ACT.24 ラストサイン


  レキ、ジェイ、シオは足場の悪い洞窟内をひたすら歩きながら、先刻から繰り返される「もう少し」という時間と距離の長さを痛感していた。三人がうんざりしていることも知らずにサンダーは飽きもせずその単語を繰り返している。当てつけのようであり、救いでもあった。彼以外は何一つ言葉を発しなくなっていた。
  その静寂を裂いて不規則な足音がこだまする。重なり具合からして複数だ、サンダーが一瞬足を止めて先頭に立つと目を凝らして警戒態勢を整えた。
「あ~~! 居た、ヘッドぉ!」
「大変ですよーー!!」
  万全に備えたのが情けないくらいに間の抜けた声だ、流石のサンダーも自分の仲間の声くらいは分かる。下僕の二人が両手を振りながら走り寄ってきた。
「何だお前らっ。外で待ってりゃあいいものを」
  下僕のどちらも体力はさほど無いようで、近くまで来ると両膝に手をついて肩で息をした。内ひとりが呼吸を整えるのも面倒とばかりにさっさと顔をあげる。
「そんなことしてる場合じゃなくなったんすよ! 大変なことになってますよ、ユニオンがここに一発でかいのを撃つらしいってニュース速報で……って、ギャーー!!」
「うわぁぁぁ!! ヘッド、撃っちまったんですかあ! 何てこと!!」
  視界にレキたち、とりわけ血を垂れ流しているジェイが入ると各々に大絶叫をかます。
「ちがーーう!! こいつはデッド・スカルの残党がだなあ…っ!!」
サンダーとしては即行で着せられた濡れ衣をまず晴らしたいところだったが、レキは吠える彼を押しのけて二人を睨み付けた。恨みは無いが(あるにはあるのかもしれない)、口走ったいくつかの単語の続きを早急に吐かせたかった。
「ユニオンが何だよ」
顔色の悪さだけならジェイに負けず劣らずだ、ライトで照らすとそれが余計に鮮明で恐怖心を駆り立てる。下僕二人は縮み上がりながらもここまで走ってきた本来の目的を思い出す。
「そ、そうだっ。例のキャノンですよっ! 何でも後一時間もしない内にクレーターにぶっ放すとかで緊急速報がガンガンいろんなメディア通じて流れてて……!」
「……何ィーーー!? 馬鹿かあいつら!! 止めろ! やめさせろ!!」
「無茶言わないでくださいよーっ、早く脱出しましょう」
  レキとシオは顔を見合わせた。今その報道が行われているということはハルたちはどうしたのだろう--レキは言いようのない不安に息が詰まりそうになった。
「……シオ、ジェイのポケットからトランシーバー出して。外に出て、確かめよう」
シオが言われた通りジェイのポケットを探る。
「そうだ何はともあれここを出らんと仕方ねえ。おい、お前ジェイの奴をおぶってやれ! お前はレキだ!」
「は?」
「は? じゃねえーー!! とっとと取りかかれーー!」
血管がはち切れんばかりの息み声で下僕の二人を圧倒するサンダー、わけも分からず二人はテキパキとジェイを引き受けた。
  背中がいきなり軽くなり、レキはバランスを崩してよろめいた。それでもレキは支えようとするサンダーの下僕を制して自分の足で立つ。
「おい、ゾンビ野郎。お前も大人しく背中に乗れよ。足手まといだ」
「余計なお世話だ、てめえごときに同情されるほど落ちぶれてねー」
「もう! 馬鹿なことばっかり言ってないでもっとジェイのこと考えてよっ。行こうっ」
シオがレキもサンダーも一緒くたに非難して一人先を急ぐ。正論すぎて手も足も出ない。互いにここぞとばかりに舌打ちをかまして、一方はスプリンター並の速さで、一方は歩いているのかよろめいているのか分からないような千鳥足で進む。
  「もう少し」がようやく終わった。鍾乳洞を抜け、一行はクレーターの底、小隕石が突き刺さっている場所まで戻ってきた。悪寒さえ覚えた血管の走る隕石を目にして、今は安堵を覚えた。
  そしてレキは足の力が急速に抜けるのを感じる。立っていることができなくなって、膝から崩れ落ちた。
「レキ!」
シオが駆け寄ってくる。跪いた地面はぐっしょり濡れていた。そして僅かではあるが頭皮に、雨の感触を覚える。ここは地下深いが天井は筒抜けなのである、皮肉にも自分の体調でそれを思い出して、レキはシオの握りしめるトランシーバーの電源を入れた。ひどい雑音だけがとっかりつっかかり耳を刺激する。
「……駄目か」
「待って……!」
シオが口元に人差し指を立てる。一定の雑音の中に、更にそれを乱すような音が入ってくる。レキはボリュームのしぼりを最大まで回した。
