ACT.9 ヒガシズム、ソノサキ


「いや、行こう。悪いな、ちょっと考え事」
「だったら連絡船の渡し手に伝えておこう。明日の朝には出発できるじゃろ、疲れも残っとるだろうから今日一日くらい里でゆっくり するといい」
ナガヒゲが自分一人で飲んでいたお茶のカップを持って席を立つ。それを見てラヴェンダーがいち早く診療所を出てエースがそれに続いた。 ジェイもラヴェンダーを追うように、もしくはブレイマーから逃げるようにそそくさと御簾をくぐった。
「……お前どうする?ここにいんの?」
出遅れたレキが、ブレイマーの横に座りっぱなしのハルに視線を移す。流石に小柄なハルと並ぶと、この小さめのブレイマーも大きく 見える。あまりにぼうっとして微動だにしないためか、それがそこに座っていたことを今更になって思い出した。
「あー、ナガヒゲにちょっと話をさ。……」
ハルのよそよそしい気遣い、彼の言う“ちょっと”はレキが先刻の事情説明の際に意図的に省いた部分のことだ。どうしようもない 苦笑がレキにそれを教えていた。全員の前で蒸し返したくない話、そしてレキ自身が思い出したくない話、ゼットの裏切りを筆頭に ローズのことなど、“ちょっと”に該当する部分は少なくはない。
「……外ぶらいついてる。何かあったら呼べよ」
「ああ、分かった」
相変わらずヘッドの尻拭い的役割のハル、意識的にはヘッドのと言うよりはレキの、という感じだった。
  ハルを残してレキはさっさと外へ出る。
  昼の一番暑苦しい時間を過ぎて、外は少しひんやりとした空気に包まれている。空は慢性的な分厚い雲に塞がれ、目の前の宙には その分身のような濃い霧が漂っていた。雨は降っていない、がそれに相当する湿気を感じた。不快である。レキはしかめ面をさらして 小走りに里をめぐった。
  久しぶりに皆に個人の時間が訪れた。否応なしにグループ行動を強いられ、必然的に協力する時間が多かったここ最近、プライベート のプの字も出てこない状況であったから、各々が本来の意味で休息を摂ることができた。
  ラヴェンダーは人目を避けるように脇道に足を進めた。雨上がりのぬかるんだ土が向きだしの小道だ、両脇は里へ来るときに通った 井戸の周りと同じような雑草が幅を利かせている。耳元を水の流れる音がかすめた。進むに連れて気温が低くなったらしく、冷たい風 がラヴェンダーに身震いをさせた。
「へぇ……こんなに綺麗な川、残ってるんだ」
腕を抱える形で、ラヴェンダーは自分が立っている土手から、下手に見える小川を眺めた。サラサラという静かな音で以て ラヴェンダーを包み、いやしてくれる。側に架かってある石橋にゆっくり足を進めて、その中央でしゃがみこんだ。真下に流れる水を 無意味に見つめ続ける。ゆらゆら揺れる自分の顔、浮かない表情でこっちを見返してくる。
  その水面に、この場にそぐわないものが割り込んできた。ラヴェンダーの顔の上、満面の笑みを浮かべたジェイがトーテムポールの ように出現。その瞬間にラヴェンダーの表情が更にげんなりなった。
「……何か用?」
「用って言うか……姿見えたから何してんのかなーと思って。……何してんの?」
眉やら口元やら頬やら、とにかく神経が通っていて、とにかく引きつらせられる箇所を全て歪めてラヴェンダーが振り返る。その先には 冷や汗を流す万年能天気男が突っ立っていた。暫く威嚇した後、腹の底から大きく嘆息する。
「なんか……気に障ること、言った?」
「気に障ることぉ!?何度も、何度も、何っ度も!同じ事言わせんじゃないよっ!あんたの存在そのものが私の勘に障んのよ!! 分かったらとっとと消えな!!」
ここまで言われ倒されると言い返す言葉もない。ジェイががっくりと肩を落とし踵を返した矢先、再び溜息が響く。今度は心を吐き出す ような、消え入りそうな小さな溜息。
