FINAL ACT ブレイズ


  イリスの北ゲート周辺は未だにイレイザーキャノンの傷痕が目立つ。キャノンで破壊された家屋や道路の瓦礫を集めて積み上げているのが、この場所をそのように見せている一つの原因であった。殺伐とした風景はどこかロストシティに似ている。
  レキはバイクを停め、一度ジェイの名を呼ぶとすぐにベルトに手を掛けた。そこから動けなくなった。肩に持たれたジェイは、少し微笑っていた。
「ジェイ!!」
ラヴェンダーが転がるように車から降りてきて、放心するレキをジェイごとバイクから降ろす。ギンは支えを失ってレキの後ろで大きな音をたてて倒れる。ホイールが少しだけ逆回転して、すぐに止まった。
「ジェイ! こら!! ……っジェイ!!」
  レキは他人事のように冷めた目でその光景を見ていた。立っているのか座っているのか自分でもよく分からない。どこかで冷たい地面の感覚があったからおそらく座っているのだろう、などと虚ろに考える。ラヴェンダーが何度も何度も繰り返しその名を呼ぶのが、レキには苦痛でしかなかった。そして羨ましくもあった。
  レキはジェイにもう触れようとしなかった。残った冷たい感触を確かめたくない一心で、その場にへばりついていた。
「やめてよ……っ馬鹿じゃないの……。やめて!」
  羨ましい奴らばかりだ。狂ったように振る舞えるラヴェンダーも、全てを察して泣き崩れるシオも、やりきれない顔で俯くスパークスの連中も、皆自分の気持ちを吐き出す方法を知っている。
  レキは倒れたギンにもたれかかっていた。シートに触れる。タンデムで乗っていたのに前方だけが生温かかった。
「……うるせぇ……」
だんだんとラヴェンダーの泣き声が耳に障る。それだけきつく抱きしめられるなら生きてる内にしてやれよ--レキは抱いた感情に押しつぶされそうになった。
  ジェイはもう居ない。整備小屋のシャッターを開けても、テレビ部屋の隅にも、ギンの後ろにも、どこいも居なくなった。虚無が凄まじい速さでレキを飲み込もうとしていた。それに抵抗する意義がレキにはよく分からなくなった。
「……冗談だろ……」
  砂利を踏み締める音と共にエースの声が真上から降ってきた。レキに問うたのか自問したのかは分からない、ただレキと同じような虚脱感を彼も抱いていた。
  レキが顔を上げる。ユニオンから帰還したイーグルとヤマト、彼らもまたジェイの姿を目にして、かぶりを振って視線を落とした。レキはそこに絶大な違和感を覚える。ラヴェンダーと同じ反応をする人間がもう一人ここに居なくてはならない、何故か心臓が鼓動を早めた。
「……ハルは?」
レキのたったこれだけの質問が皆の意識を奪った。五月蠅いのがラヴェンダーの泣き声から自分の心臓の音に切り替わる。エースがいつもの調子でぼやいても聞こえない可能性を危惧したが、その必要はなかった。
  エースは黙ったまま、サイドアームのリボルバーを抜いた。レキと交換した銃だ、血まみれだった。それをエースが差し出してくるのだが、レキは受け取ろうとしなかった。レキがした質問と噛み合っていない、無論エースのリボルバーなどレキは抜こうともしない。
  エースはもうひとつ、懐から何か取りだした。それも血まみれだった。レキはそれを受け取る意志などなかった。それなのに、手は勝手に伸ばされて黒く変色したハルのバンダナを掴んでいた。
「……ハルは?」
また全く同じ単語を口にした。
「『帰れなくてごめん』……ハルから預かった、伝言だ」
  レキは立ち上がった。欲しい答えをエースは始めから持っていなかった。使い物にならない銃や、持ち主を失ったバンダナなどレキにとっては何の意味も持たない。自分の心臓が、自身を殴りつけているようで胸が痛い。気付いたときにはエースの胸ぐらを掴んでいた。意味を持たないことを、やはりどこかで知っていた。
「お前がついてて何でこうなる!! こんなもんに何の意味があるんだよ!!」
エースの襟を掴みながら自分に言い放った。
「ハルは!!」
「レキ…!」
何も言わないエースを責めても、仕方がないことは一目瞭然だった。それでも止まらないレキ、エースとの間にユウが割って入った。それも気休めにしかならず、ユウは割って入ったようですぐに身を引く。レキはエースに掴みかかったまま俯いて、次々とこぼれていく涙を見送る。両手に力はほとんど入っていなかった。
「だからダセェっつったんだよ……っ! なんで……、なんで俺が生きてんのにこいつらが居なくなんだよ!!」
