なかなか不愉快なものだ、手のひらがざらついているのは登ってくるにあたりそこら中のものの埃を吸い付けてきたからである。髪
も服もおそらくは白いはずだ、見えていないから我慢できるに過ぎない。
レキは照明用の梯子をよじ登って、オークション会場の天井に張り巡らされた梁までやってきた。木材の横幅は丁度レキの足幅程度で
少しでもバランスを崩せば容易に落下するだろう、この態勢で4時間は辛い。とにもかくにもより安全なところへ移動するのが先決だ、
梁が十字に組み合わさっているところは多少なりとも面積が広い。やはり壁際ぎりぎりのラインを通って、レキは慎重に移動した。
「うわっ、考えてること全く一緒かよ!?ついてねえな~」
先客、あり。突如耳元で響いたゆるい声に、レキは思わず片手を離して額を押さえた。文句を言う気力も無いがこれ以上移動する気力は
もっとない。ついでに言えば時間もそう残ってはいないだろう。
「シオと一緒じゃなかったのか?一人にして大丈夫かよ」
「……お前が急かすからだろ。ハルかラヴェンダーがついててくれればいいんだけどな」
ジェイはレキより先に、より座りやすい位置を発見ししっかりそこに陣取っている。
かくれんぼは時に持久戦だ、その点を考えればこのロケーションはある意味でベストかもしれなかった。レキがジェイから少し離れた
梁と梁の繋ぎ目にようやく腰をおろす。
「二人っきりだな」
レキはすぐさま立ち上がった。本当は全速力で逃亡を図りたいところだがいかんせん足場が悪すぎる。蟹歩きでジェイとの距離を広げた。
「何なんだよっ」
「お前が気味悪いこと言うからだろ!?」
ジェイが珍しく唖嘆なんかするものだからレキもそれ以上ふざけるのをやめた。
二人しかいないことを互いが確認しあってやることと言えば相場は決まっている。愛の告白か、別れ話か、プロポーズか、その先か、
いずれにしろ真面目な内容だ。
「ヤマト、っつったっけあいつ。ルビィとか、お前を追ってきた可能性はないんだよな?」
今度はレキは深く嘆息、ジェイと“その手の話”をするのは苦手なのである。
「ルビィはどうか分かんねぇけど俺ってことはないな。……俺がブレイマーだって知ってのはお前らと、ユウと、イーグル。財団側には
ばれてない」
「イーグル、ってジャンクサイドまで追っかけてきたあのパニッシャー?なんでユニオンがレキのこと知ってんだよ」
「……ユナイテッドシティで指揮執ってたのもあいつだよ。鉄の翼でユウ撃ったのもな。地警で血液検査したの覚えてるか?」
ジェイが合点がいったようで、天を仰いだ。やたらに歯切れの悪い呻き声を二、三上げて今度は俯いて肩を落とした。
「覚えてる……覚えてるわ。あれかあ……あ”ー、それであの執着心ね」
思いっきり顰め面を晒してジェイはヘルメットを取った。完全な不快顔のまま寝起きでもないのに後ろ手に頭を掻く。
「なあ、ひょっとしてレキが自分のこと知ったのってあの時?すげぇめちゃくちゃやってた時あったろ」
暗がりにも関わらずレキにはジェイの表情が手に取るように分かる。答えなかった、がジェイにとってはそれが答えになる。
「ユウを選ばなかったのって、そのせいか……?」
出た-レキの急所をジェイはいつも無自覚に突いてくる。切り抜け方はいくつかあるが今回は下手に誤魔化すより黙秘をひたすら貫く
方が良さそうだ。その内ふてくされて諦めてくれるのを待つ。
レキ同様、ジェイもそんなレキの心情を察していた。
「俺だけじゃなくてみんな気付いてると思う。……レキがはっきりしないから周りもこじれてくんだよ。ま、ハルにも言えたことだけどさっ」
「何をえらそうに……」
ジェイと話していると自分が凄まじい悪者に思えてくる。言っていることはおそらく正しい。ただジェイとレキの意見が完全に合致する
ことはない。彼らは共有する真実の数が違う。レキの素性を知っているのは、知ってしまったのは、ユウ、イーグル、そしてあの日病室
に居たフレイムメンバー、それに違いはない。ただ、決定的に違う部分がある。あの忌まわしい手紙の全てを読んだのはレキ本人、
そしてユウ、彼女だけだ。
レキは思い出したように含み笑いをこぼした。
「お前が男で良かったよ」
少し離れた位置で何かのこすれる音がする。
「意味分かんねえけど!それって気持ち悪い意味!?」
先刻よりジェイの声が遠い。どうやら身の危険を感じて後ずさったらしい。
「まあある意味な」
這いずり回る音とジェイの奇声が同時に響く。音声だけに集中していた空間に、忘れかけた感覚がいきなり乱入してきたのもその時だった。
