ACT.8 ターゲット ロック オン


その笑みも、時に唇を舐め回す蛇のように長い舌も、ラヴェンダーにとっては生理的に受け付けないものらしく、シバと視線が 衝突した瞬間、彼女はこれでもかと言うほど露骨に身震いしてみせた。隣に肩を寄せて立っているローズを正直嫌悪するほど、 彼女の表情は歪んでいた。
  名指しされれば嫌でもそっちに注目してしまう。ここへ来てから意図的に視界から除外していた女の姿をレキはしっかりと 目に入れてしまった。入れてしまったからには見て見ぬ振りという器用な真似はできない。何より視線そのものをローズから 外すことが既にできなかった。レキが僅かに見せた動揺をシバは見逃さない。
「チームが解散したと思ったら敵同士馴れ合いか?……それともこいつみたいに強い奴を選んで結果そうなったか。だったらとんだ 的はずれだな」
いくら思考力の鈍い二人でも自分が侮辱されていることくらい分かる。
ローズの肩に手を回しながらシバはまた、長い舌で自らの乾いた唇を舐め回した。
「はっ!自分が世の中で一番強い男だとでも言いたいの!?それこそ勘違いってやつでしょ、あんたが強いって言うならレキや エースの方が万倍マシよ!」
これは思考力の鈍いレキには多少難解だった。誉められているのかけなされているのかよく分からない。
エースはラヴェンダーの喧嘩上等の言いぐさ自体に呆れて頭を抱えているし、ジェイにおいては名前が挙がらなかったことにいじ けている始末だ。
「……何なのよ、ローズも。すましてないで何か言いな!あんたもよ!!何ぼやぼやしてんの!?」
ラヴェンダーが鬼のような形相で怒鳴った相手は無論レキだ。ぼやぼやしているつもりは無かったが出遅れたのも事実である。
まるでそれがあるべき姿のように肩に手を回すシバを、ラヴェンダーの言うようにすました顔つきで受け入れるローズ、この 光景はレキの言動を差し止めるには十分すぎるほどの効果があった。誰がどう見てもシバの女でしかない、プライドの塊みたいな ローズの性格からして当にこれはあり得ない構図なのである。
「……俺に、復讐するためか?そんな理由でチーム解散してプライドまで売ったのかよ。……お前ほんとに……ローズか……?」
口をついて出るのは半ば答の出ている無意味な疑問ばかりで、それでも本心が肯定するのを拒否するからこれしか言えない。
  沈黙を義務のように貫いていたローズの唇がようやく静かに開かれる。
「それで……?」
ただそれだけを、面倒そうに吐き捨てた。
「正気なの?……どうかしてる」
ローズの目はかつての仲間を見るそれではなかった。ラヴェンダーが取り乱してまでくってかからないのはそのせいだ。
目は口ほどに物を言う。本音を元からあまり口にする方ではないローズだから、余計にそれは真実味を帯びていた。
シバと並んでも何ら違和感を覚えないのも、おそらくはこの冷めきった瞳の成せる業なのだろう。
  困惑とそれに伴うよく分からない怒りと虚脱感は、ラヴェンダーからそれ以上介入するための気力を奪っていった。
「それでじゃねぇだろ、ケンカ売ってんのかよ。つーか何の冗談?……全然笑えねえんだけど」
レキはと言えば感情を抑制することなく、思うがままをたいして後先考えず口にする。苛立っているのは確かだ、ラヴェンダー 同様何に対する怒りなのかははっきりしない。
「……言いたいことはそれで終わり?悪いけど私はあんたにも、あんたの仲間にも用はない。……用が済んだらさっさと消えて」
「シバと手を組むのか……?」
ラヴェンダーが伏せていた顔を少しだけ上げる。一番重要で一番手っ取り早い質問だ、状況証拠と証言がどれだけ揃っていても レキを納得させるのはこの質問の答えだけなのだろう。分かっている結果を、それでも期待せずにはいられない。自分で真綿で 首締める、損な性格だ。