「……キ! 聞こえ……!?」
女の声だ。生憎誰のものかまでは判断できない。シオも勿論そうだったが、約一名そうでない強者がいた。
「へへっ、……ラヴィーだ」
ジェイが薄ら笑いを浮かべたのを機に、レキもシオを杖代わりに立ち上がる。
「ラヴェンダーか。聞こえづらい、感度上げろ!」
磁気嵐が一瞬レキを窘めるように大きく波打ち、遠ざかった。
「聞こえる!? 無事なの!?」
  レキはジェイに視線を走らせた。それなのに反応を待たずしてすぐに応答する。
「……無事。ユニオン側はどうなってる」
「そう……! あんたたち今どこに居んの!? まだクレーター付近じゃないわよね!? キャノン発射が全国ネットでカウントダウンされてんのよ!! どうなってんの!?」
それはこっちの台詞である。お茶の間で発射のカウントダウンを流すなど何とも悪趣味としか言いようがない。皆がレキとトランシーバーに注目していた。
「ハル……たちは……?」
「分かんない……! とにかく後十分しかないの!! ジープ出すから、今どこに居んの!?」
  思考が、止まった。
  考えなくとも、エレベーターでここまで下ってくるのに十分以上要したことは覚えている。アンブレラを突き抜け、通り過ぎたイレイザーキャノンの威力も、覚えている。
  レキの手からトランシーバーが滑り落ちた。シオの支えも空しく、二人揃って地面にしゃがみ込む。
「レキ……!? 聞いてる!?」
聞いてはいるが聞こえていないに等しい状態だった。十分--何もできない。
「ラヴェンダー、……ユウも、来なくていいわ。イリスも余波受けるかもしんねぇから大人しくしてろよ。すぐ、帰る」
  十分--何もできることはない。レキはスイッチを切った。次の行動には移らない。座り込んだまま闇を見つめた。
  すぐ隣でシオが愕然と肩を落としている。彼女の濡れた髪を、レキは優しく撫でた。
「大丈夫だから。あいつらが止めてくれる」
レキは当然のように囁いて、シオの頭に手を乗せたまま微笑んだ。十分間ではどうすることもできないが、イレイザーキャノンはハルたちが止めてくれるのだから、そのような時間制限は不要だ。
  レキは湿った地面に手をついて、自分の力で立ち上がった。エレベーターに一歩ずつ足を進める。泡を吹くサンダーを目にして露骨に眉を顰めた。
「しょうもねぇ奴だな……。おい! 上がるぞ! ここでへばっても仕方ねー」
レキは蟹とやらを生で見たことがなかったが、こういう感じかもしれないなどとサンダーを見やって考えた。不本意ではあるが手を貸さざるを得ないだろう、エレベーターの側に座り込んで指示だけを出すことにした。エレベーターの扉を開ける。
「悪いけどシオ。ジェイと、おぶってるそいつ、先に乗せていいか?」
「あ、うん」
レキは再びエレベーターの側に座り込む。三人が限度だろう、エレベーター落下したのでは話にならない。
  すれ違うとき、ジェイは眠っているように見えた。震えが、爪先まで一気に走る。
「おい……っ、ジェイ……!」
ジェイはゆっくりと目を開けた。半分だけだったが確かに開けて、ほとんど血の気の失せたレキを見る。それを伝える力は、目にも口にも宿らなかった。レキが小さく息を吐いて上へのボタンを押す。
  奇妙な組み合わせの三人だけが上へ上へと消えていった。
「……レキ……」
「あ、次が来た」
当然のことながらエレベーターはひとつではない。余り待つことなく、レキはレキは次のそれに滑り込んだ。シオに手招きする傍らで、手ぶらの下僕Bが所在なさげにしているのも呼び寄せる。根性が座っているのか諦めがいいのか、いずれにせよ奴よりまともな感性の持ち主である。
  三人を乗せた箱が動き出す。
「……巻き込んだな」
  下僕Bが意外そうな顔をして肩を竦めた。
「首つっこんだのはうちのヘッドだし……俺らは好きであの人についてってるからね。お宅にとっちゃあ鬱陶しいだけだろうけど、あれでいいとこ多いからさ。飽きない代わりに、まぁ、こういうハズレもあるわな」
  やはりザ・達観だった。目を丸くするレキを見て、シオが微笑する。
「フレイムのみんなと同じね」
「……一緒にすんなよ」
レキはふてくされたようにそっぽを向いた。シオはなまじ喋り出すと余計なことを次々口にする。しかしその全てが、レキも心の何処かで思っていたことで、否定ができないから困りものだった。
  上へあがるにつれて感触だけに留まっていた雨が、肉眼でも分かるようになってきた。