ACT.2 サイレントレディ


  女は肩までの黒くて真っ直ぐの髪で、瞳も、吸い込まれそうなくらい黒い。行儀良く床に正座してその黒い目を伏せていた。
「何も分かんないで置いとくわけにもいかないしなぁ。言葉が分からないわけじゃあないよな?」
女がゆっくりかぶりを振る。初めてのまともな反応にレキ以外は驚愕している。
レキが調子づいて小槌を打った。
「じゃあ合ってたら頷いて、違ってたら首振って。そうだな、まずは……しゃべれる?」
女はやはりかぶりを振る。
序盤からつまずいてレキは出鼻をくじかれた。気を取り直して再び向き合う。
「ここがどこだか分かるか?迷った?」
はじめに首を振って、間をおいて頷く。つまりはここがどこだか見当も付かない迷子というわけだ。
状況を微妙に把握してくると逆に困り始めるから不思議だ。残念ながら迷子と名乗り出て警察に引き渡すことはできない。 そんなことをすればこっちがあえなくお縄に着くことになる。
  レキが数分間腕を組んで悩んでいると、救世主か悪魔かぶしつけにシャッターが開く。
「みんな集まって何してるんだよ、ちょっとは動け……って、誰?その娘」
一目散にベータを睨むハル。行動は正しいが今回はベータに非はない。誰も何も答えてくれないせいか、ハルもおもむろに入り口付近に座る。
無駄に人数が増えるばかりで、女はその都度恐縮していくようだ。
レキが突然立ち上がる。
「ハル、散ってる奴ら集めて。ケイ、紙となんか書くもん持ってきて」
ハルはいまいち理解できず小首を傾げているが、ケイは豆電球をピカッと光らせて(もちろんイメージだが)倉庫を出ていった。
  ハルがしぶしぶ出ていくのと同時にケイが超スピードで帰ってくる。期待を寄せてレキに紙と短い鉛筆を手渡した。
「もうちょっとマシなのなかったか……?」
「だって普段誰ももの書かないから」
それもそうだ、レキは納得したも不服そうに紙と鉛筆を女に向けてスライドさせた。
「書ける?……名前」
女が頷いて鉛筆を手に取る。
ちょっと考えれば分かりそうなものだが周りからは拍手と歓声が上がった。
女の手が止まるとレキが紙を掲げる。端の方に申し訳なさそうに「志緒」と書かれてある。全員それを見てまた拍手した。
「良かったなあ名前分かって。呼び名ないんじゃなっ、しょうがないもんなっ」
ジェイが軽快に。
「ったく人騒がせねぇ、さっさとこうすれば良かったのよぉ」
クイーンが安堵して。
「ほんとほんと。ところでヘッド、それなんて読むの?」
そして発せられたケイの無邪気な疑問が一転して場に沈黙をもたらす。レキ以外は我関せずと明後日の方向を見つめていた。
「それを聞こうと思ってたんだよ……。ここって漢字読める奴いないんだっけ?……意味ねぇじゃん」
“志緒”が横であたふたしているのも気付かずに一同落胆、筆談作戦も失敗かと思いきや半開きのシャッターを押し上げきってハルが再登場する。 今度は救世主となってくれた。
「あー、名前、シオって言うんだ。最初から書いてもらえば良かったな」
さわやかに“志緒(シオ)”に微笑むハル、皆の熱い視線に少し戸惑っていると、紙を放り投げてレキが強引にハルと握手を交わした。 またまた拍手が、今度はハルに向けられる。
わけもわからずハルは照れて頭を掻いた。
「さすが元警官!まともな教養のある奴が一応いて良かったよ」
学のない連中がこぞって崇め奉るものだからハルも気分がいい。
シオが控えめに笑いをこぼしているのを横目に入れて、頬を赤らめた。
「おい!いつまで待たせんだ、寒い上にハゲるだろーが!」
すっかり忘れていたが外にはハルがかき集めたフレイムの面々がずぶ濡れで突っ立っている。
放って置いてその上外で待たせるのも悪いが、中に入れたときに想像されるむさ苦しさや異臭など到底耐えられそうもない。
レキはあっさりと決断を下した。
「ダイ!急いでテント建てろ、これ以上中入れねぇから」
