ACT.24 ラストサイン


「どうなってんですかね、ヘッド。いきなりきれーにブレイマー消えちゃいましたね」
「凄い土砂降りでしたもんね」
取り巻き二人が岩陰から顔を出す。雨は上がっていたがクレーター最深部に光は無い。下僕Aの持つ小さなペンライトだけが彼らの拠り所である。
  サンダーは鼻を鳴らして二人の後に続いた。
「どうせ奴らが一枚噛んでるんだろう。何だってこんな曰わくつきの場所に……っ」
サンダーは足元に転がる無数の隕石片のひとつを蹴り飛ばす。石が僅かに跳ねる音だけがこだまし、後は無音だった。
  胸の辺りが、食中たりでもないのにムカムカしていた。思い出すのは、昨夜イリスで見たレキの左腕の変貌のことだ。
「ヘッドこそ結局何なんすかー。フレイムの頭には勝ったんだからもういいじゃないすか」
「帰って祝勝会でもしましょうよ」
仲間の声が耳から耳へ素通りしていく。遠回しにもう帰りたい意思を主張しごちゃごちゃと二人でぼやいているが、サンダーには雑音でしかなかった。
「もう俺ここ嫌なんすけど……。絶対なんか出ますよ、ここ。さっきも横穴のところで人影らしきものが……」
「ぶ、ブレイマーだろぉ?」
無理矢理笑顔をつくる下僕A、B。大袈裟に声を張り上げてもサンダーは上の空だ。ぬかるんだ地面を睨み付けながら隕石の破片を蹴散らしている。
「レキといい、このクレーターといい……何だってんだ気持ち悪ぃな」
  蹴り損ねた石をよくよく見てみれば、微細に網目のような赤い線が走っている。つまみ上げてみたが隕石と一体化していてびくともしない。
  歯茎を剥き出しにして嫌悪感を全面に出すと、汚いもののように無造作に放り投げた。
「(なぁっ、ヘッドおかしいよな!? 何でこんな静かなんだ今日っ)」
「(しかもずっと真面目顔だしな)」
暗闇の中で耳打ちし合う下僕たち、危惧する内容が若干ずれているが二人にとっては十分に不安要素であった。
  と、そんな倦怠感にまみれた二人の眼前に突如サンダーが躍り出てくる。亡霊にでも出くわしたかと言うほど縮み上がって二人で肩を抱き合ってしまった。
「決めたぞ! ブレイマーも消え失せたことだし、俺様は中に入って奴らを追う!! ライトよこせっ」
「へ? 今からですか?」
答えはない。サンダーは勢い良く彼からライトをぶんどると足早に横穴の方へ駆けていった。
  取り残された二人の周囲が極端な深淵に包まれる。数センチの間合いにいるはずなのに互いの存在を見失った。どちらとも知れない淡々とした嘆息が闇の中に混ざっていった。
  一方サンダーは特に警戒もせず、周囲に目を配るでもなく、猪突猛進の勢いでずんずん洞窟内を突っ切っていく。彼の辞書に躊躇という言葉はない。脇目もふらず突っ込むことで動きの鈍いブレイマーなどは思い切り見過ごしていた。おそらく道中二、三体とすれ違っているのだが、視界もあまり良くない上にこの集中力だ、結果的には互いに認識しないままで済んだ。
「あの野郎、どういうことか洗いざらい吐かせてやる!」
  気になることは自分の目で確かめないと気が済まない。そうでなくとも、今抱いているわけの分からない苛立ちをこのまま割って、切って、水に流すなんてことはできそうにない。
  世界が動き出したことを、サンダーは野生の勘(に限りなく近いもの)で察知していた。
  暫く怒濤の勢いで進んでいると天井が遥かに高い開けた空間に出た。一度ここで足を止める。
「臭う……臭うぞ! 居やがるな!」
  視線の先がぼんやりと明るいのが分かった。
「二人ともしっかりしろよっ。もう着くからさ……っ」
  一際明るい声が空間に響く。ジェイが後ろ歩きでレキとシオを誘導していた。
「私は大丈夫だけど……」
「そんな可哀相な目で見んなよっ。大丈夫だっつてんだろ! ジェイも前向いて歩けよっ」
  聞き慣れた、いや聞き飽きた声が三つ、サンダーの耳に届く。思わず締まりなくにやけてしまった。
(三馬鹿トリオめ!! よーーし、ここで俺様が……)
  描いた登場シーンがこうだ。まず、この暗闇を活かしてどこからともなく反響する笑い声、奴らが惨めに、情けなく、実にへっぽこに狼狽えまくるところに颯爽と躍り出て威嚇射撃を一発!--想像しただけで自分の格好良さに酔いしれてしまう。
  やはりこぼれ出る笑みを何とか抑えながら銃を取り出そうとジャケットに手を入れた。
  カ・チッ--そこへ、ほんの僅かに聞こえるコッキング音。サンダーは驚いて銃から手を離す。一瞬、自分のダブルアクションのハンマーがひとりでに下りたのかと思った。すぐに違うことに気付く。音は、全く別の方向から気付かれないようにゆっくりと、響いたものだ。