顔面に突如、白い光線が当てられると反射的に二人は手をかざす。背けた顔を相重なってレキは一気に体勢を崩した。かろうじて壁に
手をついて直情落下だけは逃れるものの動悸はもの凄い早さで、恋する乙女の二倍ほどの早鐘を打っている。
「やる気あんのかお前ら!ギャーギャー喋りやがってっ。さっさと降りてこい!」
真下のステージ上で、ヤマトが青筋を浮かべてこちらを見上げている。右手には懐中電灯、無駄にレキとジェイを交互に照らして煽った。
二人もようやく本来の目的を思い出すが後の祭りもいいところだ、観念して無言のままステージ上に降り立った。
「後何人くらい残ってんだ?」
「お前らがトップバッターに決まってるだろ。黙って隠れてりゃいいだろうに……」
責任は無論半々のはずだが、レキは当然のようにジェイに恨みがかった視線を浴びせた。埃まみれの作業着を無造作にはたきながら、
ジェイがまた半音高い奇声をあげる。
「俺のせいかあ?言っとくけど先に居たのは俺だかんなっ」
そう、かくれんぼの極意はいかにして気配を消し場所と一体化するかにある。持久戦であると同時に孤独との戦いでもあるのだ、
話し相手がいる時点で二人のリスクは格段に上がっていたのである。
「あ、そうだ。俺気になってたんだけどさ、あんた結局歳いくつ?四十過ぎってのはいくら何でもないだろぉ」
だらだらとオークション会場の裏手を歩きながらジェイが素朴な、だが一番引っかかっていた疑問をヤマトに投げる。かくれんぼ敗者
の先陣を切ってしまった情けなさで頭が一杯だったレキも、そう言えば気になっていたことだ。
ヤマトが露骨に顔をしかめたのが分かる。どうやら彼にとってはあまり楽しい話題ではないようだ。
「説明するのが一番面倒な質問なんだよ、それ。“カザミドリ”つったってお前らの世代じゃもう分からないだろうしな。四十過ぎって
のは本当だ、“カザミドリ”は体が老朽化しないようにカメレオンシフトした種族だからな」
「すげぇな……、シオ、アメフラシみたいなもんか」
「アスカの妹か、そうだなあの娘は知ってるだろうから気になるな訊きな。俺はいちいち自分の素性なんてのは他人に説明しない主義
なんだ。誰だってそうだろうけどな」
十字路の中心までやってきた。ヤマトが軽く手を振ると中心地点で座り込んでいたハンターが立ち上がる。傍らに見覚えのあり過ぎる
二人がくつろいでいるのも、同時に確認できた。
「あれ?何、あんたたちひょっとして固まってたの!?馬鹿ねー」
あっけらかんと非難してくれるラヴェンダーによもや反論などできるはずもない。おそらくシオと離れないために共に隠れていたの
だろうことは今目の前にいるセットで容易に想像することができた。
「面目ない……です」
やたらに素直なレキの平謝りに調子を崩したのか、ラヴェンダーは勢いを無くして肩を竦めた。隣でシオが苦笑いしている。レキが
その横に腰をおろした。
「な、“カザミドリ”って分かる?あいつ、そうなんだって」
虚を突かれたように目を丸くして、シオが数秒後に小槌を打つ。数秒間ではあるが軽く存在を無視されたレキは居心地が悪そうに肩を
落としていた。
シオが久しぶりにメモ帳を取り出す。時折吹きすさぶ風に砂埃が舞って、白い紙の上を微かに黄色く染める。それを手慣れた感じで
払い、一心不乱に文字を書く。そう、言うなればガツガツ、この擬態語がぴったりだ。メモ用紙が半分近く埋まったあたりでレキは
唖然としていた。完成された“カザミドリ”の説明書をシオが満足そうにレキに手渡す。
《環境汚染で酸素が少なくなっちゃった土地に適応するために、体の成長が途中で止まって老化しないようカメレオン・シフトした
種族。だからすごく身体能力が高いんだって。私たちよりずっと年上なのも分かるよね。今は昔より酸素濃度も回復してるから“カザ
ミドリ”はほとんど絶滅危惧種だって言われてたの。アメフラシよりも数は少ないし》
勿論いつものように丁寧に振り仮名はふってある。が、だからと言ってレキが全てを理解できるかどうかというのは別問題だ。随分
長いことにらめっこしていたレキもやがて諦めて天を仰いだ。
「つまり。子どもだけど、中身はおっさん……ってことだよな」
頷いていいものかどうか、少し悩む。悩んではみたが、シオも別の意味で諦めて大きく頷いた。レキは自分の解釈が正しかったことで
有頂天だ、とりあえずこの夢を壊してはいけないということだけは本能的に察知して、シオは生暖かい眼差しでレキを見守った。