ACT.3 スカーレット


  それから数十分はただ沈黙だけが続いた。
レキは話の内容の濃さを考えて、ひとつひとつ丁寧に思い出しているだけに過ぎなかったが、エースを除く三名は気が動転していた。 レキが次に口火を切るのを落ち着かないまま待っている。
「うっとおしい雨だな……」
「あ?雨?降ってるか?」
ジェイが座ったまま腕だけを伸ばしてシャッターを掴む。気持ちだけ上へ押し上げるとレキの言うとおり小雨が、わずかな音と雨粒を連れて落ちているのが見える。 浸水しないように慌てて手を離した。
「よくわかったな、降ってるって。人間天気予報は百発百中だなっ」
「うっとおしいっつってんの!開けんなよ、湿気るだろ」
テレビはあるが映るのは殆ど砂嵐で、たまに映っても静止画だったりモノクロ画像だったりで本部のシンボルとしては少々威厳に欠ける。
そこいくとレキの突発的な天気予報はどこにいても必ず当たる。レキが降ると言えば降るし、上がると言えば豪雨もたちまちに上がる。 ゴキブリ嫌いな人がやたらにゴキブリを感知するように、雨嫌いなレキは下手な気象衛星よりも正確なセンサーを持っているのである。
  沈黙の中の微かな雨音が倉庫内の空気を圧縮している気がした。
「ってことはやっぱりあのメモ、エイジだったんだろ。……変だよな、この辺ブレイマーなんかそんなに出なかっただろ」
「特大級だったよ、よっぽど栄養あるもん喰ってんだ」
ジェイが途端に渋い顔つきでムカつく胸を押さえる。要するにエイジの他にも人間を食糧としているだろうことは容易に想像がつく。
「んで、殺ったのか……?よくそんなの相手に無傷で済んだな」
言われて初めて、エイジに撃たれたはずの数カ所に傷がないことに気付く。痛みも、そういえば何処吹く風だ。
弾傷は確かにあった、それは断言できる。
今ほとんど無傷でいるのは皮肉にもブレイマーのおかげだ。
「……返り血、か。知ってるだろ?ブレイマーの血にはめちゃくちゃな治癒能力がある。全身浴びれば弾傷くらい塞がるだろうな」
「ゲロ下ロー、不幸中の幸いっちゅうかなんちゅうか」
ジェイがまた露骨に口元を歪める。言いたいことはわからないでもないが、さすがにレキも顔をしかめた。
不謹慎と言えば果てしなく不謹慎だが、だからと言ってこれみよがしに湿っぽくなるのもフレイムには合わない。
当事者のレキとエース、根腐れ気味の根っからの正直者ハル、そして感情を口にすることができないシオ、この四人の辛気くさいオーラの中和剤的役割がジェイだった。
エースも傍観者に徹するのに飽きたらしい、気付けば一本目の煙草に火をつけていた。
ハルが仕切りなおしに咳払いする。
「何にしても、この辺にブレイマーが出たってことはそろそろ移動も考えるべきじゃないか?よく言うだろ、1匹出たら30匹はいると思えって」
「アホかっ、そりゃゴキブリの話だろ。だいたい何十年前の知恵袋だよ、今時分1匹出たら500匹は軽くいるぞ。S級がっ」
エースの煙草が倉庫中に漂う。議論とは、白熱してくると周囲が見えなくなるものだ、レキが息を荒らげる。ちなみに議題はゴキブリ(S級)について、だ。
「世の中で一番カメレオンシフトしたのは結局ゴキブリだろ。星が滅びようが宇宙が潰れようが奴らは生き延びんだぞ……?要するに人類の理想の形はあれなんだよ、あれ」
「ボディが黒っちゅうのがなあ……せめて銀とか赤とかあれば文句ねぇのに」
「うっわ、レキ知らねぇの!?サンセットアイランドの方に真っ赤なゴキ出たんだぜ!新種!」
「……マジかよ。やべぇなこのままいくと俺らも真っ赤に……」
ここでまだまだ盛り上がりそうだったゴキブリと人の進化についての議論があえなく打ち切りとなった。
ハルが青筋を無数に浮かべてこちらを凝視している。
めったにきれない奴がいったんキレると手がつけられない、というのはやはり数十年前の知恵袋だが今現現在もこれは有効だ。
レキはそそくさと咳払いをして誤魔化した。
「で、どうすんのっ。ここ捨てるなら捨てるで移動は早いほうがいいだろうし、残るにしても何か対策は必要だろ」
