ACT.24 ラストサイン


  赤。レキはこの色が死ぬほど嫌いだ。元からではない。そうだったらチーム名は少なくとも「フレイム」にはならなかった。ルビィの光を見るたび言いようのない嫌悪に駆られたのは、それが人の血の色に似すぎていたからだ。
  ジェイの周囲に夥しく広がる血溜まりは暗がりの中でもはっきり見える。ユウと同じ、美しすぎるくらいの赤い血である。
「余計なことしやがって……!!」
「悪ぃ、俺、反射神経いいから、さ」
ジェイは胃から熱いものが沸き上がってくるのを懸命に堪えていた。それが何かは既に知れている。今ここでそんなものを口から吐こうものならレキの逆鱗に触れかねない。
  ジェイの人知れずの努力も無視して、レキの思考はあっさり極地へ辿り着いていた。いきなり銃を取り出すと今までの鈍い動作が嘘のように凄まじい早さでコッキング、銃口を自分の肩に押しつける。
  どこまでも単純思考しか持てないレキに、この時も亥の一番に反応したのがジェイだった。起き上がってコックハンマーを無理矢理元に戻す。
「ジェイ……!」
「よせって、もうそういうの。だいたいレキと兄弟になんかなりたくないよ」
絞り出した冗談が掠れていた。そして一気にこみ上げてきた嘔吐感を今度は堪えきれず、レキの銃を握ったままむせ返った。赤黒い血の塊が散り散りになって地面に、レキの首筋に、ジャケットに飛ぶ。
  レキにはもうジェイを支えることしかできなかった。レキに寄りかかったまま微動だにしないジェイ、彼の髪が血で固まっていた。
「ジェイ……、頼む……!」
レキの懇願に対してもジェイは下を向いたままかぶりを振る。レキの銃を押さえつける力だけは決して緩めなかった。ほんの少しだけ顔を上げて微笑する。
「何びびってんだよ、レキらしくもねー。……死なないって。俺がついてないとレキ、何しでかすか分かったもんじゃないもんな」
レキの背筋に電流のように悪寒が走った。歯がガチガチ音を鳴らしている。それを渾身の力で制して、鉛のように重いジェイの体ごとゆっくり片膝をつく。
「シオ……」
言葉になったかどうかレキ自信確信は持てなかったが、名を呼ばれた彼女は静かに駆け寄ると、衣の裾を器用に破り取って包帯代わりにジェイの腹に巻いた。薄い生地にはすぐさま赤い染みが広がり、数秒しない内に衣全体が染め上がってしまった。今できることはこれが全てだ。
「な、なんか分かんねぇけど急いで地上に出るぞ! 俺様が道を示してやるからついてこい!!」
口を挟む余地すらなかったサンダーが落ち着かない様子で踵を返す。そもそもレキの秘密を追ってここまでやって来たのだが、サンダー本人も今やそんなことはすっかり忘れてしまっていた。
  レキは黙ってジェイを背中に担ぐ。呻き声は聞こえなかったが濁った咳が耳元をかすめた。笑っているようだった。
「そういやサンダー、何でここに居るんだよ。……わけ分かんね」
ジェイがどうでもいいことを可笑しそうに呟く。レキは言われるまでサンダーのことなど微塵も気に留めていなかった。ジェイが口にしたから疑問を抱いて、すぐに合点がいった。
「あいつは……俺の居るところ嗅ぎ回ってどこでも現れるから」
「そう、だったな」
レキは平静を思わす顔つきで一歩一歩確かに、そして素早く進めた。サンダーがハイテンションに導く方へと、ただ無心で歩く。
  足元にジェイが仕留めたスナイパーが転がっていた。汚物を見るような視線を向けると、俯せの男の手の甲にデッド・スカルのトレードマークが描かれているのが目に飛び込んできた。
  レキはすぐに視線を逸らしたがもはや手遅れだった。後悔の念が、憎悪の炎が、胸中で渦巻く。
  人殺しにはなりたくなかったから、デッド・スカルと対決したときシバを生かした。あのチームを見逃した。それがそもそも間違いだった気がして、レキは自分への怒りを抑えられなかった。しかし、実際シバにとどめを刺してデッド・スカルを根絶やしにしていたらレキは今頃全てを失っていたに違いなかった。
  ふと、その考え自体が自分本位なことに気付く。もう考えることに疲れ始めていた。
  背中に背負われているとレキのジレンマがダイレクトに伝わってくるようで、ジェイはエスパーにでもなった気でいた。正解を出す知能も無い割にレキは意外と考え込む。実はつい最近気付いたことだった。レキといい、ハルといい、だいたい考えていることの大部分はジェイにとってはもの凄くどうでもいいことか、簡単なことだったりするのだが二人にとってはそうでないようだった。
