ACT.22 マスカレイド


「ユニオンチームももうじき到着、だそうよ。気を付けて、行ってらっしゃい」
「……ラージャー」
ラヴェンダーの声がトランシーバーから聞こえても、はしゃぐ気にはなれなかった。ジェイはトランシーバーの電源を完全にオフにする。ここから先は無用の産物だ。
  感嘆が意志とは無関係に漏れる。奇妙な話だがレキ、シオ、ジェイ、今ここにこうして立っている三人は今の今まで実際にこの巨大クレーターを目にしたことが無かった。向こう岸がぼんやりとしか見えないのは、距離のせいも無論あるが原因の大部分はクレーターの大口周辺に渦巻く濃い霧だと思われた。冷やしすぎの冷蔵庫のように霧は肌を刺す。
「下りようぜ、調査用の簡易通路があるんだろ」
レキの一言で残りの二人も我に返る。世界の不思議スポットを見学に来たわけではないのだ、目を凝らして下への道を探す。
  穴の周りにはとってつけたようなロープが引かれているだけで落ちようという意志さえあれば容易に落ちれる。反対に少しの不注意で真っ逆さま、という状況も考えられた。踵に当たって真下に転がっていく小石は、軽快に音を立ててはいたが途中で消えた。
&bsp; 円周に沿って暫く歩くと簡易通路とやらを見つける。随分使われていないようだったが、鉄筋造りの階段は予想よりも丈夫そうだ。
「…ジェイ一番後ろ。シオ、真ん中な。足元気をつけろよ。落ちるときは独りで、間違っても周りは巻き込まんように!」
レキが冗談交じりに注意をして先陣を切った。
カンカン――それらし鉄の音が足下で響く。白みがかった視界に少しの不快を覚えながら三人は黙々と階段を下った。が、その黙々ももったのは三分だ。
「なぁ、これどんくらい下れば底に着くわけ? 底が見えないってことは結構な距離だよな?」
「知るかよ」
「(約十キロって言われてるけど)」
「え゛!?」
  レキは前を向いたまま適当にあしらったため、後方のシオが丁寧に対応しているなど思いもしなかった。前触れのないジェイのおたけびに足を止める。
「何なんだよっ」
「十キロって! 十キロ歩いて下んのは無理だろ!? ブレイマーに会う前にハイドレインジアが切れるよ!」
レキも一瞬青ざめるが、完全に青くなる前に解決策が視界に飛び込んできた。自分たちが無理だと悟るくらいだ、当時の調査団だって同じだろうことは少し考えれば分かることだ。階段は終了、代わりにこれまた簡易のエレベーターが備え付けられていた。こちらも感想としては階段と同じで、それなりに信用して良さそうな造りだ。
  ジェイが気恥ずかしそうに肩を竦める。
「あ、すげぇちゃんと動く。地熱利用か?」
「動きゃあいいんだよ」
中を覗き込んで感心するジェイを押しこむと、レキ、シオと特に警戒もせずずかずかと乗り込む。まだ入口にも来ていないのにもたもたしてはいられない。そう思えるのも、理解できるような人工物が安堵をくれるせいかもしれなかった。
「上か下のボタンのみって……途中下車はできませんよって意味だよな」
「もたついてないで押せって」
言いながらレキが横から無造作に下行きのボタンを押した。直後に一度上下に揺れ、そうかと思うと今度は静かに景色を上へ上へと押し上げていく。もしこのエレベーターが作動しなかったらパラシュート大作戦になるところだった、いくらなんでもそれは避けたい。何はともあれこれでクレーターの底までは労せずして辿りつけそうだ。
「動くもんだなあ~…クレーターができてからだから少なくとも三十年はほったらかしのはずだろ? 機械って別に不備が無くても使ってなかったらダメになるんだけどな」
  狭いエレベーター内、あえてなのか仕方なくなのかは今となっては不明だがシースルーの外壁のおかげでクレーター内部の様子をよく観察することができた。幸い床だけは不透明だ。
  ジェイは悠長に壁にもたれてクレーターよりも調査団の機器類に興味心身である。シオはシオで今や平べったくなったメモ帳に何かを書いている。レキは内心高度とエレベーターの強度にびくついていたが素知らぬ顔で面白くもないえぐれた大地の断面を見続けた。
  シオがメモを二人に向ける。
《ブリッジが定期的に調査はしてるって聞いたことあるからそんなに危なくはないと思う》
レキとジェイが覗き込む。
「……調査って……中まで?」
「(まさかっ)」
シオが軽く肩を竦めた。
「だよなー。ブレイマーの巣だぜ? 発生源だぜ? リスクでかすぎっ」
ジェイの軽快な笑い声が空しい。無反応な残りの二人に気づいてジェイも口ごもった。これから自分たちがそのリスクを冒しに行くのだから、考えればできるのはせいぜい苦笑いくらいだ。