  ローズの深い嘆息がやけに鮮明に響く。
「どうもこうもないでしょ。あたしが誰につこうがあんたには関係ない」
期待は脆くも崩れ落ちる。
「答えになってねえ!」
微動だにしなかったレキが無意識に進み出る。ジェイがぎくりとしてその肩を掴んだ。
「アホっ、前に出るなよ!潰し合いに来たわけじゃねえだろっ」
「……関係ねぇわけねえだろ。お前が敵に回るか回らないか、こっちにも出方ってもんがある」
ジェイが咄嗟にレキを制したところが、彼の考えている一触即発ラインだ。デッド・スカル勢とレキたちフレイム勢を二分する 概念のみの境界線、これを越えてしまえば撃たれても打ち返しても文句は言えない。長年の対峙で築き上げられた暗黙のルール のひとつだ、レキは今それさえも半ば忘れかけている。
「ローズ!」
パァン!!ーレキの、頭に血が上った雄叫びとジェイを振り払おうとする腕、この両方を制したのは前方からの突然の弾丸だった。 レキとジェイの足下数十センチ横で硝煙を上げてめり込んでいる。発砲したのは言うまでもなくシバだった。
「俺の女に気安く話しかけてんじゃねえよ。今ここで死ぬか?」
シバの銃から惜しげもなく立ち上る硝煙、銃声を合図代わりに大人しくしていたスカルのメンバーも隠し持っていた銃や担いでいた 鉄パイプを振り回し始めた。50対5はいくら何でも分が悪すぎる。
シバの理不尽な先手に抗議するのも忘れて、ジェイやケイはひたすら青ざめた。
「……俺の……女だあ?……頭打ったのかよ、シバ。……笑えねえって何度言やぁ分かる」
「証明まで必要なのかよ」
勘に障る薄ら笑いを浮かべたかと思うとシバが銃を下げる。
  例えば次に目の前で起こることの主語がシバか、もしくは使役としてデッド・スカルメンバーの誰かなら、レキにも 発砲の権利はあっただろう。しかし事実はまるで違った。ローズ自身がその手をシバの首に回して、その唇を奴の口へ押しつける。
彼女自身が。
  何秒間そうしていたのか分からなかったが、本来瞬きする時間を無視して目を見開き続けたものだから気付いた時、まず目が痛かった。 思考回路が止まりきると案外いろいろ楽になる。シバのピアスだらけの長い舌がローズの唇に触れるのも他人事のように冷静に見て いられるし、実際途中から見慣れてしまった。その悪夢のような数秒間からレキを呼び覚ましたのは他でもない、シバのあの嘲笑じみた 視線だった。
「レキ!」
何かが脳裏で軽快に吹っ飛ぶ。
「考えろよ!今撃ったらローズにも当たるっ!挑発されてんのが分かんねえのかよ!」
 知らない内に内ポケットから銃を出して、知らない内にコッキングまでして、ジェイが止めてきた時には既に照準も定められて 引き金を引く寸前だった。吹っ飛んだのはおそらくレキの自制心だ。
その同様ぶりに満足したのか、シバはわざとらしくまた自分の唇を舐めた。“証明”を終えたローズは何食わぬ顔でまた定位置に戻る。
「……レキ、退くぞ。もうスカルに用はねえだろ。ルビィは出直してからだ、この状況じゃ取り返せねえ」
エースの小声の提案でレキがようやく銃を下ろす。実のところ今の今までルビィのことは頭から抜け落ちていた。 シオがレキに預けたあの紅い石は今やシバの手の内にある。確かにこの100%不利な状況でルビィ奪還を考えるより、シオへの詫びの方法 でも考えていた方が良さそうだ。
  下ろした銃をしまう気にもなれず、レキは吹っ切れたようにシバとローズを凝視していた。
「取引終了だ!こっちは退かせてもらう。文句ねえなっ」
普段ならー本来ならーレキが言うところの台詞をエースが代弁する。言うべき人物が未だにこの場や物や人物に執着して いるのは明らかだったが、それが治まるのも待っていても埒があかない。エースの考えはいつも簡素だ。