ACT.20 キミノタメニフルアメ


  どいつも(ローズティーでその場をごまかそうとしたナガヒゲ)こいつも(いちいち冷静を装うレキ)そしてジェイも、猪突猛進型の ラヴェンダーにしてみれば確かにその一言に尽きる。
「ご、ごめん。けど、今回はレキに譲って欲しいんだ……! あいつ強がってっけどほんとはさ!」
「ジェイ……っ」
ハルが苦虫を潰しながらたしなめる。とにかく今はその先を口にして欲しくない、ハルの危惧も察してラヴェンダーは肩を竦めただけだ。 半眼で席を立って伸びをした。ハルが呼び止める。
「ラヴェンダー」
「奥で寝る。あんたらのお節介につき合ってたら疲れちゃうし」
振り向きもせず気怠く手を振るとそのまま一番おくの病室へ消える。因みにあくまで病室で仮眠室ではないのだが、ナガヒゲももはや 波風立てるような真似はしなかった。が残った野次馬たちに関しては別だ、空になったティーカップをかき集めてシンクに乱暴に置くと 牛を追うかのように手荒く連中を立たせる。
「お前たちは旅宿にでもさっさと移動してくれんかのっ、むしむしする中この人数で居座られると大迷惑じゃあ」
「おいおい冷てぇな……これがチームメイトに対する扱いかあ?」
それでもなお居座ろうとするエースに向けてナガヒゲが年甲斐も無く鼻を鳴らしてみせた。髭が風圧でめくれる。
「ユウが帰って来たらそっちに向かわせるか呼びに行くかするわい。今日は夕方ぎっくり腰のじーさんの往診に出向く予定なんじゃ、 わしも忙しいっ」
  今日はやたらにこの単語を耳にする。今まで気にも留めなかったが立ち上がる拍子に妙に腰に気を遣ってしまった、流行っているのか たまたまか、何にせよ用心するに越したことはない。
  招かれたかと思えばお茶一杯で早々に追い出されて、一行はそれはそれはのろのろだらだらと入口付近でたむろしていた。倦怠感が 板についてしまったのかエースが日課のように欠伸を繰り返す。ハルは伝染しないよう、なおかつこの張りのない空気を一掃しようと 一人生真面目な顔で立っていた。彼が他者に比べて生真面目なのは今に始まったことではない、本人はアピールしているつもりだった が欠伸は空しくジェイに伝染、より一層締まりのなさが増した。
「どうする? 大人しく宿で二人が帰るの待つ? それか俺らも虱潰しに里をぐるっとまわるとか」
ラヴェンダーを必死に止めておいてそれはないだろう、ハルが呆れて肩を竦めているとエースは無言のままいそいそと宿に向かう。
  彼には脳裡にしっかりと焼き付けておいた記憶がある。隠れ里の宿には、ベッドが二つしかない。
「エース!!」
ハルが思い出して呼び止めた瞬間、先刻のやる気の無さは演技だったのかエースにしては驚くべき速さで疾走、いや逃走を始める。 こうなると公平も不公平もあったものではない、いかなる手段を用いてもいち早くベッドを陣取った者の勝ちだ。ジェイが頭を抱えながら ワンテンポ遅れて全力疾走するも、普段余力を残しまくって活動しているエースはここぞというとき最強だ。彼の“ここぞ”がたいてい くだらない場面であることに心底苛立ちながらも、ハルとジェイは歯を食いしばって後を追った。
  と、すぐにハルがブレーキをかける。気に懸けながらもそのまま走り去っていくジェイを尻目に、ドアの前で微動だにしないシオに 視線を映す。彼女は男共の醜い寝床争奪戦には目もくれず、ましてや参加するはずもなく、悠長に空模様などを気にしていた。里に着 く前のやりとりが脳裡をよぎって、ハルは立ち止まったものの声をかけない。
  雨がいつ落ちてきてもおかしくない灰色の雲が空一面を覆い隠している。
  ハルは同じように空を見た。シオの今の気持ちの半分も、理解できていない気がして分かろうとして空を見たが、実際に見えるのは 淀む暗雲ばかりでそれらはあたかも自分を嘲っているように見える。視線を落とすとシオが目の前に居た。
「《私少し散歩してる。レキたちが戻ってきたら教えて?》」
今回はシオから話しかけてきた。ハルは適当に相槌を打とうとして、やめた。
「雨、降るよ。レキも言ってたろ」
「《平気。私は割と雨の日好きなの、レキとは正反対だね。……ちょっと一人になりたいから》」
大丈夫--何度と無く同じ質問をしている気がしてこれものどを通る前に飲み込んだ。第一そう聞かれてかぶりを振る者はそうそう いない。黙り込んだハルを見てシオが含み笑いをこぼした。
「《また、後で》」
「ああ、うん……。後で」
大丈夫か--自身に問う。彼女を少なからず追いやっていたこの言葉は、ハル自身にこそ意味のあるものだったことに気付く。どんより とした空を見上げながらのんびり歩いていくシオを追おうとして、一歩踏み出して、それきりだ。次の一歩を踏みとどまって考えて しまったら追うのをやめることを知っていながらハルはいつも二歩目を踏み出さない。