言うまでもなくブーイングだの罵声だのが飛び交うが、レキはそれを遮断すべく無常にもシャッターを閉めた。
「後で全員紹介すっから。まずはシオの方が先だな、続きやるか。ちょうど通訳もいるし」
ハルが自覚して自分を指す。まあ通訳として倉庫内に留まれるなら良い方だ。
レキが再びシオに紙を渡した。
「俺が質問するから書いて。そうだな……迷ったって言ったよな。どっから来てどこに行くつもりだったんだ?」
一瞬シオの瞬きが止まる。
言葉を選んでいるのだろうか紙の上で鉛筆を二三度押しつけては離し、というのを繰り返す。見かねてレキがそれを制した。
「書ける範囲でいいよ、なんかわけありなら。どうせここには正義の味方も悪の手先もいないし、まぁ中立ってこと。仲間以外には特に干渉しない」
シオがハルを指さす。レキに説明を促しているようだった。
「ああハル?元は警官だけど今は違うよ。どっちかっていうとお世話になる方だな」
レキの適当な説明にハルが咳払いする。それを言うならここにいる全員も該当するのにピックアップして名指しされるととりわけ札付きの悪のようでイメージが悪い。 第一ハルはこの中で言うなら割合良識のある方だった。
心外そうなハルにシオが非礼を詫びて深々と頭を下げた。
「あっいや別に謝らなくてもっ」
「そうそう、別にほっといていいよ」
シオがまた微笑して腰をかがめると流れるような手つきで文字を綴っていく。
レキはその風景をまじまじと興味深そうに眺めていた。
シオが身を起こすとレキが紙を手に取る。
(ゆないてっどしてぃよりもっときたからきました。いんせきのおちたくれーたーにいくつもりです)
全て平仮名で、ハルなしでも全員に分かるように書いてくれたらしい。名前を書いたときにシオがあたふたしていたのは振り仮名をふってくれようとしていたのだろう。 会って間もないシオの気遣いに皆感激した。
「クレーター?全く逆方向じゃん!ここはロストシティだよ、南端の」
シオの細やかな気回しと全く逆なのはレキの方だ、あっけらかんとした言いぐさにシオは不安を通り越して途方に暮れているふうだった。
ばつが悪いので早いところ話題を変えなければ。
「一人で行こうとしてたのか?なんで?」
シオは最初に深く頷いて、鉛筆を執る。
レキだけでなくハルもジェイも、見ていた者は皆シオの筆跡をのぞき込む。
ケイが感嘆を漏らした。確かに文字を見慣れないフレイムメンバーたちにもシオの書く字が美しいということは何となく分かる。
(いろいろあって、ぶりっじざいだんからにげています。しばらくでいいのでここにかくまってもらえませんか?おかねならすこしはらえます)
シオが自ら紙を皆に見せる。
  こういう判断は無論チームリーダーに委ねられるわけだが、彼は彼でたいして悩む素振りも見せずに一刀両断した。
「金はいいよ、下宿じゃないしな。俺らも女の子増えると嬉しいしさっ。こっち来て!全員紹介するよ」
レキがシャッターを押し上げると同時に渋い顔をさらす。
雨はほとんど小降りになっていたが、その中で運動会を見に来た父兄ばりにテントの中に並ぶ男たちははっきり言って気持ちのいい絵面ではない。 しかも全員ガラの悪いしかめ面である。
「……新入りか?家出娘なら止めとけよ、足が着く」
まるで強盗犯のような台詞だが、要は警察にうろうろされるのは好ましくないという意味だ。エースの短絡思考にレキも深々と嘆息する。
「新入りじゃないよ、一時的な居候。シオ、今のくわえ煙草の無精ひげがエース。あんまり側に寄ると子どもが出来ちゃうから1メートル以内には近づかんように」
テント内で下品な笑いがわきあがる。
  無茶苦茶な紹介も別段気にせず、エースが愛用のテンガロンハットを軽くあげる。とてつもなく爽やかな笑みで以て名誉を挽回するつもりだ。
「よろしく、フレイムのジェントルマンのエースだ。捕って喰やしねぇからなんかあったら俺に言いな」