ACT.2 サイレントレディ


「俺は“H”じゃないよっ、ヘッドってのはそうだな『リーダー』って意味でさ。そういや言ってなかったな、俺はレキ。フレイムのチームリーダーだ」
シオが口パクで今度は“R”を表現するとレキが軽快に頷きまくった。
  と、一人で小刻みに肩を震わせるジェイ、何だか笑いを必死に堪えているようだ。
レキが訝しげに揺れるヘルメットをはたく。
「いゃあ、だって……!俺てっきりこいつとこいつはエロいって言ってるんだと思って。“H”って、そういうことねっ、イニシャルねっ」
あきれ果てるレキの代わりにハルがヘルメットの上からジェイをぶん殴る。ヘルメットの前後が入れ替わってもお構いなしに笑いころげているところを見ると、 どうやらツボにはまってしまったらしい。
エースが見向きもしないまま目障りなジェイを隅に押しやった。
「何はともあれシオが見つかったのがここで良かったよ。スカルだったら絶対まわされてたぜ、お前」
「そうだな、こんな上玉スカルに持ってかれるのは痛い」
どうもエースは女と見るとそっちの方に意識がいくようだ、今度はハルがエースを部屋の隅に押しやった。
笑い茸を食べ過ぎた男と年中発情期の男、というより雄はなるべくシオから遠いところに追いやられた。
「あー……じゃあとりあえずシオには手出し厳禁ってことで。後で全員に回しといて」
エースの舌打ちを無視してレキはようやく落ち着く。頭の後ろで手を組んで乾燥した目を潤そうと目蓋を閉じた。 仮眠ともいえない、つかの間の急速はそれでもレキの安息の時だった。まだ意識ははっきりしていたから残された4人の会話はよく聞こえた。
「気になってたんだけどさ、それ。ずっと握りしめてるやつ、何?何かの……原石?」
ハルがシオの固く握られたままの拳を見る。
指の隙間からこぼれる鮮やかな赤い光沢に他の者も視線を集めた。
シオがとっさに手の中の物を袂にしまう。男三人の好奇の眼差しはシオに警戒心しか与えなかった。レキもいつからか横目でそれを眺めている。
「ごめん、盗ったりしないよ大丈夫。大事そうに持ってたから気になっただけで、さ」
きまり悪く謝るハル、シオはしまった物をなおも心配そうに包む。
確かに全体的に信用するには胡散臭い連中だがこうも露骨に不信感を顕わにされるとハルもやりきれない。
場を悪くした重い空気に休息を打ちきったレキが割り込む。
「わけ有りで財団から逃げてんだろ、あんまり突っ込むなよ」
  赤い、レキの髪の色と同じくらい真っ赤な、おそらくそれは石のようなものだったと思われる。レキが寝たふりして横目に見たのは手のひらにすっぽり収まる大きさのそれだった。
口の利けない女がよりにもよってロストシティなんかをたったひとりで徘徊している時点でいろいろと問題ありだが、その上「ブリッジ財団」に追われているとなればいろいろと入り組んだ事情があるに決まっている。
  『ブリッジ財団』-間違いなく業界ではトップを争う程の指折りの企業だ。 『ブレイマー』の血から採取できる血清が多種の病に効能があることを発見しただけでなく、それを実践してここ数年で鰻登りの興行収入を得た。 その後もブレイマーの研究を重ね、遂には対ブレイマー用『カメレオン・シフト・システム(KSシステム)』を開発したところだ。
  カメレオン・シフトとはつまり、生物が持つ適地適応能力をフルに活用して変化すること、ブリッジ財団はそれに近い能力を発揮するシステムを開発したのである。
“ブレイマーのはびこる生きにくい世”に適応するためのシステム、人々が欲しないはずはなかった。
瞬く間にブリッジ財団の名が全国に轟き現在のような大企業になるに至ったのだ。現在一番ブレイマーの生態に精通しているのはこの財団だと言っていいくらいだ。
(シオ、クレーターを目指してるって言ったな……)
いつもなら全く以て干渉しないレキも今回のそろいすぎたパズルピースには思わず関心を示した。無論顔には出さないが。
(ブレイマーが何か関係してんのか。……面倒なことになんなきゃいいけどな)
再び目蓋を閉じて胸中でぼやく。
  残念ながらレキの切実な願望は数日後にあっさり壊されることになる。レキの言う“面倒なこと”が、これからすぐ後彼の運命を狂わすほどにたたみかけてくることを、レキはまだ知らない。
否、すでに全ては始まっていたのかも知れない。
運命はもう、レキの知らないところで確実に制御を無くしつつあった。それが決して避けられないものであるということだけが、この時彼が知っていたはずの真実、全て、であった。