  変わり映えのしなかった景色に変化が表れ始めた。個室内にいるおかげなのか寒さは和らいだが、辺りがどんどん暗くなっていく。景色が変わっているわけではないだろう、おそらく見えないだけで相変わらずの地面の断層が続いているはずだ。時間的にも、今はまだ日が昇ってそう経っていない。十中八九、地下の深淵がもたらす深い闇の色であろう。
「……ジェイ、ライト」
「あ、ああ」
ジェイが予めヘルメットにつけておいたライトを点灯すると自分たちの周りだけは仄かに明るくなった。同時に周囲が完全に暗闇の世界であることに気づかされる。エレベーターの可動音だけが異様に耳についた。
「シオ、何かあったら自分のライト点けて知らせて。この暗さじゃ分かんねぇから」
  シオは頷いて、それからそれが既に通用しないことに気づきライトを一瞬だけ光らせた。ジェイの頭の明りだけでもレキが笑ったのは見えた。
  エレベーターの音に元気が無くなり、徐々に速度が落ち始める。それは合図だ、確認するまでもなく三人を乗せた小さな箱は静かに停止した。ジェイ灯では互いの姿を確認するだけで限界である。レキは自分のペンライトを点灯して前方を照らした。
「ジェイ……ちょ、下照らして」
「はいは……」
  目の前に、いや視界を埋め尽くすほどにそびえたつ巨大な巨大な岩があった。照らした部分は鉄鉱石のように黒く、どこか光沢があるようにも見える。
  吸い寄せられるようにレキは近づいた。
「おいレキっ」
ジェイがその後を追う。足場は基本的に安定しているようだったがあちこちに隕石の欠片が転がっていて注意深く歩かなければ足をとられる。
6nbsp; レキは触れようとして寸前で手を引いた。連鎖反応を起こして二、三歩後ずさると、訳も分からずジェイもそれに倣った。
「ど、どした……?」
「これ……」
「隕石、だろ例の。小隕石って……ビルくらいあるって」
ジェイは薄暗い中レキを照らしながら岩の頂上付近を見上げた。薄明かりの中レキの険しい顔つきが浮かび上がっている。眉間に皺をきつく寄せたまま、レキはジェイのヘルメットの光を無理やり隕石の方に向けた。首までねじってしまったか、多少嫌な音もしたが些細なことだ。
「……脈みたいに見えないか、この、全体に走ってるやつ」
自分でも気色の悪いことを口走っている自覚があった。だからこその、この顔つきだ。ジェイとシオが似たような顔つきになるまでものの数秒だった。
  スポットライトの中で、その黒い岩に網目状に走り表面を覆い尽くしている糸のようなものが見える。宇宙の岩とは言え岩は岩だ、多少の色の違いや硬さの違いは認めるがこの脈を纏った石を隕石と呼べるかどうか、根本的なところに三人は疑問を抱いた。
  レキの問に誰も反応を示さない。代わりに否定もしない。今にも鼓動しそうなそれを例えるのに、レキの言葉は的確だった。目が離せない。得体の知れないものを目の当たりにして好奇心の方が勝っているのか、三人共に微動だにせず眼前のそれを直視し続けた。
「バクテリアとかってやつ……? ひょっとして」
ジェイにしては相応な見解だ、これにも反応は無かったがレキもシオも胸中で頷いていた。
  実のところ、何だっていい。一番納得できる答えを出して早々に片付けるのが得策だと思えた。同時にこんなものをここに放置してくれた多くの科学者たちの正気を疑った。
  レキは自分のライトを隕石から逸らす。足下と前方を交互に照らして探索を始めた。ジェイもかぶりを振ってヘルメットの位置を元に戻す。
「シオ、俺の近くに。レキはちゃっちゃか一人で行っちゃうからさ」
「悪かったな、道を探してんだろ」
  できるだけ視界に入れないように、照らし出さないように、隕石の外周を歩く。それでもその存在感と威圧が肌に突き刺さる。息が上がるのは単に地下の空気が薄いせいだとレキは自分に言い聞かせた。クレーターの底についてすぐにこれでは奥に何が待っているか分からない。冷や汗が頬を伝うのをレキは誤魔化すように拭った。
「お先真っ暗……」
ジェイの嘆息――シャレにしては面白くない。面白くはないが不思議と失笑してしまう。吐く息、呼吸の速度、呟く言葉の数々、地底を踏みしめる音、それらの僅かな音が静寂の中では大音響のように感じる。
  蝙蝠一匹、見当たらない。先刻からよく足下を照らすがあるのは隕石片ばかりで虫一匹いない。生ある者の居場所でないことは確かのようだ、分かり始めたクレーター内の状況はどれもこれもこの世のものとは思えないものだった。