ACT.23 カタルティック アンセム


  一方、クレーターチーム。レキ、シオ、ジェイはさながらお化け屋敷探検隊で、ヘルメットの電灯だけを頼りに一列になって進んでいく。首をふればその分周りをうろつくブレイマーを照らしだしてしまう。その都度体を強張らせてはいるがもはや誰も悲鳴はあげない。ジェイでさえも息と一緒にそれらを呑み込んでいた。
「……にしてもバカ広いよな。クレーターの奥がこんななってるなんて想像もつかないよな、普通」
敢えてブレイマーへの感慨は口にしないところがジェイらしい。しかしその見て見ぬふり戦法もそう長くは持たなかった。
ウ”ォ”ォ”ォ”ォ”ォ”――――近い。全身を上から下まで貫くような衝撃が走る。その咆哮に共鳴して洞窟全体が揺れた。不意の地鳴りに三人そろってよろける。今の今まで変に静かだっただけに突然の唸り声には流石に心臓が縮みあがった。
「グァ”ァ” グギャア”ァ”ア”」
咄嗟に耳を塞いだ。低く重い、そして濁った悲鳴はレキたちのすぐ近くで発せられているようだった。
「何なんだよ……っいきなり!」
  断続的にそれは発せられ続ける。レキは歯を食いしばりながら自分のライトのスイッチを入れた。轟音のする方へ素早く光を向ける。
「うっうわあ!」
尻もちをついたのか、ジェイのライトの光が上下に激しく揺れた。
「レキ……っ」
レキは咄嗟の反応というやつをし損ねて、ただ目を見開いて動けなくなっていた。視線もライトもそれから逸らすことができない。
  スポットライトに照らされた物質は彼らの知る生物、あるいはその次元を超えたものだった。ぼこぼこと泡立ち、その気泡が生まれては破裂する。黒い穴のようなものが常にその泡の中にあって、奇声はそこから発せられていた。ぐちゃぐちゃの粘液が次から次へと地面に落ちて、それも脈打つように一定間隔で破裂を繰り返している。泡の集合体は宙に浮いたまま混ざり合い、溶け合い、少しずつ大きくなっていく。
「ギャアアァ グヴァ”ア”!」
とろとろのチーズに浸したパンのように体液をとめどなく滴らせる。やがてくぼんだ目のような穴が二つ出来、手足のようなものが四方に伸びる。
  そこまで見届けてレキはやっと金縛りから解放され、必死に体をよじった。ライトのスイッチを切る。
  聞いたこともないような苦痛に歪んだ絶叫だけが暗闇の中に響く。せいぜい例えるなら人間の断末魔に似たその奇声、耳から離れないその音は疑う余地もなくブレイマーの産声だった。死霊とバクテリアの結合の瞬間を三人は目の当たりにしてしまったのである。
  思い出したように吐き気が一気に襲ってきて、レキは口元を手で覆った。
  生命が生まれ出ずる瞬間はもっと温かくて感動に満ちているものだ。べとべとの粘液も一発目の泣き声もどこか愛しいはずだ。それが殊ブレイマーに関してはまるで適応されない。苦しみと悲しみに満ちた悲鳴と共にどす黒い、粘った泡が融結合していくその過程に微塵も情は湧かない。込み上げきたのは胃液だけだった。
  これが、ブレイマーだ。
グァ”ァ”ァ”ァ”――また別のところで産声があがる。空洞内に反響するそれは、近いのか遠いのかという判断さえも虚ろにした。
「先進もうぜ。放心してる時間なんてないっしょ」
いち早く立ち直ったのはジェイだった。ずれたヘルメットとライトを適度な位置に戻して服についた砂埃を軽快にはたいた。残りの二人を照らすと、未だ口元を覆ったままのレキと青ざめたシオが浮かび上がる。
「シオ、大丈夫?」
シオは険しい表情を振り払うように何度か頷いた。
「レキ」
  返事をしないでいると全員が口ごもる。そうすると、体液の混ざる音や咆哮が否応なしに耳につく。そのまま耳を傾けると先刻の光景がありありと蘇る。
「……分かんねぇな、こんなもん作り出す意味が」
  生まれる喜びも、生きる楽しさも、おそらくこれらには無い。生命と呼ぶには相応しくない。その点において人は違うと言い切れるのだろうか――自分は違うと言えるか――レキは考えてすぐに止めた。
「共感されも困るけど」
ジェイは苦笑して再び先頭を歩きだした。心臓に悪いものがたたみかけるように襲ってきたあとでは恐怖心というやつも消える。先刻よりも数段しっかりした足取りで突き進んでいった。
  レキのすぐ前を歩くシオも足取り云々にとりわけ変化はない。ただ内心どう思っているかは測りかねた。当然のことながら彼女は終始無言で、悲鳴すら呑み込む。だからこそジェイの情けない悲鳴がやたらに悪目立ちするわけだが、ジェイも途中から大絶叫しなくなったせいか、今度はブレイマーの雄叫びが一番耳につく、という嫌な状況を作り出してしまった。