「何なのよ、もう……」
ジェイは足を止めて肩越しに振り向いた。しゃがみこんだままのラヴェンダーが額を押さえて肩を落としている。ジェイ以上にだ、 去るタイミングを逃してジェイもその場に立ちつくした。
「ローズもさ……エイジが死んでどうしていいか分かんねえんだよ、たぶん。ずっとシバんとこつくってことないって」
高速でラヴェンダーが振り返る。かなり眉間に皺を寄せて疑問符を浮かべていた。
「何でまだ居るの!?帰ったんじゃなかったの……?」
青筋まで浮かべてジェイを睨む始末。青ざめてジェイはただひたすらに愛想笑いを浮かべるしかなかった。
  ラヴェンダーが咳払いして勢いよく立ち上がった。未だ冷めた目でジェイを睨み続けている。
「ローズの話はしないで。……フレイム側にすればラッキーだったんじゃないの?レキがどう思ってるかは知らないけど。敵対チームが 一個自滅したんだから」
「そういう言い方するなよ……」
ジェイが微かに眉根を顰める。ラヴェンダーは水面に映し出される歪んだ顔を見て、自嘲した。
「あんただって見たでしょ?ローズはケイ(あの子)を撃った。私たちの目の前でシバにキスまでしたし……私なんか眼中にも 無かったじゃない。ブラッディ・ローズは終わりよ、解散っ。良かったわね、潰す手間が省け-」
「そういう言い方するなって!」
ラヴェンダーの言葉を遮ってジェイが声を張る。思わず彼女も口をつぐんだ。ジェイ自身も無意識だったのか跋の悪そうな顔で目を 伏せた。
「……ラヴェンダーがそれを言っちゃったら、本当に終わっちゃうんじゃないの?ローズが何考えてんのかなんて俺にも分かんねえけど、 でもあんなの俺の知ってるローズじゃねえよ。……ラヴェンダーが連れ戻さなきゃ、帰って来られないんじゃねえの?」
上目に彼女を見ると、叱られた子どものように涙目でふてくされているのが分かる、ジェイから視線を逸らして歯を食いしばっていた。
強がりもここまでくると表彰ものだ、ジェイが小さく笑いをこぼした。両手を広げて再び満面の笑みを作る。
「……何?」
訝しげな顔つきでラヴェンダーが問う。
「俺の胸で好きなだけ泣けばいい……大丈夫、誰も見てないよ」
ラヴェンダーの動きが瞬間、口を半分開けたまま止まる。どうやら驚きのあまり声も出せないようだ。それでも数秒後、
「はあ!?」
などと、何とも素っ頓狂な声を上げた。嫌味たっぷりに肩を竦めてあっけなくジェイの横を素通りしていく。
「あの……ラヴィー……」
「馬鹿じゃないの?あんまりふざけたことしてると、その減らず口にランチャーぶち込むわよ?……それともそのムカつく呼び方やめて……! サブイボが立つっ」
せめて鳥肌と言って欲しかった、両腕おっぴろげ状態でジェイは他人のように存在を流された。今度は彼が半泣きで後を追う。トボトボ、 その擬態語が本当によく似合う有様だ。深々と嘆息した後、前方ラヴェンダーの背中に目を向ける。肩を怒らせて何やら独り言を ぶつくさ呟いているようだ、その姿を見てジェイは少しだけ微笑むことができた。
  小川のせせらぎが、変わらず静かに、辺りを包んでいた。

  その頃、(ジェイが小川でラヴェンダーにこっぴどくふられていた頃)レキはただ足の向くままに里内をぶらついていた。霧の中でも 不気味に揺れる大松明、これは昨夜存分に見たからこれといって目新しい発見はない。素通りした。宿と似たような造りの三角屋根の 木小屋がいくつか並んでいるのが見える。一際大きいのが里長の家らしい、と言っても一度も姿は見ていない。長どころか、シオと ナガヒゲ以外の住人を見かけてもいない。
「(……辛気くせぇ村)」
シオには悪いが正直そう思った。お世辞にも活気溢れる明るい漁村、ではない。隠れ里の真の意味をレキはようやく理解し始めていた。