  サンダーの五感はとにかく野生動物並で、その小さな音の方向を特定し即座に視線を送るなんてことは造作もないことだった。人影がある。自分よりも数メートル先、よりレキたちに近い位置の岩陰に闇と一体化するように潜んでいる。ジェイが照らす道筋、その明かりから逃れるように息を殺したそれは、サンダーの位置からは逆によく見えた。
(あん? 誰だありゃ。あんな奴フレイムに居たっけか……)
悠長のそんなことを考えた。見覚えはない。宿敵フレイムの連中はピンからキリまで記憶に刻んである。しかし次の瞬間、その疑問は一気にどうでも良いものになった。
  人影が腕に握っているのは赤外線スコープ搭載のアサルトライフル--先刻のコック音の源に相違なかった。見覚えのない顔とは裏腹に、見覚えが有りすぎるマークがその男の手の甲に刻まれていた。脳天が真っ二つに割れた頭蓋骨、暗闇の遠目にもそれははっきりと映る。
「ハルたち上手くやったかな……。地上に出たら、まずは中継組に連絡だな」
「案外すぐそこまで迎えに来てっかもよ。ラヴィーは気が利くからさぁ~」
  ジェイは前を向いたり後ろを向いたり、灯台のようにくるくる回転し辺りを照らしていた。レキももうそれを窘めない。気付けばほとんどシオに支えられている状態で、かろうじて歩いている自分がいた。出口に近づくにつれ、雨の影響がレキを襲っていた。
  足がもつれても歩ける自信はあった。ただ前を見て、ひたすら歩くことに全神経を集中させていたから。そうではなくてあとほんの少し、周囲への緊張が残されていたら--そのとき起こった空気の摩擦にあとほんの少し早く気づけていたら結果は全く異なるものだったのかもしれない。
  ライフルの照準はレキの左胸、全てに気付いたのは彼だけだった。
「レキィィィ!! よけろぉ!!」
危機迫る声が響く。誰の声かは当のレキには分からなかった。
  ッパァァン!!--一瞬詰まったような破裂音の後、目に映る全てがスローモーションで動き出した。レキの目がおかしくなったのだろうか、それにしてはやけに鮮やかな映像だ。
  ジェイの背中が目の前数センチの距離にある。しっかり被っていたはずのヘルメットが宙を舞い、ライトが上や下、あちこちを定まらずに照らした。彼の伸びきった髪がレキの顔に当たってどことなくくすぐったかった。ゆっくり時が流れたのは、そう思えたのはそこまでだった。
  次の瞬間、堰を切ったようにレキに畳みかけてきたのは数発の銃声。ジェイは倒れ込む前に素早く銃を抜き、弾の飛んできた方向にクイックシュートする。ライフルを持った男が岩陰で崩れるのが見えた。
「あ……すげぇ、当たった……」
それなりに感動していたのに声がかすれる。ジェイは思い切りレキを下敷きにして地面に倒れこんだ。ジェイが、だ。
  照準が一寸の狂いもなくレキだったことは、こうなった今は誰もが分かっている。ジェイが突進して来なければ間違いなくレキが被弾していただろう。ジェイの全体重に押しつぶされて守られたレキは身動きがとれずにいた。動こうという意志が、半ばなかった。
「ジェイ!!」
「おい平気か! パシリ!!」
シオの悲鳴に似た金切り声と、思わず失笑すら漏れるサンダーの声が重なる。なんでこいつがここにだとか、その呼び方はやめろだとか、突っ込みたいことは山ほどあったが胸中にとどめておく。最初にレキの名を叫んだのはサンダーで、それが無かったらレキを撃たれるところだったのだから今回はサンダーにひとつ借りができたという意識がジェイに微笑を作らせた。
  レキが必死に這い出してきた。無傷であることの意味が彼には理解できていない。
「動かないで……!! 弾は!?」
  シオの叫び声って案外耳につくなあ--言いたかったのに喉に何か詰まっていて言葉が出ない。大丈夫だと言うことを伝えたかった。言葉以外でその方法を探すが見当もつかない。シオはいつもそうしていたがそれがどんなに難しいことか今になって実感した。
「レキ……っ」
  レキは頭の回転が鈍い。その上今回に限っては理解も納得も絶対にするつもりがなかった。答えも出さない。それでも、疑問符が次から次へと溢れだして止まらない。
「レキ!!」
  レキは分からないまま、目に付くものを対処しようと思った。無言でジェイの作業着を引き剥く。小さな穴が開いていた。作業着と、ジェイの脇腹にひとつ、小さな穴が。
「……抜けてねえ」
ジェイの腹部にライフルの弾がめりこんでいる。深く深く沈んでいる。直径三センチに満たない金属片は真っ赤に染まり、その周囲からにじみ出るかのごとく赤い液体が排出されていく。
「取り出せないの……?」
「よく見ろ、貫通寸前で止まったんだ。バレットが止血してるようなもんだぜ」
サンダーの冷静な分析が死ぬほど頭にきた。レキの頭の中は沸騰間近で、昇ってくる血が熱湯のように熱く感じる。様々な要素がレキの怒りに拍車をかけていた。