FINAL ACT ブレイズ


「仕事は腐るほどあるからな。貴様らノーネームの統率もそのひとつだ」
「あ、そ」
連合政府が潰れても、それに替わる新しい機関がすぐに台頭する。首がすげ替わるだけで、それこそレキたちノーネームには関係のないことだった。
「クレーター内部と、地上にも僅かにブレイマーが残存している。それらの駆除も並行して行わなければならない、忙しいのはこれからだ」
「あ……そ」
レキはさもつまらなそうに視線を落とす。聞いてもいないことをやたら口にするイーグルは珍しくもあったが、だからと言って会話を楽しむ気などさらさら無かった。二人が共有できる話題は少ない上に特殊で、そもそも楽しめるようなものではない。
  レキは自分から右手を差し出した。
「まだ俺を追うか?」
握手を求めながら言う台詞ではない、このミスマッチにはイーグルも失笑せざるを得なかった。不快を露骨に顔に出すレキ、その手をイーグルがとった。
  あり得ない、思わず周りが注目する光景である。
「ノーネームの統制は俺の管轄外だ。パニッシャーが追うのはブレイマーのみ、貴様らの相手などしている暇はない」
 手を離す。レキは目を丸くして頭を掻いた。
(よく言うぜ……)
  イーグルがコートを翻す。発車のベルを待って乗車するようなのんびり屋ではない。彼は一分一秒の単位を刻みながら生きる人間だ。時計を一瞥して、特に挨拶もなくレキに背を向けた。
「あのさあ! 一個頼みがあるんだけどっ」
レキが土壇場になってイーグルを呼び止める。あからさまな迷惑顔を予想していたが、イーグルは思いの外無表情を保ったまま振り返る。
  レキは意を決して、イーグルに頼み事の内容を話した。自分にできないことでもなかったのだが、彼に頼むのが一番後々面倒がないように思えた。イーグルは再び何も言わず片を翻す。
「引き受けよう」
かと思えば、それだけは早口に呟いた。
  列車に乗り込む。レキも列車の発進まで名残を惜しむなどというむずがゆいことはせず、首筋の寒さを誤魔化すようにジャケットを着直しながら皆の待つホームに駆け寄った。
「やけに仲良く話してたな。友好条約でも結んできたのか?」
エースがレキに向かって缶コーヒーを投げ渡した。勿論“あったか~い”の方だが、立ち話とエースの体温のせいで幾分冷めている。ぬるい缶の蓋を即行で開けた。コーヒーの湯気よりも自分たちの白い息の方が明らかに量産されている。
  今日は一段と寒かった。エースとシオが揃いのマフラーを骨折者のようにぐるぐる首に巻き付けているのも、ペアルックという点だけ覗いて頷けた。缶に口をつける。よく見れば、ユウもラヴェンダーも同じ濃緑のマフラーをしていた。ブリッジ財団の支給品らしく、端には舌を巻いたカメレオンの刺繍が施されていた。レキの分は無いらしい、代わりに渡されたぬる目のコーヒーで我慢しなければいけないようだ。
「……帰ろうか」
  言うこともやることもなくなって、ようやくこの言葉が喉を通って外気に触れた。白い息と一緒に空へ上がっていく。
「帰ろう」
今度ははっきり口にすると、何人かが頷いた。
  レキたちがやろうとしたことは、全てやり終えた。そして許されたこの言葉に、レキはどれだけの切なさを覚えたろう。
  ひどく寒い。あまり色のない景色の中で、皆が巻いているカメレオンマフラーがやけに色鮮やかに映った。灰色の空から雪が降る。大気中のゴミをかき集めて、舞い落ちる。
  レキは空を見た。そのレキをユウが見ていた。
「レキ……」
「うん」
冷え切った手をジャケットのポケットにねじ込む。いつのまにかいろんな荷物が無くなっていて体が軽かった。荷物の中には大事な何かもあったかもしれない。それらも一緒に捨ててしまったか、どこかに落としてしまったか、胸にぽっかり穴が開いたようだった。
  雪に水分はほとんどなく、綿埃のように一瞬の風で流されていく。体の不調をさほど感じずに済んだ。綺麗なものではないと知っていても、その見せかけの美しさを素直に喜ぶ。
  イリスに降った数年ぶりの粉雪は、残念ながらどのメディアにも取り上げられることはなかった。消えたブレイマー、その直前の豪雨、カウントダウンゼロになっても放たれなかったイレイザーキャノン、世界は彼らのことばかり取り上げている。そして忘れていく。
  レキは覚えていようと思った。あの時の黒い空も、あの日のオレンジの空も、そして今日の真っ白に染まった高い、高い空の色を--。


