ACT.20 キミノタメニフルアメ


  元気すぎる初老ヤマトにあばら骨を心配されつつ、フレイム一行はアメフラシの隠里より幾分離れた草原にシップを着陸させ 降り立った。隠れ里に直接横付けしたのでは隠れている意味が無くなる。それ故の、シオへの配慮だった。
  シップを降りた途端レキは無口になった。森側から吹いてくる風に独特な湿り気があって不快を誘うと共に、例のあばらが軋む。 便秘の少年さながらに顰め面で横腹をさすりながらレキは頼りなく歩き出した。
  エースが大欠伸を漏らしながらその後を追う。ラヴェンダーは何かを小さく独りごちながら、ジェイは身の丈の四、五倍はあろうか と思われる杉にびくつきながら、そしてハルとシオが最後尾を選んで歩く。皆示し合わせたように沈黙を守った。
  まだ日は高いはずだが辺りは薄闇に包まれていて、あまりぼんやり歩いているとあぜ道の小枝や小石に足を取られる。前方でレキが 何度か派手に前傾していたが皆黙って見送る。笑われも、小馬鹿にされもしないとこういうとき逆に気恥ずかしいのは何故なのか、 三度目にぬかるみにはまった時、レキもたまらなくなって振り返った。
「シオ、後どんくらい歩く? 日が暮れる前に着くか?」
左足はぬかるみにはまったままでレキがわざとらしく声を張る。シオが二本指を立てて口パクで“二十分”を伝えると、ただ頷いて 勢い良く左足を引き抜いた。
「……少し、ペース上げてもいいか? 一雨来そうだ、その前に着いときたい」
「だったらシャキッと前と下向いて歩けよ。ボコボコはまりやがってっ。おい、サブちゃん!やっぱ先頭はサブちゃんが妥当だろ」
  一連のレキの拙い歩き方にまとめてツッコミを入れると、エースが何の気無しにハルに視線を移す。言い終わる前にハルは深く嘆息 していた。レキが申し訳なさそうに手刀を切る。
「変なあだ名付けんなよ……。誰が先頭でも大して変わらないと思うけど」
つまり断固拒否する理由も無いわけで、立ち止まった行列を追い抜こうと一歩踏み出したところで思い出したように半分振り返る。 後ろには無論シオしかいない。
「……大丈夫? さっきから顔色、あんま良くないけど」
だらだらと立ちつくす前方連中には聞こえない声量だ、シオは一瞬目を丸くしたがすぐにいつものように微笑を返した。
「《平気。ありがとう》」
それだけ口を動かしてシオは微笑を保ち続けた。ハルもそれ以上追求などはしない。望まれるがままに先導役につく。
  それからは沈黙が和らいだ。どこそこにぬかるみがありますだの段差がありますだの、ハルが後方に注意を促し、なおかつレキを 気遣って早足で進む。妙な緊張もハルの気の利く誘導でいつしかほぐれていった。エースは泥だらけの靴に不満を漏らしながら、 やはり先導役の轍を辿る。ラヴェンダーの独り言はより一層芝居がかったものになり、ジェイは身の丈四、五倍はあろうかと思われる 杉に派手に悲鳴を上げ、最後尾をシオが苦笑いで歩く。うなだれているのはレキ一人となったが、彼も周りのやかましさでシリアスに 浸りきれず、最終的にはジェイを脅かすくだらない役に自ら身を投じていた。
  薄気味悪い(はずの)暗い林道をひたすら進み、ハルは見覚えのある景色に足を止めた。開けた場所に背高の雑草が生い茂る、中央 付近に埋もれた古い井戸があった。
「なるほど結局ここに出るのか。ボロ井戸も目印としてはちゃんと役だってくれるよな」
「どうでもいいからさっさと行こうぜ~。俺あの井戸に良い思い出一個もねえもん……」
いつのまにかジェイが列を追い越してすぐ後ろに立つ。一際不気味なものを見る目で井戸を見やるとハルを追い越して先を急いだ。
  財団の追跡から命からがら逃げおおせて這い上がった井戸、血だらけのローズを抱えて血だらけのレキが這い上がった井戸、とにかく あの井戸はある種の生死の境目だ。感慨を口にしたのはハルだけで、皆さっさと目もくれず里の灯を目指した。
  用済みの先導係は再びシオと合流する。彼女は今日、シップに乗ったときから静かだった。無論いつも声は発さないわけだから彼女が 静かなのは当然のようであるが、それでもシオが作る空気はいつも温かで優しく、華やいでいた。今日はそれがない。理由は知れて いたし、だからこそハルも知らないふりをするつもりでいた。しかしいざ里に近づくとそれができない自分に気付く。
「シオ、あの……」
「《大丈夫》」
