ACT.2 サイレントレディ


「とぼけてんじゃねぇよ、何で俺がここに来たかくらいわかってんだろ?イライラすんぜ、その言い方」
エイジが奥歯を噛み締めて嫌な音をたてる。
いつもは適当にあしらうレキも最近は嫌気を顔に出すようになっていた。わざとらしくまた嘆息する。
「なんとか言えよ……俺には何も言えねぇのな。フレイムのヘッドもユウの顔色ばっか窺ってんじゃただのふぬけだなっ」
エイジはフレイムのメンバーではない。だからこそレキに対して何の臆面もなく思ったままを口にする。
  そして本人が自覚しているかどうかは定かではないが、もう一つ彼の言動を大きくさせる理由がある。
それがブラッディ・ローズのヘッドの弟、という肩書き。エイジは無意識の内にそれをフルに利用する根っからのずる賢いタイプの男だった。
「勘違いすんな、別にお前に気ぃ遣ってるつもりなんかない。言うことがないだけだ」
「レキになくてもこっちにはあんのっ。わかる?単刀直入に言うけどさぁ、あの女何?何さーっとフレイム入れちゃってんの?」
予想通り過ぎる、99,9パーセントシオのことを言っているのだろう、ゼットを加入させた時も同じように一悶着あったからレキにはこの展開は早々に読めていた。
「お前にいちいち断る必要なんかねぇだろ?だいたいシオはフレイムに入ったわけじゃねえよ。一時かくまってるだけ。……わかったらもういいだろ?」
座っていた石から尻を上げて軽くはたくとレキは逃げるように踵を返した。
それをエイジが急いで引き留める。レキの肩を鷲掴みにして力ずくで向き合う。
「だったら俺も入れてくれたっていいだろ!?ヤクも止める!頼むよっ、な?」
手のひらを返したように哀願してくるエイジ、レキはあっさりその手を振り払って再び距離をとった。
レキは知能指数は低いが人を見る目は誰よりある。エイジの奥の手くらい今更見破れないはずはない。
「わかんねえ奴だな……。何度も言わせんな、お前をフレイムに入れるつもりはない。薬やめようが何しようが俺の考えは変わんねえ」
「……んだよそれ。薬止めたら考えるっつったろ!嘘ついたのかよ!」
「そうだよ、悪いか?……お前はフレイムに合わない。俺は信頼できる奴だけをメンバーとして認めてんだ。 悪いけどエイジのことは……俺は信用もできないし同情する気もない。わかったら帰れよ、ユウに心配かけんな」
レキがここまで冷たく言い放ったのは初めてだった。本音を言ったことも、だ。
エイジもそれが分かって言葉を無くした。伏し目がちのレキをぼんやり眺めて、レキが顔を上げるのとほぼ同時に足下に唾を吐いた。
「分かったよ、もう頼まねぇ。こんなしけたチーム願い下げだぜ!せいぜい仲良く幼稚園ごっこしてろよ!」
「エイジ!」
皮肉の笑みを浮かべて雨上がりの地面を蹴る。水たまりが飛沫を上げてレキの顔にはねた。
  苛つきながらそれを粗っぽく拭ったところに別の足音が背後から響く。小石をつけた靴裏のせいで少しの体重移動でその存在に気付く。
「エーーース……だから見てたなら助けろって。覗き見かよ、悪趣味じゃね?」
「馬鹿言え。覗き見は男の伝統だ。……まああの坊主にはあれくらい言った方が身のためだな。どこまで甘ったれて育ったんだか」
エースが煙草の煙をゆっくりふかす。ここで一発ドーナツ型やら円盤形やらを作ってくれれば気分もほぐれるが現実にはそんなことありえないし、 あり得たとしてもエースにそんな技術はなかった
。 「ひとつ言っとくとな。俺を信用してると痛い目みるぞ。ん?」
「……それは知ってる」
煙草の灰が小さくなってエースが笑う度に地面に落ちていく。
レキはそれを苦笑いで見ていた。

