ACT.21 ペルソナ


  次の日はまた「普遍」が滞り無く繰り返された。朝も昼も、境を見せることなく気付いたときに訪れ、去っていく。時間を意識したのは夕刻になってからだった。自治都市イリスに差す夕陽は相変わらず目映い赤光を放つ。
  ぞろぞろとシップから降りて、赤い空をぼんやり見上げた。ヤマトがツアーガイド(にしては無愛想すぎる)のように振り向いて 一行を先導する。
「イリスはまだ復旧作業中だ。ブレイマー襲撃の損害は勿論だがイレイザーキャノンの突っ切った一角の被害がまたでかかった。……あの一件でイリスは完全に連合政府の下を離れて自治区としてやっていくことにしたらしい。財団が援助をしてる」
  アンブレラ自治区イリス--それが今のこの都市の名称である。破壊された住宅や街道はそう易々と元通りにはならない。レキたちがここを去ってからとそう変わり映えのしない形で街はあった。違うのは街自体に活気が戻ったことだ。自分たちの家を修復する人々、男たちの多くが肩に木材を担いで右往左往している。トンカチの音がリズム良く響く。時折すれ違う白衣の連中はヤマトの言う財団からの支援者、それからアンブレラの研究員だ。
「このクレーター付近でアンブレラ無しってのは心許ないからな。アンブレラだけは早々に張り直したみたいだ」
「そう!!今度のアンブレラは前回のものよりも更に更にパワ~~アップ! 出力四十パーセントで常時ブレイマーの侵入をシャーットアウトできる上、イレイザーキャノンのようなくっだらない平兵器にも完全対応、出力百パーセント出せばあんなもん木っ端微塵よ! ホホホホホホ!!」
  どこから湧いて出たのかヤマトの説明を遮ってマットが道の往来で高笑いを上げ始める。最善の対応策はとにかく視線を合わせないようにし、他人を装うことだ。大人しくシップで待機していればいいものを、ここにこうして出しゃばってきたのは無論張り替えた新しいアンブレラの稼働状態をチェックするためであるが、先刻からいちいち目立ってはイリス市民の訝しげな視線の的になっていた。
「……マット、管理棟に行くんだろ? マットはあっち、俺たちはこっち、キャノンの穴ぼこにはまらないように気を付けて行けよ」
「もちろんよ~。心配してくれて嬉しいわヤマトちゃん。あんたたちもしっかりやるのよ、羽目を外さないようにまた明日シップで会いましょ」
語尾にいちいちハートマークを付けて去り際にレキには投げキッスを送る。見えもしないハートを振り払って、レキもヤマトも苦笑いでマットを見送った。
「で、お前らはどうする? 一応バーは貸し切りにしといたぜ」
「お! 宴会!?」
ジェイが喜々として顔を輝かせた。
「景気づけが必要だろ?」
「必要必要! さっすがヤマト、気が利いてんなぁっ」
「日暮れには少し早い。二時間後には例のバーに集合だ。ばらけてる連中にも伝えてやれ」
「ひゃっほー! 任せろ、俺連絡係っ」
  ジェイだけでなく皆がにやつきを押さえられない。明日のクレーター潜入よりもキャノンの阻止よりも、思いは目先の大宴会に傾いた。ジェイが手当たり次第のフレイムメンバーに伝言しているのを横目に、レキもご機嫌に鼻歌を作っていた。
  ふと脳裡に何かがよぎる。
「二時間か……。ユウ、久しぶりに走らねえ? 上手い具合にギンもクロも乗せてきたし」
レキが子どものように瞳を輝かせる。指名されたユウは一瞬目を丸くしたがすぐにその『らしさ』に笑いを吹き出した。
「もちろん勝負でしょ?」
「当然」
レキは既に街の入口へと踵を返している。何気ない時間つぶしのつもりだったが同じ方向に転換する者が少なくないことにレキが目を点にした。
「ギャラリーとジャッジが必要じゃない?」
「そうゆうこと。レースは公平でないとな」
意気揚々と肩を並べるラヴェンダーとジェイ、二人を見てハルがわざとらしくエースに視線を移した。フレイム対ブラッディ・ローズのレースは基本的にチーム総出が暗黙の了解だ。溜息ついでに煙草の煙をこれ見よがしに吐き出して、エースが何度か頷いてみせた。
「仕方ねぇな。今になって面倒なこと始めやがって……。シオ! 行くぞ、フレイムメンバーは全員参加が決まりだっ」
ぶっきらぼうな口調とと仕草とは裏腹にエースの口元も緩んでいた。快く頷くシオも小走りに皆に追いついて足並みを揃えた。
  調子のいい連中に言い出しっぺのレキが面食らっている。
「よく言うぜ。前回のレースで理由つけて来なかった奴らが……」
「俺は偵察。立派な理由だろ」
レキとハルが同時にまたエースを半眼で見やる。今回妙にターゲットにされる彼は、それでも素知らぬ顔で煙草を吹かしていた。

  イリスの夕暮れ時は他のどの都市にも負けない美しさを誇っている。北国故の気温の低さとスモッグの薄さが西日の赤い光をそのまま大地や海に反射させるのを許し、幻想的に光る。その風景に溶け込んで太陽光を浴びていると、自分たちまで描き出された絵画の一部になったような清らかさを感じる。そんな誰かが感じていた身の程知らずの感慨は、バーのドアを開けた途端ぶちこわされた。
「遅ぇぞ!! 二時間って言ったろ、どいつもこいつも重役出勤しやがって!」
「悪いっ。ちょっと後始末に手間取ってさ」