  レキも言葉を呑み込み続ける。声に出さないだけで頭の中は喧噪にまみれていた。
  ギャ”ァ”ア”ァ”ァ”!――ブレイマー発生の一部始終が脳裏に焼き付いて離れない。産声と一旦は称したものの、レキの中ではそれはあくまで発生であり誕生ではなかった。生物とは、何か。生きている、とは何を指すか。そして生命とは何であるか――全ての定義は所詮人間の決めたエゴの解釈にすぎないのかもしれない。割り切れることではないからこそ、ブレイマーの存在を否定することもできない。
  空洞内は一発目を皮切りに常にブレイマーの声が鳴り響き続ける異様な空間となっていった。よく反響する。会話も思考もシャットアウトする。
  レキは半ばやけくそにライトのスイッチを入れた。ジェイの背中とその前数メートルが一気に明るさを増す。
「何!」
「道! 合ってんのか! さっきからまっすぐ歩いてっけど!」
ブレイマーに負けじと互いに声を張る。
「んなこと言われてもな……。俺がどういう構造か知ってるわけじゃないんだし……」
まっすぐ歩いてきたのは迷わないためだ。何も手掛かりがない状態なのだからそれも仕方がないし、むしろ最善策といっていい。
「例の学者がここを往復したのかっていうのが既に疑問っていうか……。往復するつもりがあったならこんなに奥深いところに何かしら設置するってのは不便すぎない?」
「それこそ敵とか、泥棒とか、警戒してたんだろ」
  シオがライトを点けて自分の唇に向ける。
「(あるいはジェイの言う通り、行ったっきり戻ってこないつもりで作った、とか)」
レキとジェイがシオの唇を読んで、一拍置いて静止する。二拍目にはレキは頭を抱え込んでいた。
「何でそう悲観的なことばっか言うかなっ。それじゃああれか? この洞窟はそれこそ果てしなーく広くて、複雑で、辿り着いたら着いたで帰れないってことか? だったら困るだろ!」
「困るなあ……」
「(困るねえ……)」
ジェイとシオが示し合わせたように揃って首をもたげる。言うまでもなく一番困っているのはレキだ。三人が立ち止まってから五分は経っている。ここで首を傾げあっても時間の無駄でしかない。
  シオがまたライトを自分に向けた。
「(でもこれが人の手で広げられた穴ならやっぱりそんなに広くはできないと思う。あの科学者に協力者が居たとは思えないし。それに……)」
一度唇を結んで呼吸を整える。レキが向ける期待一杯の視線が痛い。
「(ブレイマーはここの守り神として、ルビィと一緒に残されたんでしょ。元は一人の女性を蘇らせるための試作だったのかもしれないけど……それは叶わなかった。だったらブレイマー自体、科学者には破棄する手段があったはず。それでもこんな形で残されたのは、こことその女性を守るためでしょ?)」
レキの顔色が変わった。青くとか白くとか、極端にではなくシオにだけ分かるように僅かに変色する。目から期待の色が消えた。
  ジェイはシオの言葉を必ずしもすべて掴めていないのかもしれない、レキとシオの顔を交互に見やって様子を窺う。
「(ええっとつまりね、私が言いたいのは……)」
「広くて複雑ならわざわざブレイマーを残さなくてもいいってことだろ?」
レキが割って入る。ジェイはやはりあまり理解できていなかったようで今初めて納得の声を漏らした。
「(言い切れないけどね。楽観的に考えたらそうなるでしょう?)」
一杯喰わされたようだ、レキの非難を受けてのわざわざの楽観思考だったようで、悪戯っぽく笑うシオにレキも苦笑をこぼした。
「まあいいや、そういう考え方でいこうぜ。ジェイ、ぼさっとしてないで進むぞっ」
  ジェイが二度返事をしながら再び先頭を歩き始めた。歩調を合わせつつレキがライトを消し、続いてシオもそれに倣う。
  短い会話が途切れるとまた頭の中をブレイマーの咆哮と、大して実もない哲学が支配する。それが先刻より楽になった。今レキの胸中や脳内を満たしているのは例の楽観的思考だ、それと“やっぱりシオは凄い”という感情。同じものを見て聞いているはずなのに、彼女とレキの見方や聞こえ方は見事に違う。そしてそれを紡ぐシオの音のない言葉は、美しく、神聖だ。
  ブレイマーはこの場所と、この場所に眠る魂の守り神なのである。それはあくまでシオの解釈に過ぎないのかもしれない、しかし本来の目的と役割がそうであることを知っているからこその歪みのない解釈だ。悪魔か、モンスターか、または生のないただの物体か、それらはブレイマーの真の姿では無いのだろう。
  レキは考えるうちに妙な震えを覚えた。クレーターは巨大な「墓」だったことに今更気づく自分が怖ろしかった。