ACT.7 インベーダーゲーム


   毎度のことなのだからレキも気付けば良いのだが、ハルの横ではシオがメモ帳を広げている。
お馴染みのナゼナニ講座が開かれているのだろう、振り仮名のない文字の羅列を見てレキはさっさと前方に向き直った。
「よくやったぞ、とかこの調子でいくぞーとかニュアンスはそんな感じだね、後はノリか?親指立てると“good luck!”」
ハルの身振り手振りや言動から察するに、自分たちがよくやるサインについて話しているようだ。 おおかた先刻レキとハルが拳を打ち付け合ったのを見て不思議に思ったのだろう。
肩越しに振り返ったレキの視界に、一人で拳を打ち付けたり親指を立てたりするハルが映る。
暇を持て余していたジェイが割って入った。
「で、これを地面に向けちゃうと“go to the hell!地獄に堕ちろ!”間違うなよ~」
ジェイの見よう見まねでシオが親指を下に向ける。
ハルが迷惑そうにジェイのヘルメットをずらした。シオが意味を解しているのかそうでないのか、感心して実践しているのを慌てて制す。
「変なの教えるなよっ、覚えなくていいからな、それ」
「……シオ、ハルにはこれでいいよ」
二人揃ってハルに下向き親指を向けてくる。とんだサインを教えてくれたものだ、ハルが諦めて深々と嘆息した。
と、シオが新しいページに何か手早く書いている。
《じゃあこれは?どういう意味?》
シオが見せる前にハルがメモを覗き込んだ。
「これ?」
シオがメモ帳をしまった後でやらかしてくれたサインが大問題だった。
無造作に立てられた中指を、ハルは凄まじい早さで握って隠す。左右をある意味凄い形相で確認、怪しさ全開だ。
あっけにとられるシオの指を丁寧に畳んで声を顰めた。
「そんなの誰に聞いたの?」
だいたい想像はつく、頭を抱えて思い当たる人物を何人か睨み付ける。
シオはわけがわからないままハルの慌てっぷりに面食らっているようだった。
《何かまずい意味?》
ハルの煮えきれない表情にシオが口パクで葉っぱをかけてくる。できるならこのままお茶を濁し続けていたいが、彼女の好奇心むき出しの眼差しがそれを許してくれない。 愛想笑いもどうやらハルの一人芝居の一部でしかないようだ。
「えーと……それはさ。そのー」
「シオ、それは女の子が使うもんじゃないって。まぁたまにブラッディの下品な女たちがやったりしてるけどさぁ、意味は“fac……」
  ヘルメットというのは上からの衝撃にしか意味を成さない。 さんざん天誅を防御されてきたおかげでハルも学習したらしい、またもや二人の肩の間に割り込んで顔を出してきたジェイを手加減無しのアッパーで黙らせる。 これ以上シオにくだらない知識を吹き込まれたのではたまったものではない。
首ごとよじれてしゃがみ込むジェイと距離を置くべく早足に歩いた。
最後尾をマイペースに歩いていたエースが何か達観したように嘲笑を浮かべていた。
  誰も彼もがこのまま何事もなく、安息の地に辿り着くと思っていたに違いない。 連続して彼らを襲った事態はあまりに常時とかけ離れ過ぎていた、精神的にも肉体的にも疲労は蓄積されている。 レキの凄まじい欠伸や、エースの見えない筋肉痛はどうにもこうにも休息を欲していた。
本人たちが自覚するしないに関わらず、欲していたのだ。
  ブッピーーピーガァザー ー生ぬるい空気を一気に裂いたのは突然虚をついて鳴り響いたその音だった。
全員見事なまでに過剰反応を示し、肩をびくつかせる。とりわけジェイは飛び上がって尻もちまでついていた。
「誰だぁ!?こんな地下でぶっこいてんのは!ガスが溜まるだろーが、ガスがっ」
さも迷惑そうに耳の穴に人差し指を突っ込んだエース、確かにそれらしい音ではあったが、それ特有の悪臭は漂ってこない。 あるのは下水の臭いと湿ったカビ臭だけである。
