ACT.4 ラクエンニワカレノキスヲ


  レキが検査の間に見たのは、バカでかいデジタル時計と赤い液体が各々少量ずつ入れられてある数十本の試験管、 それに採血のための注射にかなり本気で泣いているマッハくらいだった。
  ノーネーム、とりわけレキたちのようにほとんど無管理の下で生活してきたタイプは新手のウイルスやら感染症やらを持っているケースが多いため 検査は全身を通して念入りに行われた。脳波から始まりレントゲン、採血、唾液から排泄物まで余すところ無く白衣の連中が摂取していく。
レキはあまりに静かだった。牢から出て検査が終わるまでただの一言も口をきかず、不気味なほど大人しくしていた。
ようやく一度だけ口をきいたのは牢に帰ってきた時で、それもひどく味気なかった。
「さっきの検査、結果はいつ出んの?」
見張りの男も一瞬面喰らう。何を言い出すかと思えば、あまりに平凡すぎて、だ。
「一時間もすればでるだろう。何か不都合が見つかった場合、直ちに隔離という形を取るからそのつもりでな」
レキを押し込んで再び持ち場に戻る見張り、それを横目で見送りながらレキはポケットをまさぐる。エースの空の手元に煙草を一本投げ渡した。
「……どこに隠し持ってた?まさかパンツん中じゃねえだろうな!!」
「……安心しろよ、さっきの見張りからくすねたもんだ。一服したら逃げるぞ、準備しとけよ、ジェイも」
エースだけに渡された煙草を物欲しそうに見ながら、ジェイが不平に口を尖らせる。 レキにしてみればこの煙草も余計な労力を使うものでしかなかったが、エースはとにかくニコチンがきれると使い物にならない。 万年五月病みたくやる気の失せたエースを引きずる気力は流石になかった。
「ハルの救助を待つんじゃねえのかよ。一分経ったら考えのひっくりかえる奴だなっ」
「一時間で検査結果が出る。バラける前に事起こさないとハルもやりにくいだろ。……つーかあいつ宛にしていいのか不安になってくるな。何モタモタしてんだよ、ハルの野郎っ」
  -ハクション!-収容所の裏手の壁で誰かのくしゃみがこともなげに響く。これは余談にすぎないが。
「検査って、ゲロ!ひょっとして病気持ち……!?」
「~の可能性大の奴が一人混ざってんだろ」
「ぁあー?俺のことか、そりゃ。失敬な奴だな俺はいつだって清く正しい方法で……」
ジェイが煙草とその他いろいろな羨望から目を血走らせてエースを睨む。
湿った牢内に充満する安物の煙草の臭いにまみれて、レキはジャケットを着直した。
  彼のこの時の真理と心裏をしる者は、おそらくここにはいなかっただろう。
レキの沈黙と言動の全てに深くて濃い、極彩色の意味があったことをこの時は誰も-。

  コンコンッ-軽快なノックの音が部屋に響く。低くて短い応答が下るとドアを開けないままで外から声がした。
「イーグル大佐、ロストシティ東区のノーネームの検査結果です。いかが致しましょう」
イーグルがおもむろにドアを開けると、ユニオンの制服を着た男がかっちりと敬礼する。
イーグルは無言で分厚い資料を受け取ると、わざとらしく大きく嘆息してみせた。
「地警の奴らに言っておかなかったのか?ノーネームのガキ共の処理は任せると言ったはずだ。北も西も掃除は済んだのか?」
「はっ、それが妙な結果が出たので是非ご覧になるようにとのことです。それとこちらは先日東区のはずれで確認されたブレイマーと犠牲者のファイルです。では、失礼します」
イーグルの部下は足早に踵を返す。長居していては理不尽な小言を食らうとでも思ったのだろう、察してイーグルはくだらなそうに鼻で笑った。 扉の前に立ったままファイルを開く。
「妙な結果だと……?おもしろい」
一枚一枚、丁寧なのか雑なのかわからない早さで頁をめくっていく。ただ眼球がすさまじい早さで上へ下へ移動していることは確かだ。
