ACT.9 ヒガシズム、ソノサキ


「しかし驚いたのはこっちじゃよ。シオが突然家出したかと思えばハルを連れて帰って来るんじゃからな。まあわしはアメフラシとブリッジ 財団び裏取引まで干渉しとらんし何とも言えんが……」
レキが咄嗟にシオに視線を移す。どうやらナガヒゲは詳しい事情を知らないらしい。ナガヒゲだけではない、おそらくこの里の者は皆シオの 行動の真意を知らないのだおる、聞くまでもなくシオの目を見れば何となくそれが読めた。
「……ナガヒゲに話してもいいか?物知りなじーさんだからルビィについて何か知ってるかもしれない。そうでなくてもクレーターができる前の 世代だし」
「せめて生き字引と言わんかっ。なんじゃ?わしで分かることなら協力するが……」
  シオが頷くのを待ってレキは話を始めた。シオの目的やルビィの存在、ついでにロストシティやここに辿り着くまでの苦労話なんかもまとめ て、話して聞かせた。エイジがブレイマーに殺されたこと、ブラッディ・ローズが解散状態にあること、ロストシティのアジトががユニオンの 強襲によって崩壊したこと、そして財団から逃げるために地下水路に入りこの里へ来たこと、全てだ。
「財団側の追っ手はもう来ねえかもな、俺たちをって言うよりはルビィを追ってたんだ。まあ邪魔者抹殺ってことなら数人は追ってくるか……。 どっちにしろ今度はプロだな」
診療所には当然の事ながら灰皿がない。ヘビースモーカーのエースもこんなところでモラルを無視する人間ではない、変に悪人になりきれない のもフレイムメンバーの性質だろう。
  そわそわして落ち着かないエースを見かねて、ラヴェンダーがポケットを漁り始めた。溜息混じりにポケットの中身を投げ渡す。
「おっ、いいもん持ってんじゃねえか、悪ぃな」
“眠気もぶっ飛ぶ!超刺激的ブラックガム”なるものの包みを開けてエースが口に入れる。これで暫くは腰を据えて話ができそうだ。
「ってことでルビィについて調べることにしたんだけどさ、なんか知らね?」
レキの質問に、老人は長い髭を巻き込んで腕組みをする。沈黙すること数十秒、ナガヒゲのわざとらしい呻り声だけが響いた。
「聞いたこともないし見たこともない、と言うのが本音じゃな。まさかブリッジ財団がそのようなものを使ってブレイマーを寄せ集め ていたとはのぉ……」
「お手上げってことか。万事休す、ね」
「そうでもないぞ、かわい娘ちゃんバスト87センチ!」
間髪入れずナガヒゲがラヴェンダーを、否ラヴェンダーの胸を力強く指さす。途端に男性陣の注目が集まるのを感じてラヴェンダーが 赤面する。あながち間違ってもいないから否定もできない。
「でけぇでけぇとは思ってたが……でけぇな」
「勿体ないよなぁ、ジャケットとかいっつも着ちゃってるし。そう寒くもないんだし脱げばいいのに……」
エースが神妙な面持ちでガムを噛んでいた口をぽかんと開ける。ジェイもまた、心底無念そうに嘆息などしてみせた。こういうことに 関してだけは、普段は掠りもしない馬が抜群に合うのがこの二人だ。
「なっ!なんで決めつけてんのよ!!そうだなんて一言も言ってないでしょ……!」
男共のしみじみとした視線に取り乱すラヴェンダー、必死に弁解している時点で肯定しているようなものだが、それ以前にナガヒゲの おっぱい目算術は百発百中、それを知っているフレイムメンバーにもはや否定は無意味である。
「ちなみにじゃな、シオのバストはと言うと……」
「言わんでいい!話の続きは何なんだよっ、脇に逸れすぎだろ」
レキを含めて再び男性陣が身を乗り出したところでハルがシャットアウトする。露骨に残念そうな顔を浮かべる彼らに当事者の女二人は 呆れ返るしか為す術がなかった。
「そうじゃ忘れるところじゃった。西海岸にな、サンセットアイランドという中規模な島があるのは知っとるか?」
「名前は聞いたことあるな」
