「ハル!横!」
危機迫る叫び声にハルは無心でジャケットからサイドアームであるオートハンドガンを抜く。
そのままろくに照準も定めず引き金を引いた。しかも左手で、だ。
運良く、としか言いようがないだろう弾は相手の前輪に命中してドライバーもスナイパーもバイクから転げ落ちた。
胸をなで下ろしたのも束の間、ファインプレーを見せつけてくれたハル本人も両手に銃を構えていては支えるものが何もない。
傾く上体に遅ればせながら多量の冷や汗を流した。
「うぅわあああ!!」
景色も同時に傾いていく、が斜め45度で視界と体の回転は止まった。
先刻も今も、ハルを救ったのは他でもない、シオだ。両手でハルの腰にしっかりとしがみついてくれている。
が、それもやはり束の間で両手を放したシオもバランスを失って二人そろって再び地面側へ傾いていった。
「あんま見えないところで暴れてくれんなよ。かっこつけすぎると痛い目見るぜ」
今度は完全に止まる。バックミラー越しに見ていたレキが左手でシオの腕を支えている。
その頃にはすでにハルの頭は地面スレスレまで傾いていたが何とか無事に元の体勢に戻ることができた。
「シオ、サンキューな。マジ、助かった」
改めて落ち着くと、腰に腕をまわされているのは案外照れる。
礼を言いつつも微妙に赤面するハルをまたもやレキがバックミラーで観察し口元を歪める。藪から棒に片手で後部を散らした。
「だから後ろで背中がかゆくなるようなことすんなって。今度こそ振り落とすぞ」
「あのなあっ、……っと、もういいよ前向いてなよ、危ないし」
しがみついたままのシオ、肩越しに彼女のつむじを見ながらハルが我に返る。
と、シオは顔を上げて口パクで“大丈夫”をゆっくり呟く。
予想だにしなかった返答でハルが混乱しているとシオが話を遮るように後方を指さす。
敵はハルが落ち着くのを待ってくれるわけではない。再び応戦に戻るハルをシオは背中からジェイと同じく支えた。
「シオっ、俺大丈夫だからレキに掴まってなよ!」
撃ちながら、ハルが背中に聞こえるように叫ぶ。背中越しではシオの口パクは伝わらないから、代わりにレキが応えた。
「いいから支えてもらっとけ、ちょっと飛ばす。シオ、支えんのはいいけど落ちんなよ!」
レキはおそらくバックミラーを見て話しているのだろう、それを見越してシオは大袈裟に頷いてみせた。
言葉通りレキはアクセルを全開まで回す。エンジンが呻りを上げて加速した。
ここで青筋を浮かべたのがラヴェンダーだ、前触れもない加速に彼女も合わせてアクセルに力を入れる。
連鎖はまだまだ続き、次に迷惑を被るのは当然ジェイで加速の反動で前のめりになったかと思いきや振り落とされる寸前まで傾いた。
「次の水質検査場にデカい入り口があるはずだ。バイク捨てて飛び降りるぞ!コーナー、ハングオンの準備しとけ!」
ハルが銃をしまうとシオの手をゆっくりはずす。レキの背中を指してしがみつくように指示すると自分もシオの背中に微妙に手を置いた。
腰に手を回すのはどうやら気が引けるらしい、どこまでも律儀な男だ。
「次のカーブで曲がる方向にギリギリまで体傾けて。俺支えてるし、落ちないから大丈夫」
先刻のレキのアバウトな注文にハルが捕捉(要するにいつもの尻拭いだ)、支えていると宣言した割にはやはり腰が引けている。
それでも後方への合図は忘れずにしておいた。どこまでもどこまでも律儀な男である。
「ハングオンして!そこのバイク酔い男のこともしっかり頼むわよ」
「……はーい」
いつのまにかエースはきっちりと前を向いてジェイの背中にコアラのようにしがみついていた。
バイクに乗るのがただでさえ苦手な男が長いこと後ろ向きに座って、体勢も構わず射撃に意識を集中していたのだから、彼の状態も頷ける。