  レキはもうエースを掴んでいない。彼にしがみついてやっとのことで立っている状態だった。言葉を吐き出すと同時に涙が止まらなくなった。
  そのままレキは壊れたように泣いた。死と隣り合わせの毎日から、逃げていた自分が生き残っている。死に蓋をして、だからといって生に向き合ったわけでもない自分をレキは心底恥じた。
  泣き崩れるレキを支えながらエースも、ここに来てようやく涙を流す。レキの自分への怒りと歯がゆさはエースにもろに伝わっている。
  何も考えられなくなった。叫ぶことで、何かを忘れてしまいたかった。
「いつも……私の味方でいてくれた」
シオが、バンダナを手に取る。湿っていた。喋ればまた雨が降り出すことは分かっていたが、シオは言葉を発し続けた。
「私……守ってもらってばかりだったの。側にいないけど……絶対、守るからって……!」
「ハルらしい、な」
「……一緒に居れば良かった! 側にいれば良かった!! ……ハル……」
  レキは薄れゆく意識の中でまたシオを羨んだ。レキにはこうなってもあの時こうしていればだとか、こうしなければと言ったものが何一つない。どこからやり直せば違う結果を、別の道を選べたか分からない。選ばなかった道の中には正解があったのだろうか、そうだとしてもやり直すならおそらく最初からだ。
  考えても仕方ない。例えそうでも、それができたとしても、レキは「はじまり」を否定することは絶対にない。二人を抜いたら、レキの今までは生きていたことにはならないのだ。彼らがいて、レキは「生きる」ことを知った。その切なさを知った。懐が重かったのは、失えない大事なものを持っていたからだ。
  太陽が沈みきっても、皆そこから動くことを忘れていた。冷え切った夜の温度に寒いと感じることが、どうしようもなく胸を痛めた。


  --翌朝。
「じゃあ、行くぞ。……迎えも来てるからな」
  財団のシップ、そのプロペラの風圧でよろけながらヤマトが手を差しのべた。大人の半分ほどしかないこの小さな手で、あの長い刀を自在に操っていたのだから末恐ろしい。レキはその手をとって軽く振った。
「世話になった。……感謝してるよ」
「どこでお世辞なんざ覚えたんだ気色悪いなっ。お前らに、世話になったのは俺の方だ。ブリッジ側の後始末は上手いことつけてやるから心配すんな」
「……ああ。よろしく、頼むわ」
レキは珍しく微笑などつくって手を離した。直後に今度は手首を掴まれる。ヤマトは童顔には不釣り合いな険しい顔つきでこちらを凝視していた。
「ヤマトさ~ん、もたもたせんと行きますよー」
シップの入口でスズキが手招きしている。横目に見やって適当に頷いた。
「何か困ったことがあったらいつでも頼って来い。力になる」
「もうすぐ無職かもしれないのにか?」
レキは茶化したがヤマトは至極真面目だ。
「逆も成立させるぞ、おっさん舐めんなよ。何かと揉めるぞブリッジ財団も……手ぇ貸しに来い、いいな」
ヤマトが手を離す。同盟関係はこれで終わりだ。ただ、ヤマトとの繋がりは断たれない。それを証明したかったのだろう、ヤマトもなかなかの不器用者だ。
「おい、返事は?」
片眉上げつつも踵を返す。
「あー、はいはい。了解」
レキの生返事に顰め面を晒して、ヤマトはイリスを跡にした。飛び立つシップの窓からブレイムハンターの三人が押し合いへし合いこちらに手を振っている。呆れつつレキも手を振った。
  それからレキは小走りにイリスの駅を目指した。白い制服連中--と言ってももはや脱ぎ捨てた者もいる、彼らの見送りに向かう。
  間に合っても間に合わなくても、大して互いに気に留めもしないのだろうが、ユナイテッドシティ行きの列車はレキが駅に着いた頃には未だ停泊中であった。レキに気付いて、イーグルが体をこちらに向けた。イーグルはコートに身を包んで、中に例の白制服を着ているかどうかは判然としない。
「……ユニオンに戻るのか」
  正確には旧ユニオンだ。今世界は無政府状態にある。それはいわば無秩序と同じことだ、早急に体制の立て直しが必要であった。
  内部に居ながらにして政府倒壊の中心であったイーグル、彼の協力無くしてはルビィ返還は成功しなかったと言っても過言ではない。しかしヤマトのときのようにすんなり礼を言えるかというと話は別だ。この男にはいろいろと借りがある。またパニッシャーという職業が、レキにとって天敵であることは変わっていない。