ACT.3 スカーレット


  普段はうざったいくらい周りに人がいるが今日はめずらしくひとりぼっちとなってしまった。 事実だけを述べればひとりぼっちに他ならないが、レキの胸中をそこに足すと万歳一人空間!といったところだ。
くしゃくしゃの毛布を引きずり出して適当にくるまると、倉庫の隅(なるべく入り口から遠いところ)に寝ころんだ。 冷たいコンクリートの壁を見つめて眠気を催すのを待つことにする。
  見ての通りレキは全く以て眠いわけではない。
ただ嫌な苛立ちやよくわからないむしゃくしゃ感が脳内を渦巻いていたから、それを早く忘れてしまいたかったのである。
寝返りをうって壁から目を離すと目蓋の裏に焼き付いた赤い光景を、振り払うように固く目を閉じた。

  -どれくらい時間が経ったか。シャッターが乱暴に開く音にレキが毛布から這い出した。
快眠絶好調!とはさらさら言い難い、ぼやけた視界にハルが雨粒をはらう姿が映った。
「……飯?」
「いや?俺は聞いてないけど。何だよ、寝てたのか。めずらしいな」
ハルが話しながらレザージャケットを脱いで上下に振ると、飛沫が舞う。
レキは思い切り仏頂面で後ろ手に頭を掻いた。
「みんな何だって?何か言ってたか?」
「……いや、特に何も。ただケイとか、ゼットとかにはショック強かったみたいだな」
「ブレイマー騒ぎなんてここ最近ロストシティじゃなかったもんな。……しかもそれで知り合いが死ねば当然か。東スラムに来ないとも限らないし」
意識がはっきりしてくると、苛立ちは消えたことに気付く。が、代わりとばかりにすさまじくテンションの低い自分にも気付く。 できればバイクでもとばしてこの憂さを晴らしたかったが生憎の雨で、レキは感情のままに生気のない目でぼんやりしていた。
「……シバの……手回しだったんだろ、エイジ。何でスカルの口車なんかに乗せられたんだろうな……ますますフレイム入りが難しくなっただけだろ」
レキが部屋の隅からいっこうに動く気配を見せないせいでハルの方がこちらへ寄ってくる。
二人だけならそれなりに広いはずの倉庫で、結局端に寄って座ることになった。
「あいつはフレイムに入りたかったわけじゃねえよ。ハクがつくならどこだって良かったんだ。スパークスでも、スカルでも。 どっちにしたってエイジはいつか俺たちに銃向けてたと思う。……だから入れてやるわけにはいかなかった」
言い訳じみた言いぐさに自分で自分をあざける。
極端に思い悩んだ様子のレキに、ハルも胸中をあさって慎重に言葉を選んだ。
「それで良かったんだよ。ただ、タイミングが悪かっただけでさ」
ハルのなんともわかりやすいフォローにレキが苦笑いで応える。
それであっさり納得してしまうわけにはいかなかった。何故なら生きていく上でその“タイミング”がどれだけ重要かを、レキはすでに嫌と言うほど知っていた。
「エイジが死んだのは俺のせいだけど……シバは、デッド・スカルは絶対許さねえ。これ以上俺のフレイムに手ぇ出させてたまるか……!」
「そうだな、同感。……俺も協力するしさ」
優しく微笑みかけてくるハルに対して、レキはあからさまに拒否反応を示して口をへの字に歪めた。
毛布をハルに投げかけると身震いしながらシャッターの方へ向かう。
「気色悪いな!何勘違いぶっこいてんだよ……俺口説いても何もでねぇからなっ」
「はあ!?そっちこそ恐ろしいこと言うなよ!!そんな趣味ねぇしっ」
無防備な優しさは時に手痛い仕打ちを受ける。
やけに必死に弁解するハルをレキが訝しげに見やった。手元はシャッターを押し上げる。
「どうだかな……ブラッディにも他の女にもさっぱり興味なさそうだし。まあ恋愛は個人の自由だしな。俺にさえ害がなきゃどっちだっていいんだけど」
「勝手に解釈すんなよっ!違うって言ってんだろっ」
どうやらハルをいびることで少しずつテンションを取り戻しつつあるようで、未だに弱まる気配のない雨足にも先刻よりは平静でいられた。