シオはハルの言葉を遮って、短い、その言葉だけを伝えた。おそらく今ここで何かしら核心に触れる発言をするのは愚の骨頂だ、ハルも 悟って口をつぐむ。第一陣から敢えて距離を置いて歩くシオの後ろ姿を暫く見つめて、ハルもまた距離をとった。
  そうすることが精一杯だった。
  シオは隠れ里の入口で一度立ち止まると、目蓋を閉じてゆっくり深呼吸した。全てを受け入れ、消化する術と強さを引き出す儀式 だったのかもしれない、重い足を一歩、引きずるように前に出した。

  ナガヒゲの診療所はドアだけがやたらに新しかった。外気は絶えず湿気が多く、壁にはうっすらと苔がはびこっている。入口のドア が壁にとけ込めず浮き立っているのに誰もが苦い思いを噛みしめた。内装も前回訪れたときと違う。木造りだったテーブルと椅子が、 これまた周囲に溶け込めない真っ白なものに変わっている。それらは全て、窓際にいつもちょこんと座っていたブレイマーが破壊した ものだ。その名残が綺麗さっぱり無いせいで、余計に思い出さずにはいられなかった。
「ぬぉ! 何じゃ早いの!!」
物音に気付いて奥の自室からナガヒゲが飛び出して来る。ジェイとエースが新しくなったテーブルに早速陣取るのを横目にレキは座ろう ともせず、ナガヒゲの過剰な反応にも大して驚かない。ぼうっと突っ立ったままの男衆をかき分けてラヴェンダーが顔を出した。
「じーさん!! ローズは!? 病室!?」
「テーブルをおっしゃれ~にしてみたんじゃ。まあ落ち着いてティーでもすすってじゃな」
「……ナガヒゲ、ローズは? 起きたんだろ」
「まずティーを!!」
突っかかろうとするラヴェンダーを制し、冷静なようでそうでもないこと丸出しのレキを更にナガヒゲが一喝する。流石に面食らって 二人がたじろいだところを見計らって、咳払いするとそそくさとキッチンで準備を進め始めた。何となく手伝ってしまうシオ、そわそわ しながらも大人しく席につくラヴェンダー、入口で様子を窺うハルとレキだけがやはり立ったまま返答を待っていた。
  茶器の擦れ合う音とバラの仄かな香りが漂うだけの落ちついた空間で、さも自分が正しい振る舞いだと言わんばかりにナガヒゲが席に つく。これみよがしに並べられたローズティーに、ラヴェンダーは癒しどころか殺意を抱きつつあった。
  ナガヒゲの自慢の髭がむしり取られる前にと、レキがまた同じ質問を繰り返した。
「ナガヒゲ」
実際には名前を呼んだだけなのだが、そこにはラヴェンダーより分かりやすい苛立ちが溢れていた。ナガヒゲがティーカップを慌てて 置いた。
「いや、それがの……さっきまで確かに病室に居たんじゃが……ちょいと目を離した隙に姿が見えんようになって……」
今度は誰も止められなかった。真横に座っていたラヴェンダーが胸ぐらの代わりに髭をひとまとめに掴んでナガヒゲを締め上げる。
「見えなくなってぇ……?」
続き次第では絞殺決定である。ブラッディ・ローズのサブヘッド、その恐ろしさを今更身を以て味わいながらもナガヒゲの視線は若干 ラヴェンダーの豊満な胸元に奪われ気味であった。
「お前たちが来ることは伝えてあったし、望んだのはユウ本人じゃし、そう遠くには行ってない……はず、じゃ、グエッ」
  ラヴェンダーが舌打ちと同時に髭を手放す。すぐに席を立とうと腰を浮かせた瞬間、誰かに腕を掴まれる。見た目にはそっと添えら れただけのその手の力は、ラヴェンダーが思わず気を取られる程に強かった。
  その間にレキは溜息ついでに踵を返す。
「その辺見てくるわ。適当にくつろいでて」
「俺たちここにいるからっ。雨に降られねぇようになー」
ラヴェンダーの腕を掴んだままの状態で、ジェイがレキに笑顔を向ける。眼前にはただならぬ威圧のオーラを放つ女が凄まじい顰め面 で彼を睨み付けていたが、レキが外に出て扉が完全に閉まるまで、その笑顔の見送りは継続された。
  扉の閉まる音が終了の合図だ、その僅か二秒後にはラヴェンダーの口が痙攣し始めていた。
「……ジェイ」
「うわー!! ごめん!! 悪気があってとかじゃなくてさっ!」
ジェイもなかなかの早業で、ラヴェンダーの手を離したかと思うとすぐさま歯を食いしばって合掌した。次に締め上げられるのは確実に 自分だと覚悟していたが、意外にもラヴェンダーは唖嘆ひとつで威圧を解除した。
「じゃあ何なのよ。どいつもこいつもほんっと面倒くさいんだからっ」