カウンター席でヤマトが青筋をぶらさげて一行を出迎える。それに対して即座に手刀を切ったのはハルだけだ。ほとんどの連中には “重役出勤”の意味するところも不明なのだから仕方がない。
「日が暮れたらじゃなかったっけ?」
レキが悪びれもせず隣の席にどっかりと座る。ノーネームは時間に縛られない。空の機嫌に合わせて自分たちも動く。そのくせ一端バイクレースを始めるとコンマ一秒で醜い争いを繰り広げるのだから大した矛盾である。
  悪戯っぽく笑うレキの肩向こうでハルがやはり失笑して、片目で手刀を切っていた。
「気ままでいいなお前ら。ハイドレインジアの稼働中は今みたいな悠長なことぬかすなよ」
「分かってるって!」
  レキたちの入店で店内が一気に賑やかになる。二階からヤマトの部下三人も降りてきた。
「なんだ、結局このメンツかっ」
「おいおい失礼極まりないこと言うなよ。俺たちじゃ不満か?」
スズキがやや呆れ口調で丸テーブルに座る。ヤマトの部下三人は仲がよいのか人見知りなのか大抵三人こぞって同じテーブルにつく。今回もそうでタナカもサトーもスズキが選んだ席に当たり前のように腰を落ち着けた。
「そんじゃあこぢんまりとしてるが始めるか」
「イーグルは?」
「二階にいる。気が向きゃ下りてくるだろうさ」
「いいって、いないならいないで……」
レキとヤマトのやりとりにジェイが本音をこぼす。
  レキが意外にグループ意識の垣根が無い。というより無頓着だ。それだからこそやたらに無駄な摩擦を生むことが多いのだが、味方を増やすのも得意だ。結果がこの統一感まるで無しのメンツになる。
「全員ジョッキモ持てよ! じゃあ明日の成功を祈って--」
  ヤマトが風貌に当に不釣り合いな大ジョッキになみなみとビールを注いで掲げる。部下三人もそれに倣った。
「はいはーい、そのままストップー。何を野郎だけで寂しく盛り上がろうとしてんのっ。花が必要でしょうが、花が」
ヤマトの乾杯の音頭を遮って不躾に乱入してきたのはブラッディ・ローズのメンバー。ラヴェンダーを先頭にユウ、そして散り散りになっていた昔のメンバーが雁首揃えて並んでいる。レキが目を丸くしてそのまま視線でハルに説明を求める。無論ハルは全力でかぶりを振るだけだ。
「ジェイ、サンキュ」
答えはユウが口にした。ジェイが喜色満面で気怠く手を振った。レキとユウがレースに集中している間に、ジェイは勝負の行方そっちのけで思いつく限り四方八方に電波を飛ばした。その一辺が彼女たちブラッディ・ローズのメンバーだった。勿論ユウへのサプライズだったのだが想定外の人物まで喜ばせたようで、エースがにやにやと堪えきれない笑みをこぼす。
「でかしたジェイ。ごくろうごくろう、今夜はブラッディの給仕で大宴会だな」
「あぁ?何言ってんだおっさん、あたしらはローズの激励に来たんだっつーの」
「もうちょっと端に寄んなよ。入れないじゃん」
エースににやつき顔が一瞬で凝り固まる。花は華やかではあるがお世辞にも品の良さは併せ持って いないようだ。抜群の威圧感に負けてフレイムの男たちは率先して隅の方へ移動、あまつさえジョッキも奪われ自分たちの分を新たに注ぐという情けない光景を生んでいた。
  ヤマトが咳払いで仕切直す。
「まぁ人数は多いに越したことないしな。気を取り直して、明日の成功を祈ってかんぱ--」
「ヘーーッド!! 呼びつけたんだからちょっとは気を遣うとかしてくれよ! ハルの不手際かぁ?」
入口に凝り固まったブラッディ陣の奥から、明らかに女のものではない低い声がまたもやスタート合図を裂く。ジョッキを高々と掲げたままヤマトはこれでもかと言うほど歯を食いしばっていた。ブラッディ・ローズ陣をかき分けて躍り出てきたのはフレイムのお祭り男ベータ、それから火薬担当のギブス、ダイにケイ、マッハとイリス集合令に間に合ったフレイムの馴染みの顔ぶれたちだ。
「おら、レース負け組はでかい顔してないでもうちょっと端に寄れ! 何だ、まだ乾杯してねえの?よっしゃ、じゃあこのフレイム宴会部長であるベータ様がっ」
「おいっ!ちょ……!」
「何だか分かんねえけど楽しく飲むぜー!! かんっぱーい!」
グラスを打つ軽快な音と歓声が一斉に場を支配した。反動でジョッキから飛び出す泡を慌てて吸い込みながら、多くの者が何の気にも留めず宴会を開始する。目を据わらせてジョッキに口もつけないでいるのは一名のみ。その彼の横で上唇に泡をつけたまま大笑いしているのはレキだ。
「……おい、あの躾のなってねぇガキはお前んとこのチームか」
一部始終を真横で目撃してしまったがためにそうそう簡単には笑いが止まらない。誤魔化そうと置かれたままのヤマトのジョッキに仕切直しに乾杯する。渋い顔を晒してヤマトは静かにその半量を一気に飲み干した。
「後でたっぷり礼儀をたたきこんでやる。これだから近頃の若い奴ってのは……」
始まって早々一人で説教めいた文句を言い始めるヤマト、その隣にレキの姿はもう無い。乾杯の後さっさとジョッキを持って他者にちょっかいを出しに行っていた。ヤマトの唖嘆でビールの泡が揺れる。
「っとに近頃の若い奴は!」
  愚痴などは既にかき消されるくらい店内は笑い声と喋り声と時に奇声で溢れていた。ヤマトは残りの半分を一気に飲み干すと、空のジョッキをカウンターに置いてなってない若人たちの群に分け入った。