臀部をさすりながらジェイがそそくさとお辞儀をする。ちなみに彼が放屁の犯人というわけではない。
「レキ!ちょっと地上うえ上がっていいか?レシーバー、何か受信しちゃってるんだわ」
ジェイが顔の横でお菓子の箱みたく振っているのは長距離用のトランシーバーだ。
ジェイの改造の甲斐あってか地下でも多少電波を受信したらしい、それが先刻の放屁、いや磁気の裂音だった。
「上って……っ、まあいいか、随分遠くまで来たしな」
「傍受されるってことはないのか?」
緊張の切れたレキと違ってエースは意外にも冷静である。
が、ジェイは軽く掌を振るとあっさり上への梯子を上り始めた。
エースに続いて心配そうなラヴェンダー、ジェイの適当な応対が納得いかないらしく、目を尖らせてハルに答えを求めた。
「ああ、無線機じゃないし通信記録取られることはないんじゃないかな。あれ自体はちゃちなトランシーバーだし。ああ見えて、ジェイは結構腕はいいんだぜ?」
「“ああ見えて”と“結構”は余計!」
梯子の先端まで上がりマンホールに手を掛けながら言い捨てる。
ヘルメットと作業服とマンホール、三点揃うとただの工事現場のおっちゃんだ、何人かは同じ感想を抱いたらしく鼻で笑っていた。
  3センチほど蓋を開けて外の様子を覗き込む。どこかの工事現場のようだ、四点揃ったところでおっちゃんがトランシーバーのアンテナだけを穴から外へのぞかせた。 切っていた電源を再びオンにする。直後ー
「ヘッド、そこにいますか!?大変なんです!!あぁもう困ったなぁぁ、通じてないのかなあ!」
発信元はよほどパニック状態らしく、こちらが応答する前に勝手に盛り上がってしまっている。 背後の他の喋り声や磁気嵐の音が切羽詰まり具合に拍車をかけているように思えた。
「わけわかんねえよっ、誰でどこにいて何がどうしたって!?」
思わずジェイもヒステリックに怒鳴る。暫くまともな応答を期待して黙っていたが相手側は混乱を増すばかりだ。
と、いつの間にかレキがジェイのすぐ後ろについて梯子を上がってきていた。
「貸せ」
呼ばれたからには出ていくのがチームの頭の役目だ。非常事態ならなおさら、とレキはジェイの顔を押しのけてマンホールから頭を出した。 実のところ新鮮な地上の空気が吸いたかっただけ、というのが本音だ。
しかし期待したほど地上も澄んだ空気ではなかった。しかめ面でトランシーバーを握る。
「俺ならここにいるけど。とりあえず落ち着けよ、話が見えねぇ」
「あっヘッド!良かったぁ繋がって。無事だったんですね、ハルたちもそこに居るんですか?」
レキの声がした途端、受信機の向こうのざわめきがピタリと止む。それどころか落ち着き払って災害時に離ればなれになった親子の会話に切り替わった。
ジェイが肩を竦めて梯子を降り始める。 会話はだいたい全員に聞こえるくらい響くから、わざわざレキと雁字搦めになってまで梯子の上に留まる必要はない。
「今はこっちのことはいいよ、お前トラップか?何かあったんだろ?」
「ああ!そうです、俺です。それがスカルに偵察に行ったケイが戻って来ないんですよ、もう二日目なんですけど……もうダイが気が気じゃなくて」
繰り返すが二人の会話は水路にいる全員に聞こえている。だから騒然とするのはレキ一人に留まらなかった。
緊迫は忘れた頃に最悪な形でやって来る。
「何で一人で行かせた!!よりによってスカルかよ……っ」
そして苛立ちを伴う。頭を欠いた集団にこの手のトラブルはつきものだ。各個人に指揮権はないものの決定権が付与されてしまうからだ、 それでなくてもケイは即行型の暴走娘である。その名前を聞いて妙な脱力感が全身を襲った。