  鼻の頭に一滴だけ雨粒が落ちて弾けた。雲の流れが異常に速い。生ぬるい風が雨粒をさらっていった。

  一方ローズを探しに出たレキは苛立ちと焦りを思いきり顔に出して、あまつさえ額一杯に青筋を浮き立たせている。ちらちらと落ち 着きなく空を見ては足元に絡みつく雑草を蹴散らして進む。一応小道を進んでいるつもりだが両脇をすくすく成長した雑草に囲まれて いると獣道に分け入ってしまったかという錯覚に陥りそうになる。それでもここが土手の上で、すぐ下に小川がのんびり流れている ことは把握していた。
  暗雲だらけでそれでこそ薄暗かった視界は、時間の経過と共に本格的な闇に染まろうとしていた。里の外れは心なしか湿気もそう無い。 それ相応の肌寒さがレキに身震いをさせた。
  小川と垂直に石橋が架かっている。不意にそちらに視線を移して目に入った光景に、まずは肩を落とす。
「大人しくベッドに横になっとけっつーんだよ……」
下手の小川は確かに澄んでいて、レキも機嫌さえ良ければ同じことをしたかもしれない。ようやく見つけたローズは小川の縁に座り込んで、 まくり上げたアーミーパンツから覗く素足を流水に浸してくつろいでいた。ぼんやり空を見ている。
  レキは下る道を探したが見当たらなかったためそのまま土手を走り下りた。草を踏み分ける音でローズもこちらに気付く。
「何で診療所にいねぇんだよ! めんどくせぇ奴だな!」
第一声は力一杯の皮肉と嫌味にしてやった。ローズはよほど気持ちがいいのか小川に足をつけたまま立ち上がろうとしない。ただ、 彼女にしては珍しく柔らかく笑んだ。思っていたより元気そうで、レキは無意識の内に安堵の溜息をついていた。
「戻るぞ。みんな心配してる」
  ローズは何の抗議のつもりかレキの呼びかけも完全無視で、自分と澱んだ空とを映している水面を覗き込む。そこに揺れる景色、 自分の顔、首をもたげたレキ、揺らめいているという点を除けば全て現実と相違ない。しかしその小川のせせらぎと僅かな夜光を反射 した輝きは、現実の醜さと汚さを浄化しているように見える。
  ローズは未だ食い入るように自分と向き合っていた。レキの溜息に今度はちょっとした疲労が混ざる。
「何とか言えって……。早いとこ帰らないとラヴェンダーがそろそろブチ切れそう……」
  耳元は心地よい水のリズム、そこにローズのこぼした微かな笑みが加わった。否、それはブラッディ・ローズの頭としてでも、デッド・ スカルの幹部としてでもない--“ローズ”ではなく“ユウ”本来の笑みだった。
「ラヴェンダーか。とっくの昔に愛想尽かされたかと思ってた。世話かけたね、でもまぁジェイやエースより頼りになる奴でしょ」
「時と場合によってな。またマシンガン乱射されでもしたら手に負えねー、ほら、上がるぞ」
レキは何の気無しに手を差しのべた。ユウは、今度はその手を訝しげに見つめ自嘲しながらその手を取る。濡れた足を適当に拭って これまた適当にブーツに足を突っ込む。どこまでも大雑把な女だ、胸中で笑いを吹き出しながらもレキはまたどこか安堵していた。
  そのまま手を引こうとして、その寸前でユウから手を離される。レキの視線が止まった。
「レキ」
彼女が改まって名前を口にした時は、次にろくでもないことを言い出す時だ。止める術を生憎レキは持ち合わせていない。
「ごめん」
「何が」
覚悟した内容と実際ユウが口にしたものがずれていて、レキは間髪入れず切り返した。責めたつもりは無かったが語調はきつく、その せいかユウが哀しく笑う。この顔のユウを、レキは知らなかった。鉄の翼で目にするまで、ユウがこんな風に哀しい笑みをつくることを 知らずにいた。直視できずに俯く。
  小川の水音に混ざって遠くで暗雲が唸るのが聞こえる。今夜は雷雨かもしれない、虚ろにそんなことが頭の隅を過ぎっていった。   聞き返したのはレキだが、間を挟んだ今答えて欲しくないのが本音だ。結局レキは今更であろうが手遅れであろうが、誤魔化し続けて いたかったのである。嘘と偽りを壊さぬよう、しがみついていたかったのである。それを破り捨てるのはいつも目の前にいる、彼女だ。
「結局見つからなかった。……馬鹿みたい。いろんなもの引き替えに捨てたのに、それでも何ひとつ……レキを救う方法、見つけられ なくて……」
  レキは顔を上げた。俯いていたのはユウの方だった。レキは半ば放心状態で、脈打つ心臓や混乱する頭を何とか制そうと無い知恵を 振り絞っていた。振り絞ったところで無いものは無い。首から上が沸騰したのかと思うほど熱くなっていた。