「そうだな……対策っつってもこれっていうやつねえし……移動だろうな、惜しいけど」
「まぁ妥当だな」
エースは異議なしのようだ、確かに毎日ブレイマーを気にして生活していては神経性胃炎にでもなりかねない。
気ままな自由を楽しんできた彼らにとってそれは耐え難い苦痛だ。
何にも縛られない、都市機能が停止しているからこそロストシティを根城にしているわけで、ブレイマーとシェア生活を送るなんていうのは全くレキたちの視野にはない。
「じゃああらかた説明して荷物まとめるよう言っとくわ、とりあえずここ出て……」
ハルが途中で口をつぐむ。意図的にではなく、背中のベルトを掴まれた拍子に不意に、だ。
肩越しに振り向くと、シオが中腰でハルの服を掴んでいた。
何か気まずそうに上目で見つめられると、ハルもとりあえず作り笑いするしかない。
「えーっと……何?」
必要以上に引きつった笑みを作るのは妙な緊張のせいだ。会話が成立しない以上表情がものを言う気がした。
シオはハルのジャケットの裾を掴んだまま視線を泳がせる。
「あの……移動、しなくてもいいです。ブレイマーがここに現れたのはきっとこれのせいだから……」
「……え?……えぇ!?」
シオのもう片方の手に握られていた真紅の宝石は、手を開くと同時に目映いくらい輝いて連中の視線を奪った。
  が、今は実のところそんなことはどうでも良い。
キラキラ光る宝石もブレイマー出現の理由も、とりあえず置いておいてハルは眼前の新しい事実に声をあげた。
紛れもなく、正真正銘今の台詞はシオの口から出たものだ。どう考えたって今倉庫内にいるメンバーでこんなかん高い声を出せる者はいない。
「しゃべれんの!?何で黙ってたんだよっ」
「演技ってわけじゃないな、その石の話は後回しだ。まずはあんたの話から聞かせてもらわねえとな」
興奮気味のハルを押しのけてエースがしゃしゃりでる。大方、シオの愛らしい声を聞いたことで気力が増したのだろう。何のための気力かはここではあえて触れないことにする。
シオが申し訳なさそうに俯く。
レキがしゃべれるか否かを問うたときに彼女は間違いなくかぶりを振ったから、結果から言えばレキたちは欺かれたことになる。
しかしそれはあくまでひとつの判断だ。何しろシオは“理由ありの逃亡者”なのだから。
レキがひとつ大きな溜息をつく。
「嘘ついたのか……何で?」
シオがシャッターに手を当てると外の激しい雨音が振動となって伝わってくる。
「私が声を出すと……雨が降るから。だから必要な時以外はしゃべらないようにしてる。今はもう雨が降ってるから大丈夫かなって」
レキはものの見事に大きな疑問符を発射、ハルに解説を求めたが彼も全力でかぶりを振っている。
ハルは人並みの常識はあるが残念ながら物知り博士ではない。ちなみにジェイはこういう時問題外だ。
「信じてくれないかもしれないけど……嘘つくつもりじゃなかったの。……ごめんなさい」
「あぁ、いや、いいよ謝んなくて。ただちょっと頭がついていかないっていうか……」
深々と頭を下げるシオ、レキが慌ててそれを制した。
声を出すと雨が降る?- -極度の雨女でもそこまでひどいのはいないだろう。冗談かとも思ったが笑えもしない無意味な嘘をシオがつくとは思えなかった。
ならば新手の手品師か、レキがそんなことを考えていた矢先。
「『アメフラシ』か。言われてみりゃあそんな格好してるな。雰囲気も。そうだろ、違うか?」
シオが意外そうな顔をしておもむろに頷く。
どうやら物知り博士はエースだったようだ、一人で納得する彼に未だ納得できない三人が一斉に視線を集中させる。
「何だよそのアメフラシって。かたつむりみたいなやつじゃねえの?」
「聞いたことねぇか?カメレオン・シフトして乾地に適応した人間のこった。自分で雨を降らすことができるんだよ、シオの言うことも納得できるだろ」
三人そろっても文殊の知恵とはいかないようで、うなり声でハモると分かったような分かってないような生返事をした。