レキ同様に皆適当に頷く。海を隔てようが山を隔てようが、ブレイマーはお構いなしに出現する。それにも関わらず敢えてあの辺境の地を 選んで暮らす神経がレキには分からなかった。気候も気温も大陸に比べれば暑苦しいし、連絡や交通も限りなく不便だ。システム化された ものが何もないというのは気楽だが、裏を返せば面倒極まりないということでもある。
「そこがどうしたって?ルビィと何か関係あんのか?」
「ううむ、ルビィと直接関係があるかどうかは分からんが、ブレイマーの生体については少し分かるかもしれん」
「……学者でもいるとか?」
ハルが脱線しないように的確な相槌を入れる。ナガヒゲが曖昧に頷く。
  ブレイマーの研究者は意外なことに、現在の世では非常にめずらしい。これだけ世にブレイマーが溢れかえればその生体や弱点、対処法 などを研究する者が出てくるのが普通だ、実際一時生物学者たちはこぞってブレイマーの研究に没頭していた。そのおかげで奴らが クレーターからやってくることや雨に弱いことなど些細な情報は判明したものの、依然として詳細は不明のままだった。
謎が多すぎる-どこから、いつどのようにして生まれたのか。もしくは何かから急速にカメレオンシフトしたか。何故人を喰らうか、 (食事であり、本能という説に今は帰着している)何故その血に治癒能力があるのか。
  ブレイマーを飼い慣らし様々な実験をすることを試みた者もいたが、すぐにそのブレイマーによって殺される、ということがしばしば あった。そういったことが幾度と無く繰り返される中、ひとつの結論としてあれは人類の敵であるという最も簡潔なものを持ち出して、 ブレイマーの研究ブームは去っていった。
「そいつは宛になんねぇな。学者なんてのはどいつもこいつも頭のかてぇ奴ばっかりだ、ルビィは疎かブレイマーだってナメクジの シフトした奴だとか言うんじゃねえか?」
かなりの偏見だが、基本的にフレイムの平均IQは低辺レベルであり、知的な存在というのは単なるやっかみの対象となる。エースの くだらない決めつけに皆真剣に頷いているあたり、それが実証されたようなものだ。
「……よりブレイマーのことを理解している人物じゃよ。あくまで噂じゃがな、サンセットアイランドにブレイマーの子どもを生んだ女 がいるらしい。何か知っている可能性がなくもないじゃろ」
驚愕が一気に全員を襲う。目を丸くする者、口をしまりなく開ける者、皆に共通しているのは一瞬にして微動だにしなくなった点である。
「人間の女がブレイマーを生んだってことか……?そんなことあり得んの?」
「突然変異ってやつかぁ?」
それはいくら何でも突然に変異しすぎである。ブレイマーの遺伝子(そもそもそんなものがあるかも分からない)がどんな配列かは 定かではないが、人間のそれが一、二本ずれたところでブレイマーになるとはとても思えないし突拍子過ぎる。
「何にしろそれが事実ならブレイマーについては詳しく分かるんじゃねえか?行く価値はあると思うぞ、サンセットアイランド」
「賛成。ルビィに繋がる可能性もあるんでしょ?」
エースが不意に意外そうな顔を向ける。無論後押ししてきたラヴェンダーに対してだ、ルビィやフレイムに対して全く関心を示さな かった彼女がこの寄り道に意欲を見せるのは、エースにとって意外なことだったのである。
「(まあ……ローズがあれじゃあな)」
同じ理由でレキの方を見る。こちらは聞いていたのかいなかったのか、ぼんやりと椅子を二本足にしてテーブル中央を眺めていた。
  周りがどれだけ意見を一致させようが、ヘッドの一言がない限りそれが決定事項にはならない。エース以外もレキに視線を集中させる が、一向に口を開く気配がなかった。
「おいレキ、どうすんだ?行くのか、行かねえのか」
エースの催促に今目が覚めましたと言わんばかりに体を反応させて椅子を元に戻す。
「ああ、まあ……行ってみるか。今のところそれしか情報ねえしな」
「気乗りしねぇならやめるか?無駄足になることだって考えられる」
素っ気なく聞こえたのだろうか、ただ考え事をしながら応答したため間が空いたに過ぎないのだが、皆の視線が残念そうに俯くのを見て レキが慌ててかぶりを振った。