  ロストシティよりはるか東、地方警察南支部-。
その面積の大部分を囚人の収容所が占めるという半ば刑務所のような建物、その正門が厳かに開かれる。そこを大勢の制服の警官を従えた人物が肩を怒らせて歩いていく。
白いコートに金髪のオールバックはよく映えて印象深い。その白いコートの左腕には『UNION』の腕章があり、その下の星の数は数えられないほどで男の階級の高さを物語っていた。
  建物側からえらそうな初老男性が敬礼で男を出迎える。
「お待ちしておりました、イーグル大佐。我々南支部一同心より歓迎致します」
腕章の男は一瞬その形式張った出迎えに目を向けたが、すぐにつまらなそうに正面を向く。別の制服の男たちが荷物を運ぼうと手を差しのべるのを適当にあしらった。
「くだらん挨拶はいい。すぐに資料をまわせ、ありったけな。この地域周辺のブレイマー情報は特に詳細な物をだ」
「は……、はい、かしこまりました」
初老の男が部下にその手配をさせる。地方警察では上層部にあたる彼でも、この男、イーグルの前では他の部下とそう大差ない。
  イーグルは法務警察連合政府-通称ユニオン-からこの地方警察に配属されたいわば筋金入りのエリートである。
地方警察の主な仕事は犯罪者の逮捕や地域の安全への奉仕だが、イーグルはそんな雑務のために召喚されたわけではない。
彼は『パニッシャー』、ブレイマーの処理を担当するブレイマー専門の警察官である。
「これがここ三ヶ月で確認されたブレイマーの資料です。目撃情報と地図はこちらに」
手渡されたファイルと大雑把なプリントの束を一瞥しながらイーグルは急ぎ足に廊下を進む。次々と紙をめくっては視線だけを上下させた。
「確かにここ一ヶ月で目撃情報が多いな。ロストシティエリアか……無人の廃墟に巣くったところで喰う人間もおるまいに」
「そのことですが……実のところロストシティは現在無人ではありません。ノーネームの子どもたちがチームを作ってそこを根城にしておりまして……」
イーグルの足がはたと止まる。ファイルを部下の胸部に押し返して強引に持たせた。
眉間のしわを見て部下の警官は冷や汗を流した。
「……地方警察、ここはそこまで無能なのか?だったらそのクズ共をさっさと捕まえたらどうだ。今まで何をしていたか聞くに耐えんな。 ……ロストシティエリアに網を張る。それまでにノーネームのガキどもを一掃しておけ、一匹残らずな」
「はっ!」
敬礼、それをつまらなそうに見やってイーグルは案内された部屋のドアを開けて中に入った。   こぎれいなホテルのような一室、中央のソファに腰を下ろすと眉間のしわをほぐす。自然と疲労の溜息が漏れた。
電気ひとつつけず、薄暗い空間で吐いた息の音だけが響く。
「ブレイマー……罪人、か。くだらん……」

  -再びロストシティ・東スラム。
夕焼けもやはりさほど綺麗には見えず、塗り重ねすぎた油絵のように濁った朱色の空をレキはぼんやり見上げていた。
眼前に金髪の少年が首をもたげて立っている。
レキが別に美しくもない夕焼けを見つめている理由は彼・エイジにあった。
「わざわざ呼びつけて、今度はどうした?あんまフレイム側に来てローズ困らせんなよ」
エイジが馬鹿にしたように鼻で笑う。
レキはおかしなことを言ったつもりはさらさら無かったからエイジの態度はやはり気にくわない。それでなくてもエイジはもとから鼻につく性格だった。
レキが深々と嘆息する。
「なんか困りごとか?できる範囲でなら助けてやるけど」