  それからまた数週間が過ぎた。日常という概念はロストシティで暮らす者にとっては基本的に緩やかだ。フレイム、ブラッディ・ローズ両チームは皆元々根城にしていた東スラムに再びアジトを構えた。西スラムにはどうやらスパークス、サンダーたちが相変わらずの日々を送っているようで、時折姿を見かける。
  再び自由で、平凡で、少しのスリルを求める毎日に戻っていた。戻るように望み、そう動いた。
「おーーい、ヘッドはどうした? ここにも居ねーのかよ」
エースが本部のシャッターを押し上げた。一通り見回してレキの姿がないことが分かると嘆息して気怠くお手上げ、とばかりに肩を竦めた。
「ヘッドなら朝からいないよー。なぁにエース、急用?」
ケイがオージローと並んで仲良く古雑誌を読んでいた。本部と名乗る割に蓋を開ければいつももぬけの殻か、このコンビの出迎えだ。
  ブラウン管のないテレビがそのままの状態で放置されている。かつての本部のシンボルはこんな無様な姿になっても、インテリア代表として座っていなければならなかった。昔は人で溢れ返っていたテレビ部屋、今はチームヘッドすら寄りつかない。
「折角いいもん調達してきてやったってのにな」
「うぉーー!! 酒! 何々、どうしたのこれっ」
入口を塞いでいたエースの後方で、置きっぱなしにしていた木箱を物色するベータ。中に詰まった瓶をあれこれ引き抜いて歓声を上げた。ベータが吠えれば呼んでもいない連中も顔を出す。
「レキ見てないか?」
フレイムメンバーはことごとく首を横に振る。
  最近はふらっとこんなふうにどこかに出かけて、気付いたら帰ってきているということが多かった。エースが用があるときに限って居なかったりするものだから、真剣に発信器の導入を考えたりもする。
「まあいいじゃんいいじゃん。始めてりゃヘッドもそのうち帰ってくるって」
ベータがテキパキと酒瓶を取りだしていく。目の前に置かれてなお、頑なに我らがヘッドの帰還を待とうなどと言う者はまずいない。チャーリーもダイもクイーンも、皆締まりない笑みを晒して配られた酒を手に取った。
「まあ……そうだな」
エースは自分の分と、余分に二本持って整備品の転がる倉庫のシャッターを開ける。デッド・スカルに物色されて大量に物が無くなってからは、一番広いスペースになった。今ここに置かれているのはレキのバイクくらいだ。
  と、今はそれすらない。少し遠出をしたようだ、一人でないのなら心配する必要もないだろうとエースは瓶に口をつけた。二本目、三本目の瓶も立て続けに開ける。その二本は自分の脇に並べたまま口をつけることはなかった。
  広いだけで何もない倉庫は、寒い日の宴会場にはもってこいで、すぐに他のメンバーがなだれこんでくる。賑やかになった。チャーリーが火を点けた鍋から温かい湯気が立ち上がった。

 
  最高速度ギリギリで走っていたギンは、ゆっくりスピードを落とし停止した。深々と嘆息するレキ、伸びた自らの影に覆い被さってきたもう一つの影に視線を移した。
  ユウは既にバイクを降りて優越感に浸っている。
「残念でしたー。あたしの勝ちー」
  レキはふてくされてギンのスイッチを切った。唸りが静まっていくのと比例して、レキの闘争心も小さくなっていった。ゴーグルを外す。西日が勢い良く顔に差し、レキは若干不快そうに眉根を顰める。
  波の音が耳元をかすめた。太陽は水平線に飲まれるように沈んでいる。往生際悪く激しく光を放って、海面を照らしていた。波音は絶えない。穏やかに、穏やかに寄せては返す一定のリズムに誘われてレキもバイクを降りた。
  風景はどこまでも平穏だったが、レキの胸中を駆けめぐっていたのは胸をえぐるような郷愁だ。この海岸はレキの五感全てに語りかけ、不変を主張する。
  レキは砂浜までの階段を、軽快に下る。後ろからユウがのんびり下りてくるのが間隔の開いたステップで分かった。砂浜と呼ぶには相応しくない、白けた音が歩くたびに靴の下で鳴る。打ち上げられたガラス片やプラスティックがそこら中で安っぽい輝きを放っていた。
「なんか……きたねぇな」
「前来たときもこんなもんだったわよ?」
ユウが窘めるように言い放つ。男はロマンチストだが女はリアリストだ、前来たときと変わらない。
  ロストシティから程近い海辺が美しいはずもないのに、思い出の中のこの場所はやたらに現実離れした輝きがあったような気がしていた。