さらに付け加えると、ラヴェンダーの粗っぽいステアリング操作も原因のひとつだ。ジェイでさえもはしゃぐ気力を無くしていた。
前方レキたちの車体と同乗者が地面スレスレまで体を傾けたのを見届けると、ジェイもよろよろとエースごと上体を傾けた。
遠心力がすさまじく全身にたたみかけて世界が回っているのかバイクが回っているのか分からなくなる。
それでも何とか元通りの状態を立て直したか、という直後-
「何ぼやぼやしてんのっ、下よ下!飛び降りないと死ぬわよー」
ぼやぼやしていたつもりはない。エースの分までラヴェンダーの支援に努め、なおかつ彼の面倒まで見て、むしろ表彰されても良いくらい働いたはずだ。
ラヴェンダーの味気ない通告でジェイは歯を食いしばってバイクから飛び降りた。
ライダーを失った車体は一直線に貯水タンクへと向かって派手に追突すると、生々しい音をこだまさせてスクラップに早変わりした。
レキたちの車体は一足先に煙を上げている。
「圧巻だな~バイクってあんな燃えるもんか」
「早いとこ地下に入っちゃおうぜ。エンジンに引火したら大爆発するし、タイヤが燃えると有害だしな」
土壇場で飛び降りた割にはかすり傷ひとつ見当たらないジェイ、彼のヘルメットがやっと本来の用途で役立ったというわけだ。
これが自分たちの愛する“ギン”だったら今の落ち着き払った感想はあり得なかっただろう、人のもの(どうでもいいもの)だからこそ無茶苦茶な扱いができるわけである。
「追いつかれる前に奥まで入るぞ、できるだけ身軽にな」
水質検査用と思われる大きめのマンホールをこじ開けてレキは迷わず下への階段に足をかけた。
「申し上げます。シオを含む侵入者6名は地下水路へ逃げ込んだようです。あそこは連合の管轄区ですがこのまま追跡を続けますか?」
もはやもぬけの殻となったシオの軟禁されていた部屋、財団代表であるブリッジと状況報告に戻ってきた警備員、そしてアスカのみがそこで立ちつくしていた。
扉の前でブリッジの応答を待つ男を半ば無視する形で、彼はアスカの方へおもむろに歩み寄る。
「奴等に逃走ルートを開いたのはお前か」
無論アスカも応答する気はない。全ての質疑は一方通行となっていた。
シオの時と比べてブリッジはやけに冷静さを保っている。フリをしているだけなのか、意図的に冷静でいる必要があったのかアスカのだんまりにも眉一つ動かさないでいる。
「ならば質問を変えよう、シオの逃走を手引きした連中の中にルビィを持っている奴はいるか。それとも、それも作り話か」
「……。いえ、いる、と思います」
ずいぶん歯切れが悪いがアスカはそれには口を開いた。このまま沈黙を押し通していたらブリッジの逆鱗に触れた懼れがある。
やたらに口ごもったのはアスカ自身も実際ルビィを確認したわけではないからだ。
「それさえ聞ければお前に用はない、部屋に戻れ。……総力を結して地下水路の奴らを追わせろ。一匹残らず、捕まえてルビィを取り戻せ……!」
呆と扉の前で突っ立っていた男はようやく待っていた返答を得て敬礼すると足早に廊下の向こうに駆けていった。
レキたちがバイクで逃走してからずっと鳴りっぱなしだった警報が鳴りやむ。
静寂の室内にブリッジが奥歯を噛み締める音だけがわずかに響いた。
耳と脳が慣れ始めた頃に警報が止み、その男は逆に不快を感じていた。
財団本部には不似合いなラフな服装の少年が、いきなり訪れた音のない空間に舌打ちを漏らす。左手にはやたらに長い棒状の包みを握っている。
年の頃14、5歳といった風なごく普通の少年だ。
アスカが自室へ向かう途中、その少年とタイミング良く遭遇する。
お互い初対面ではないようだ、どうやら少年は財団側の人間らしかった。