ACT.8 ターゲット ロック オン


  メインイベントは何だったのか?ーケイの救出、そのはずだった。そしてそれは完結を迎えたのだから、このまま ズルズルとサブイベントを引きずるわけにはいかなかった。撤退は当然の判断であり、滞りなく行われるはずだった。
「ケイ……どこ、行った……?」
無論出来うる限り小声で、ジェイが呟く。フレイムのトラブルメーカーのレッテルが貼られている彼女のことだ、この 一言で全員が憑き物が落ちたように冷静さを取り戻す。冷静を通り越して、何人かは悪寒すら覚えていた。
  ケイの姿を目に入れた瞬間、その位置関係を頭が理解した瞬間、反射的にレキは大音量の舌打ちを漏らした。
「あの馬鹿……!」
形のない境界線、その感覚に個人差があったことは否めない。が、せいぜいずれて2メートルの範囲だ。
  ケイは独断による誤差で偶然デッド・スカルのテリトリーに踏みいってしまったわけではない。彼女が腰をかがめて 腕を伸ばしている先には、レキが投げたルビィが非常灯のように光っている。
「何であれがまだあそこにあるんだよ……!!シバの野郎、拾っとけよ~!」
ジェイが器用に小声の大声で苦悩する。
  確かにシバは、どの時点でもルビィを拾う素振りは見せなかった。だからあれがレキが投げたままその辺に転がって いても何ら不思議はないのだが、今冷えた頭で考えてみればそれがシバの第二の囮だったことは明白だ。どうやらシバ にとってのメインイベントはあくまで全面抗争にあるらしい、一度はローズを餌に、そして今度はルビィでレキを釣ろう としている。思いの外、網にかかったのはケイだったがシバにとってはどちらでも同じである。“フレイム側が先に均衡 を破った”という事実さえあれば汚いやり方で誰を始末しようが、デッド・スカルでは正当な理由になる。
  シバの会心の笑みがレキの横目に映った。
「ケイ!戻れ!!」
考えている時間はない。戻れと言っても戻らないと分かっているから、言うと同時にレキは走り出していた。後方で懐に 腕を突っ込むエース、突っ込むだけでまだ何も出さない。ここで動けば本当にシバの思惑通りになってしまう。
  走る視線ーエースたちからレキへ、レキからデッド・スカルへ、そしてシバからケイへ。動いたのはレキの瞳孔と彼女 の引き金を引く指、響いたのは一回きりの鮮明な銃声、流れたのは赤い赤い血。
「レキ!!」
ジェイの切羽詰まった絶叫が一番はじめに場を裂いた。レキやケイの身を案じての叫びはそれが最初で最後で、後の二人 はただ凝固したまま様子をうかがっていた。ある意味デッド・スカル側もそれに倣って身じろぎもしない。
  ローズも、軽々とセミオートハンドガンを構えたままの態勢でただ銃口の先を見ていた。その構えられた銃の口からは ゆらゆらと煙が立ち上っていく。
「ヘ……ヘッド、ごめん……っ。怪我……」
ローズのトリガープルを確認した直後、レキは“うちの子がご迷惑をお掛けしまして”とばかりにケイの頭を容赦なく下方 に押さえつけた。もしくはクソ重たいボールを無理矢理ドリブルするような感覚だ、とにかく彼女の頭に穴が開くのを咄嗟 の判断で回避した。ケイが振り向く前に頭上、つまりはレキから地面へ向けて赤い水滴が落下したせいで彼女の声は上擦って いる。
「……穴開いてないよな。間一髪……」
雫はレキの右頬から窓拭きワックスのように急速に垂れ流れていた。ケイに穴は開かなかったもののレキの顔の肉はこそぎとら れてしまった。さほど二枚目なわけでもないし、余計な贅肉がこそげ落ちたと思えばたいして苦にならない、ケイを安心させよう と手の甲で弾傷を乱暴に拭って見せたが、思ったよりも出血量は多く反対に彼女の自責の念を増幅する結果に終わる。
正直レキ自身が一番驚愕している。が、いつまでも自分の血に関心を向けている場合ではない、視線をすぐさまローズへ向けた。
「飼い犬の躾はきちっとやっとくもんだぜ。手癖の悪い犬は……撃たれても文句言えねぇよなぁ」
シバは指示していない、それはレキも知っている。第一そんな合図をする時間は無かったはずだ。
  シバの隣で眈々と弾込めするローズに、レキは静かに銃を向けた。今度はひどく冷静で、頭の中はやけに冴えている。
ローズの手が一瞬止まったかと思うと、眼球だけをこちらへずらしてレキの方を見た。
「確かにお前の言うとおりローズが誰につこうが俺にとやかく言う筋合いはない。……敵に回ったとしても、俺がお前に仕掛ける ことはない」
ローズが深々と嘆息して、補弾を終えた銃を何食わぬ顔でレキに向ける。
「おかしなこと言うわね。今までだって敵同士だったのに。数年来の仲間みたいに言うのはやめて」
レキが銃を握る手に力が入る。
-俺は、前にユウに銃を向けたことが一度だけある-それがたった一度なのか、一度にしろ向けてしまったのか、人によって捉え方 は違うだろうが、とにかく一度だけある。その時はやむを得ず、というより半ば反射的にだった。
-だから、これで二度目だ-それがたったの二度なのか二度もなのかはやはりレキには判断できない。
  このご時世、他人に銃を突きつける機会は望む望まないに関わらず誰しも何度となくある。そしてレキも何度となくやってきた。 ただひとつ断言できるのは、レキは仲間にそれをすることはなかったという点。何の躊躇いもなく自分に銃口を向けるローズが変な 話羨ましく思えた。
「けど、けどな。……お前が仲間に手ぇ出すなら、……俺も容赦しない」
  ケイに殴られた以外の傷はない。これに、もし弾傷があって、そしてその弾がローズのものだったとしたらレキはどうしただろうか、 虚ろにそんなことを考えていたのはレキ自身であり、見守るしか術がないラヴェンダーであった。
  軽い嘆息の後、ローズは不意に銃を下ろした。レキはまだ狙いを定めているのもお構いなしに、踵を返す。
「つまんねぇな、もう終わりか?」
「無意味でしょ、帰るわ」
振り向きもしないで肩を竦めるローズ。
  シバの合図でスカルのメンバーがルビィを回収するのを、レキたちはただ呆然と見ているしかなかった。例えそいつが去り際に吐いた 唾が、レキとケイの足下で弾けようとも、である。食ってかかろうとするケイをレキは無言無表情で制す。
「取引終了だ。面合わせといて何もねえってのもしけてるが……楽しみが次に延びていいだろ?ご都合主義の時代はもう終わったんだぜ…… これからは強ぇ奴が生き残る。だからてめぇらは消える」
シバは自分のこめかみに指鉄砲を撃つ真似をして、レキたちの死でも暗示したいのか舌を出す。
後方のスカルメンバーが品のない笑い声を張り上げるのをレキは半ばうざったそうに聞き流していた。冷静なのか、混乱しているのか、 自分でもよく分からないということは後者なのだろう。起伏の激しい感情の波と場面展開にも正直うんざりだった。
「……格闘漫画にでも影響されたのか?てめぇが強かろうが弱かろうが知ったこっちゃねえけど……スカルは潰す。いい加減目の前うろちょろ されちゃ目障りだ」