ACT.24 ラストサイン


  雨が大量に降った。長い時間ではなかったが、その雨量と激しさは記録的豪雨とだけで片づけられるものではなく、本来ならばユニオン、連合政府はその後始末に走り回らなければならないはずだった。白制服の彼らは確かに走り回ってはいたが、災害の対応や報道のためではない。内部に入り込んだ国家テロリストの始末のため、である。
  実のところ雨の降り始めも、終わりも、本部に居た者の大半は気づきもしなかった。警報が狂ったように鳴り響いて、耳に届く音と言えばそれだけしかない。そしてその他は銃弾の雨が降る音。
「他にはねえのか!? 隠し部屋とか! 隠し金庫とか!」
エースがヒステリックに叫び、頭上を突き抜けていく弾丸から逃れるべく片膝ついてしゃがむ。
  かれこれ十以上のフロアを虱潰しに当たったが、時限装置のようなものは見当たらなかった。エレベーターは全て封鎖されたため、残された非常階段を移動するしかなかった。唯一の救いは、本部に集結しているユニオン隊員の全てが敵、というわけではないことだ。イーグルの直属の部下、その仲間、あるいはこの暴動を機にユニオンの体制自体に反旗を翻した者、イーグルを支持する者、ひと括りにはできないが皆ハルたちをアシストしてくれる。蓋を開けてみれば何とやらで、連合政府の中身も基盤も既にガタガタだったのだろう。
  イーグル派の数も少なくはない、ただ決して形成を逆転できるような数でもない。本部内はハルたちの意志とは無関係に派手に秩序崩壊を帰し、自分たちの正義を押しつけ合う乱闘を繰り広げていた。
「おい! 十階より下は完全封鎖されたぞ! もう上がるしかない!」
  疲れ知らずのヤマトが呼吸を荒らげて階段を昇ってきた。彼は単独で下方のフロアを探索していたが、内部抗争の風当たりが強くなったため再びハルたちと合流することにしたようだ。下から追ってきた二名のユニオン隊員をドロップキックでなぎ倒すと、鞘の先端で鳩尾をついて気絶させた。
「もうめちゃくちゃだな」
「組織というものは一角が崩れれば後はドミノ式に倒れる。……頂点なら尚更な」
  数段下でイーグルを見上げるような形で一息ついていたヤマト、下界からは絶えることなく白い集団が沸き上がってきていてイーグルは手すり越しに数発を撃ちっぱなした。
  ハルは、ある意味悠長に構える二人に苛立ちを覚え口内で舌打ちをする。時限装置の場所も形状も、クレーターの様子もレキたちの様子も、そして自分たちが置かれている状況さえまともに把握できない。焦りはハルの中で限界を超えようとしていた。弾切れにも気付かず三度空引きする。
「……くそっ!」
乱暴に懐をまさぐる。目当ての感触に辿り着かない。その瞬間に体温が一気に下がった。
  ハルはサイドアームを引き抜いて、何事もなかったかのように発砲した。カウントダウンの始まりの一発だ。ハルのジャケットの中に予備のカートリッジはもう入っていない。
  不意に、鼓動が強く、心臓を打ち付けた。沈没船に乗ったらこんな気分なのかもしれない、足元から、次から次へと押し寄せてくる恐怖に自分は上へ上へとあがるしかできない。そこに出口がないことを知っていても、だ。事実上には何もない。また破壊した制御室に戻るだけで、その上には使い勝手の悪そうな展望室があるだけだ。ハルはその目で確認しているからこそ、この打開しようのない状況に苛立つしかできない。
  ダン!! ダンダン!!--耳の数センチ横を弾丸が通り抜けていった。
「ぼうっとしてる暇なんかねえぞ……っ! 今は撃つより他ねえ!」
確かにハルはぼんやりしていた。この銃弾の雨の中で。エースが一喝しても更に明後日の方向を見つめて究極に意識をすっ飛ばし始める。青筋を浮き立たせたエースが、ハルの頭を押さえつけて身をかがめた。反撃のさなかに後ろを取られ、乱射された内のひとつがエースの首筋をかすっていく。
「ハル! てめえっ……」
「上……」
「あ”!?」
エースは反射的に上を見た。果てしなく階段がかくかくとしたとぐろを巻いているだけだ、無論数人の敵兵はいるがまだ射程内ではない。
「バッカが見る~とか言ったらたたき落とすぞ!!」
この状況でハルがそんなことを言い出したら終いだ。ハルは残弾数の少ないサイドアームをうるさい敵兵に向けて発砲すると勢い良く立ち上がる。