  レキはおそらく一歩一歩細心の注意を払っているつもりなのだろうが、後ろ乗っている身としては雑以外のなにものでもない歩き方だ。それも普通なら心地よい振動なのかもしれない。父親におんぶされている幼児はだいたい、至福の時を満喫するような笑みで眠りこけているのがセオリーだ。しかしジェイにとってこのリズムの良い揺れは揺り籠の安息とはいかなかった。痛みも限界を超えると感じなくなる、などと噂で聞いていたがジェイはその境地まで辿り着けていないのか激痛が走っていた。喚くか、転げ回るかしたかったがやはり声が喉の途中で詰まる。
「ヴォ”オ”--!!」
誰かが、ジェイの代わりにここぞとばかりに雄叫びをあげた。レキは声の主の方へ視線だけを向ける。両者の距離は五メートルとないが、走って逃げることも応戦することもできない。自分の身の丈と同等のブレイマーを見つめ続ける。
  と、そこへ軽快な銃声が数発鳴る。置物と化していたレキたちの目の前で、ブレイマーがあっという間に四散した。体液と肉片の混合したようなものが頬に飛びつく。
「囲まれちまうぞ!! シャキッと俺様の後について来ねえか馬鹿共があっ」
サンダーが騒々しく舞い戻ってきたかと思うと急ブレーキをかけて叫ぶ。息切れしているのもお構いなしで喋ったせいで派手にむせていた。
  また前方で別のブレイマーの咆哮が聞こえる。軍隊ばりの無駄のないまわれ右をすると、サンダーは再び特攻していった。
「どけどけ、このゲテモノどもがぁ~!! 雑魚がよってたかろうとも所詮は雑魚! このスパークスの総長サンダー様に楯突こうなんざ百万年……いや、一億万年早いな! わーーっはっはっは!!」
  ブレイマーは基本的に人語を解さない。しかしテンションマックスのサンダーはそれすらもお構いなしだ。
(一億万年って……)
シオが何とも悲しげな表情を浮かべるのを尻目に、サンダーは意気揚々とブレイマーの集団を蹴散らしていく。その光景を意図的に音声カットして眺めると、ヤマトに匹敵するほどの鬼神的な狩り方である。ボーリングピンのように行く手を塞いでいたブレイマーたちは、それこそボーリング球のようなサンダーの活躍により呆気なく片づけられていった。
「おい! 平気か!」
  始終高笑いをあげていたサンダーが、振り向くやいなや至極真面目な顔つきで駆け寄ってくる。レキも、少しだけスピードを上げた。サンダーは背負われているジェイの周りをおろおろと落ち着きなく動き回り、そうかと思うと前方の安全を確認すべく目を凝らしたりしていた。
「……実はお前って良い奴だったんだな」
「ジェイ、喋んなって」
  ジェイが力無く笑って絞り出したろくでもない台詞に、レキが間髪入れずストップをかける。ろくでもないが、レキも似たようなことを考えていた手前否定はしない。
  サンダーの無駄だらけの動きが急に全停止する。今度は急速に顔が赤くなった。
「か、勘違いするなあ!? この俺が貴様らを助けるなんてあるわけがないっ」
「でも、助かってる」
シオがまた余計なことをわざわざ付け足した。無論レキの主観の話ではあるが、サンダーは更に真っ赤になると耐えきれなくなって背を向け大笑いを始めた。
  シオはサンダーに対してそこまでの免疫がないせいで彼の一挙一動に辟易しているが、他の二人、とりわけレキにしてみれば彼の一連の行動は全て『らしい』もので今更取り立てて称賛するものでも、混乱するものでもない。
  サンダーは仁王立ちのま舞台役者も顔負けの声量で笑い続けた。
「スラムの覇者、いわばキング! とも呼ばれるべき俺が下っ端の貴様らに施しを与えてやるのは道理と言えばまぁ道理だっ。行くぞ愚民共!」
  愚民呼ばわりされた三人は、今日に限っては青筋一つを生産するにとどめて黙ってドブ臭い大将についていった。
  ブレイマーの姿を確認すると何かしら奇声を発しながらサンダーが手際良く始末していく。洞窟内に響く声はいつしか彼の雄叫びだけになっていた。
  ジェイはただひたすらに、眠ったようにぼんやりしている。サンダーの一人芝居に笑ったり、痛みに涙したり、レキの手荒い走り方に文句をつけたりもしたかったのだが実際にはどれひとつも実行することができない状態だった。笑って、泣いて、怒ることがこんなにも体力の要ることなのだということをジェイは初めて知った。レキの赤毛を見ながら途切れそうになる意識を懸命に繋ぎ止める。瞬きをしないまま、目を閉じないように景色を見続けた。