    ほぼ同時刻、東スラムはずれ-周囲をはばかるように歩いているのはゼット。
常に持ち歩いているスケボーを今日も抱えたまま閑散とした市街をやたらに警戒しながら進んでいる。
挙動不審という他ない、そうこうしている内にゼットはかろうじて屋根のある商店の廃墟へ身を隠した。
雨に濡れても、汗をかいても彼のハリネズミのように逆立った髪はたいしてくずれを見せない。スケボーを敷物代わりにゼットは腰を落ち着けた。
「嫌な雨っす。……ブレイマーじゃなくてもあんまり好きになれないっす」
雨はこの季節にしては刺すように冷たくて痛い。水をはじくゼットのジャケットもこの雨にはいささか湿っていた。
その湿ったジャケットのポケットをまさぐる。その時も視線は周囲に巡らされていて必要以上に人目を気にしていた。
「こんな寂れたところにまでブレイマー出るなんて……やってらんないっす。ヘッドはヘッドで何もしてないみたいっすし」
ゼットが独りごちているのは自分への言い訳とレキへの罪悪感からだった、ポケットに突っ込んだ指先に目当てのものの感触を覚えるとゆっくりそれを引き出す。 きっちり三角形に折られた小さな紙包みを手にしてゼットは再び周囲に視線を走らせた。
「しょうがないっす……っ、これで終わりにすればきっとヘッドにも、誰にもバレることないっすよ。これで最後にすれば……」
ゼットは寒さか極度の緊張からかで小刻みにふるえる手で、もう片方のポケットから巻き煙草を取りだした。
今この瞬間はレキに知られたときの恐怖だとかブレイマーに対する、エイジの死に対するやりきれなさだとかで、叫びたくなるほどストレスを感じていても この煙草に包みの中身を混ぜればそれも無くなる。ゼットはそれを望んでいた。
震えは手首にまで進む。煙草に入らず地面にこぼれていく白い粉、それでも何とか包みの中を空っぽにして煙草をくわえる。血走った目で、火を点けた。
「ふーー……吸い終わって時間置いて帰れば……大丈夫っす」
広がる安堵、解放感、至福と満足感、先刻すさまじく脳内を支配していた恐怖はどこかへ消え今は全てがどうでも良かった。
  ゼットもフレイムのルールを知らないわけではない。だからフレイムに加入するにあたってクスリはためたはずだったし、二度とやる気もなかった。 レキもそれがわかったからゼットの加入を認めたのである。
ただ一つ、レキの誤算だったのはゼットが精神的に脆すぎる、という点だった。
何かに、とりわけクスリに依存していなくてはゼットに現在の状況を受け入れる許容力は持てなかった。
  一服する毎に快感が広がる。うつろな目でゆらゆら揺れる廃ビルや瓦礫をぼんやり見ていた、その時。
ジャリ- -小石だらけの道路を踏みしめる嫌な音が耳に入る。
あんなに注意を払っていたはずの人の気配にゼットはようやく気付いた。警戒心もクスリ入りの煙草を吸った後では、すっかり途切れていたのである。
朦朧とする意識でも、突然の人の出現のやばさくらいはゼットにも認識できた。手から、煙草が落ちた。
「こんなところでこそこそクスリやってるってことは“フレイム”のメンバーだな。どうだ、まずは東スラムから掃除していくか」
男が一人、ゼットの顔をのぞき込んでいる。話しかけた先にさらに3、4人同じ服装の男が寄り集まっていた。
「そうだな……北、“デッド・スカル”は少しやっかいだしな。東区はフレイム、にブラッディ・ローズ、だったか?」
「ブラッディ・ローズの方は女ばっかりのチームだ、さほど問題なく片づくだろう。フレイムは……そうだな、こいつ、使えるんじゃないか?」
視線が一気にゼットに集中する。
 : ゼットは再び全身に震えを覚えていた。しかし今度は原因がはっきりしている。
この避けられようのない危機的状況への、絶対なる恐怖。終いには奥歯をガチガチ鳴らして後ずさっていた。
男達の制服には見覚えがある。目が痛くなるくらい真っ白なジャケットコート、なにより疑う余地もないのが左腕の『UNION』の腕章、 星の数は違えど三人の男は同じ制服だった。