「あれだ……!! 上だよ! 展望室に馬鹿デカいデジタル時計がある!! あれしかない!」
  ハルは残った体力をかき集めて二段飛ばしで上へ上へと駆け昇り始める。エースが苦虫を潰し後に続く。レキの、所謂思い立ったら即行動には何度も振り回されたきたエースも、ハルのそれには幾分戸惑う。冷静沈着担当で名乗りを上げたはずの張本人が今や無鉄砲集団の先頭を切っているのだからエースの唖嘆も仕方ないことだった。
「上ってどこまであがるんだっ。分かってんだろうな!」
上がるにつれて遠ざかる喧噪を尻目に、エースが息も絶え絶えに叫ぶ。下からうようよと白い波が押し寄せて来ないのは、イーグルとヤマトが留まって食い止めているからだ。何個目になるのかもはや数える気も踊り場を折り返して、ハルがひとつ下の階を昇るエースに肩越しに振り返った。
「最上階!」
  エースの足が急にもつれてペースを落とす。
「……俺の存在はもう忘れてくれ……」
「ついてきてくんないと困るよ! 俺もう弾ないんだから!」
ハルが青ざめながら怒声を上げる。それよりももっと青い顔で、エースがよれよれと銃を投げてきた。慌ててそれをキャッチするハル、自分の身は自分で守れということなのだろうが有り難い反面やはり不安をかき立てられる。エースにとて厄介なのは四方から突撃してくるユニオン隊員よりも、この延々と続く悪魔の階段のようだった。
  ハルが受け取った銃を握り返す。
「このリボルバー……」
レキのサイドアームだということにすぐに気がついた。ということは、エースの扱いにくい銃をレキは持っていったのだろうか、何の願掛けのつもりか知らないが哀れみの感情の方が強い。
  ハルは普段使い慣れていないリボルバータイプの感触を確かめながら、この際後ろのよれよれおじさんのことも気に懸けないことにした。
「いたぞテロリストだ!! 総員かかれ!」
踊り場にある扉が激しく開いたかと思うと、その狭い入口からねじ込み押し出されるようにユニオン隊員たちが溢れ返る。全力疾走していたハルが後ずさった勢いであわや大転倒の域まで傾くが、手すりにしがみついて何とか持ちこたえた。しかし次の瞬間には、ハルは自ら階段をゴロゴロと転げ落ちる道を選んだ。
  隊員の先頭が手にしていたのはごついマシンガンで、総員かかれなどと命令した割に最初の行動はそいつの乱射だった。断続的な銃声と薬莢の落下音の中、ハルは声なき悲鳴を上げて一つ下の踊り場の陰で身を丸めた。
「おい、やってる場合か。肉を切らせて骨を断つぞ」
思っていたより早くエースが追いついてきて、更にハルを追い越す。這うように低い体勢をつくり、タイミングを見計らって踊り場から顔を出すと両手の銃をマシンガン並に乱射する。エースはその間に左肩に二発、右肘、頬にそれぞれ一発ずつマシンガンの弾を浴び、片方の銃を落とした。
  肉は切られまくったが確かに骨は断絶したようで、ハルの目には乱射しただけに見えたエースの弾は、相手のマシンガンを貫き暴発させて辺り一面を吹き飛ばした。
「エース……!」
  踊り場で大の字になるエース、爆発の煙に覆われながら寝そべったままで落とした銃を拾う。冬場のこたつから出ないままどうにかカーペットの上のリモコンを取ろうとするような、とてつもない厚かましさが全面に滲みでているが自由に体が動かせないのは事実だろう。
  ハルが肩を貸そうとする前にエースは自力で立ち上がった。服の埃をはたいて落とす。
「見ろ、この効率の良さ」
切らせた肉とやらは皆致命傷ではない。実力にしろ運にしろ、それをやってのけるエースそのものがただ者ではないことは実によく見て取れた。荒技だが、神業である。
「……恐れ入るよ……っ」
「急ぐぞ。でねーと俺が痛くて可哀相だ」
  ハルは痛くて可哀相なエースを再び置いて二段飛ばしを再開する。むやみに残りの階数を確認するつもりはなかったのだが、つい上方を見てしまった。天井が見える。螺旋は二階先で終わっていた。歓喜はない。最後の扉は運命を分かつ扉だ、その割に造りは今までと全く一緒で非常用らしい簡素で小さなものである。ハルはドアノブを回し、勢い良く引いた。
  展望室に出る。全面ガラス張りの壁と天井の向こうの空は灰色の暗雲に覆い尽くされ、残りカスのような弱々しい雨が静かに落ちては天井に沿って流れていた。
「間に合った……!!」
  フロア内にはハル以外誰もいない。中央に、五つの電子パネルが放置されていた。