  バキッ-誰が飲んだかも知れないワインの空き箱が軽快に宙を舞う。地面に叩きつけられて粉々になる木片をエイジは悪意たっぷりに睨み付けた。 さらに木片を踏みつけにして完全に破壊するつもりなのだろうか、レキに見立てた木箱は悲鳴を上げてがらくたに姿を変えた。
息づかいを荒らげてエイジがようやく木箱から足を離す。
  あれからブラッディのアジトに帰ることもなく、エイジは東スラムの外れをうろうろしていた。
スモッグと夕暮れは妙な調和で紫色の空を作り出している。
「まぁそんなに興奮すんなよ。てめえにいい話……取引持ってきてやったぜ」
「……誰だ?」
  ワインの木箱はエイジの視線の先に文字通り山ほどあった。
これでもかと言うほど積み上げられている理由、東スラムと北スラムを隔てる境界線でありお互いの侵入を防ぐちょっとしたバリケードだった。 と言っても突破は容易い。フレイムもブラッディ・ローズもそして北スラムを牛耳るデッド・スカルもあえてしないだけの話である。
  エイジが訝しげに声の方を見る。
相手が唇を舌で舐めた瞬間、舌につけられた銀のピアスが怪しく光った。バリケードから転がり落ちた木箱の上に腰掛けて指を遊ばせている。
「まさかデッド・スカル……!?マジ、かよ」
後ずさるエイジを見て男は歯を見せて笑う。腕まくりをしたジャンパーの裾からのぞく左手のタトゥー、エイジは生唾を飲んだ。
「そうびびんなって。お前エイジだろ?俺らの間でちょっと有名になってんだよ。レキにまとわりついてるガキがいるってな。お前だろ?」
「俺は別に……!」
薄暗い中で奴の目は猫のように鋭く光る。そうかと思えば蛇のような青白い舌で時折唇を舐める。
エイジは不覚にも内から湧き出る恐怖感に口をつぐんだ。
「フレイムに入りてぇんだろ?だったらスカルにしとけよ、お前なら優遇してやんぜ。フレイムより……お前はスカルの方が合ってる」
エイジがとっさに顔をあげる。
レキに言われたことの真逆を男は囁くように口にする。不敵な笑みを浮かべる男の口調は不思議な説得力があった。
  デッド・スカルに入ったともなればロスト・シティではハクがつく。加えてレキやユウも一目置いてくれるかも知れない。 フレイムでゼットのように使いパシリをさせられるよりはエイジにとってはるかに魅力的に見えた。
「俺が……スカルに入る?」
「但し条件はある。こいつでレキを撃て。殺れとは言わねぇからせめて腕の一、二本飛ばして来い。 ……そしたらうちで幹部扱いしてやるよ。デッド・スカルでは強ぇ奴が幅効かす。ルールは他にねぇ」
男がポケットから取りだしたものをエイジの足下に投げる。それはくるくる回りながらやがて止まる。
真っ黒なボディのオートハンドガン、エイジはおもむろも持ち上げた。
「レキを撃つだって?こいつで……?」
「そいつはてめえにくれてやる。好きに使え。スカルに入る気になったらやればいい、ちょっとしたセレモニーみたいなもんだ、簡単だろ?」
スライドを引いてコッキングさせると確かに実弾の重みを感じる。カートリッジにはぱんぱんに弾が詰まっている。
エイジは興奮と恐怖とで指先が震えるのを感じた。そして再びセイフティーをかけてしっかりとグリップを握りしめた。
  いつの間にか男は姿を消していたが、もはやエイジにはどうでも良かった。
目の前の漆黒の銃に魅入られて狂気と狂喜を抑えるのに精一杯だった。
「あいつ、シバだ……!デッド・スカルのチームリーダー。レキを撃てば幹部か。おもしれぇ……!」
ジーパンのポケットに銃を押し込むとエイジは喜々としてブラッディ・ローズのアジトに帰っていった。
  ユウは帰った時にはどこかに出かけていて顔を合わすことはなかったが、エイジにとっては好都合である。
廃ビルの中で明かりもつけずにポケットの中をまさぐる。手のひらに覚える冷たく固い感触にエイジは不敵な笑みをこぼした。
「見てろよレキ……!こいつさえ……こいつさえあれば……!」

  夜は恐ろしいまでの早さで更けていく。光化学スモッグに覆われて当たり前のように毎夜拝める淡い朧月も今日は一段と揺らめく。
強い風が、雲と厚い煙の層を次から次へと押し流して珍しく空そのものの色を垣間見ることができた。
  レキはやはりそれをぼんやり見上げている。
移りゆく空の景色を特に感慨もなく眺めるのが最近のレキの日課だった。最近と言ってももう四、五年は続いていることだ。
雨の日以外はこうして空を眺めた。
「レキー、もう中入れよっ。シャッター閉めるぞー」
「おー。今行くわー」
倉庫から呼ぶハルに向かって生返事をして、レキは名残惜しくもテレビ部屋に入っていった。後ろ手にシャッターを閉める。
風は倉庫のシャッターをも震わせていた。