これと言って目を惹くような情報はない。とりたてて身体能力に優れた者もいなければ、要注意する程不健康な者もない。
ファイルを閉じようとした、まさにその時だった。
イーグルがめくった頁を慌てて一枚戻す。暫く食い入るように見て徐々に目を見開いた。
“妙な結果”の頁は確かにあった。しかしそれは「妙」の一言で片づけられる程単純なものではなかった。
イーグルの手からファイルが滑り落ちて、虚を突くような激しい音と共に床にたたきつけられる。半ば放心状態と化していた彼がその拍子に我に返った。
「どういうことだ……どうなってる!これが事実だとしたら、俺たちの通念自体が揺らぐぞ……!」
ファイルと拾おうと腰をかがめた瞬間、めくれた頁の結果に今度は冷静に苦笑いをこぼす。
冷静だったのは表情だけで内心は心臓が破裂しそうなほど衝撃を受けていた。
どこかショートしてしまったのか頭を抱えて笑いを噛み締めている。
「今度は絶滅種と謳われたアメフラシ族か……。東区は宝の船だな!それともこのチームのみにいえることか?……まあいい。 どちらにしろ俺たちの仕事が増えるんだ、実に興味深い結果だ、この二人はな」
  よほど満足したのかファイルを再び睨み付けて、検査室に向かおうと足を進めた矢先-
ウウゥゥウ!!ウウゥゥウ!!-腹の底に響くような警報と目が痛くなるほど目まぐるしい赤光の点滅が感覚を支配する。
一定間隔でけたたましく鳴り響く警報にイーグルが舌打ちを漏らした。
「鼠か……」
アナウンスはやかましい警報をかき分けるように本部内に響く。
イーグルが独りごちたような小さい鼠やこそ泥を探知するようなシステムは生憎地方警察には備わっていない。 せいぜい要所に隠しカメラが設置されている程度で良い意味でも悪い意味でも、とるに足らないものは感知しないようになっていた。 つまり裏を返せば、その大雑把に監視に引っかかるほどのことが何処かで起こったのである。
説明は不要だろう、地警唯一の10メートルの壁に大穴を開ければ誰でも気付く。
「だーっっはっはっは!見たかー能なし地方警察共めぇ!スパークスのサンダー様のお成りだあっ!!」
「……。手に負えねぇ……」
風通しの良くなった収容所への道を目に入れてハルは頭を抱えた。 おそらく偏頭痛でも始まったのだろう、絶え間なく轟くサイレンと目蓋の裏を定期的に過ぎていく赤い光に共鳴するようにハルは口元を引きつらせていた。
「あり得ねえだろ!!バカじゃねえの、もう少しうまくやるかと思えば……!ああっ、サンダーなんか宛にした俺が悪かったよ!!」
「聞き捨てならねえ台詞だな……。仕方ない、レキの前にまずお前からたたきつぶ-」
自らが爆破してあけた大穴に見とれていたのも束の間、苦悩するハルに共感してかケイがサンダーを黙らせた。 どこから調達してきたのか、ベストサイズの灯油缶で思い切り奴の後頭部を殴りつける。
鈍い音が耳をかすめてサンダーが白目をむいた。数秒遅れて仰向けに倒れ込む。
「ああっ、ヘッド!!」
「しっかりして下さ~い」
ケイのVサインをハルとベータはひきつった笑みで受け止める。 一歩間違えば殺人犯はケイの方だが、生命力はゴキブリ以上のサンダーのことだ、せいぜい脳しんとう程度であろう。
ケイは手際よく灯油缶(凶器)を放り捨てる。
「こんなのにかまってる暇ないよぉ。早くヘッドたち助け出さなくっちゃ!」
ハルが深々と頷く。そろそろ中の連中がこのあからさまな侵入者を嗅ぎつけてくる頃だ。
「手分けしてフレイムのみんなを助けるぞ!ヘマしてこっちが捕まんないようにな!」
「あいあいさー!行くよ、オージローっ、ヘッドんとこまでレッツゴーゴー!」
サンダー(返事がない、ただの屍のようだ)を飛び越えて先陣をきるケイとオージロー、続いてハル、最後にベータがわざとらしくサンダーを踏みつけて敵陣に乗り込んだ。