローズはそのまま扉を押した。
「ユウ!待てって!」
仕方なく立ったレキに、ローズはすぐさま銃口を向けてためらい無く引き金を引いた。
言うまでもなく弾は硝煙を伴って宙を走ったわけだが、幸いレキの耳元をかすめただけで壁にめり込んだ。
レキは目を見開いたまま静止している。
「次それで呼んだらぶっとばす!」
すでにぶっぱなしているがローズは細かいことを気にしない上、気性がすさまじく荒い。
これ以上しつこく言うと本当に頭に穴が開きかねないため、レキは手持ちぶさたに頭を掻いた。
「じゃーね」
扉はレキの複雑な気持とは裏腹に、あっさり閉められた。
壁にめりこんだ銃弾はまだ白い煙を吐いている。それをしげしげと眺めて、レキは力無くベッドに倒れ込んだ。
「何キレてんだ、あいつ……」
わけがわからない、眠気もすっかり無くなってレキは苦虫をつぶした。