SAVE: 10 さば、敏腕課長


 客に不快を与えないように配慮された地味な制服、男も女もそれを着こなして防弾ガラスの張り巡らされたカウンターで大金を数え、捺印を求め、投資信託の相談を受けている。銀行と言えば昔からこの風景が当たり前だった。そう思い込んで疑いもしなかった。しかし改めて眺めてみると妙な感慨を抱く。
 犯罪防止のための防弾ガラスはあまりに分厚く、行員の手元部分のみ必要に応じて開閉できる仕組みになっている。拘置所の面会室のようだ。もっとも、金熊は自他共に認める真っ当な人間だったから拘置所も留置所も実際はどうなっているのかを知らない。テレビドラマで得た何となくのイメージである。金熊が若い頃はこの防壁はプラスチックボードで、やりとりのための小窓も常時開いていた記憶がある。付け加えれば行員は皆一様に無表情か、不機嫌な顔つきだった。
「金熊様ー。大変お待たせいたしましたっ。書類が整いましたのでご案内いたします」
「あぁ、どうも」
 金熊は思わず頬を緩めた。と言っても笑いなれていないせいか幾分引きつった笑みになった。地味な制服を着こなした女性行員は一流ホテル顔負けの接客スマイルを向けてくる。これも時代がそうさせるのだろう。今や笑顔を作らずに許される仕事はごく僅かだ。批難するつもりはない。これが世界のシステムで、自分もその一部であることを金熊はもう随分前から自覚している。
 小さな掛け声と共に椅子から腰を浮かせた。刹那、どこまでもけたたましいような、それでいてどこか懐かしいようなベルの音が銀行内に轟いた。


 オペレーション課の出動要請ベルから15分、交差点を挟んで現場の向かいにあるコンビニエンスストア、そこへシンは車をねじこんだ。「同和銀行本社に銀行強盗、ブレイクの可能性あり」云々の補足に従って、彼らは巡回を中断しこうして現場に駆け付けたわけだ。
 先に到着していた荒木と城戸が小さく手を挙げる。彼らもまた、現場の間近ではなくこのコンビニエンスストアで待機を余儀なくされているようだった。
 城戸が駆け寄ってくるのを目にして、シンは運転席のパワーウィンドウを下ろした。
「すいません、遅くなりました。状況は?」
「見ての通りというか、聞いての通りだな」
城戸の冗談めかした言い草に疑問符を浮かべてシンは窓から半身を乗り出した。ナビシートの小雪もパワーウィンドウを下げる。タイミングを計ったように、現場である対岸から謎の雄叫びが発せられた。「うおぉぉぉ!」だとか「ぐわあぁぁぁぁ!」だとかの気合い満タン系で、それらは同一人物のものであると判断せざるを得なかった。交差点を挟んだ屋外まで聞こえるのは、雄叫びの発生源が行内アナウンスの音量と自らの声量をマックスに引き上げているからだ。
「なんとも獣チックですね」
「俺は何か得体のしれないものに変身とかしちゃってそうで怖いけどな」
城戸の苦笑を見届けてシンと小雪はすごすごと車を降りた。野次馬の最前列に突っ立っている荒木に向かって会釈、身分を名乗りながら人混みを掻き分ける。その間もゲリラライブさながらの音量で雄叫びはこだましていた。
「お疲れ様です」
「おう。結局全員出て来ちまったな」
 荒木が率先して現場に出てきたのは机仕事にうんざりしていたからだ。結局いつも通り、セイバーズ藤和支社の保安課はみちるを残してもぬけの殻状態というわけである。
『ふぎゃあーーーーー!』
談笑を切り裂くように何かの産声、もとい強盗犯の絶叫が響く。
「それにしても凄い(面倒くさい)ですね。確定ですか?」
『ぐわあああああああああ!』
 シンの質問は無論「ブレイクスプラウトで」という意味だ。周囲を見渡しても警察官の姿はなく、ここに来るまでの間にそれらしき車両を見掛けることもなかった。対象が叫び終わるのを待って荒木が頷いた。
「通報してきた行員の話だと、男は上半身裸でナンバーもはっきり確認できたそうだ。今、そいつの照合結果を待ってる」
『あああああぁああぁあぁぁぁぁぁぁ!』
「上半身裸……何でそういうときに限って男なんだろう」
『ひぃぃ! ひぃい! わあああっひいい!』
「シン……、お前まで浦島みたいなこと言うなよ。問題はそこじゃ──」
『ひぎいぃぃぃ! ぎいいやああああ!』
「うるっせえな! バラエティに富んでんじゃねえよ、腹が立つ!」
荒木が唾を撒き散らしながら苛立ちを顕わにする。彼が言うように先刻から強盗犯の雄叫びの種類は多彩で、それがこちらの苛立ちに拍車をかけると同時に場の緊張感を奪っていた。
 現場であるこの藤和銀行本店は、藤和市の中心地、とりわけ交通量の多い本通り交差点の一画に構えている。それだから元から駐車場は隣接しておらず、車でやってきた者は皆みそっかすほどの罪悪感を覚えながら向かいのコンビニ「ブラザーマート」に駐車する。シンたちがそうしたように、である。
 普段はこういった無断駐車に迷惑を被っているコンビニ側も今に限っては状況が異なるようだった。暇を持て余した野次馬たちが、ひっきりなしにコンビニに出入りしては軽食や飲料を購入してくれる。それを逆手にとって、つい今しがた店舗の外にチキンの臨時販売所を設けたところだ。何故かその列に城戸と小雪が混ざっている。
「コーヒー4つ。あと“兄ちゃんチキン”3つと……白姫どうする」
「あ、私“妹チキン”で。城戸さんこっちの方がおすすめですよ、チーズ入ってます」
「じゃあ、兄ちゃん2つと妹2つ。会計一緒で」
「ありがとうございまーす! 兄二つ、妹二つ入りまーす!」
 荒木とシンはその光景を半眼無言で見つめていた。そうとは知らず、城戸と小雪はコーヒーとチキンを抱えて満足そうにこちらに合流してきた。てきぱきとそれらを配分する。スタンダードな“兄ちゃんチキン”を手渡された荒木の額に、またぽつぽつと青筋が浮かび始めた。
「あれ……荒木さん、ひょっとして妹の方が好みでしたか」
「いちいち誤解を呼ぶ言い方をするなっ。だいたいお前らなぁ……! 野球観戦に来てるわけじゃないだろ! 真面目にやれ、真面目に!」
勢い任せに“兄ちゃん”を食いちぎる荒木。それを見て城戸は和やかに笑っている。小雪は“妹チキン”の中に入っているとろけるチーズの伸び具合にご満悦のようだ。
「でも、なんていうか、長丁場になりそうですし」
「チーズ伸ばしながらしゃべるなよ。……なんで白姫のにはチーズが入ってんだ」
「だからそっちは新発売の妹の方で」
 なんだかんだと言いながら、四人は突っ立ったままコーヒーとチキンを貪った。その間も、飽きもせず奇声は発せられ続けている。相変わらずバラエティに富んだラインナップで一度として同じ吠え方をしない。このブレイクスプラウトは、捉え方いかんによっては非常にストイックなタイプであると言えた。
 しかし四人がチキンを完食しようかという頃、状況は一変した。もはやBGMと化していたブレイクスプラウトの絶叫がぴたりと止んだのである。当然セイバーズの面々は顔を見合わせる。各々肩を竦めたり小首を傾げたりした矢先、こもった銃声が場を駆け抜けて行った。こもっていたのは行内放送のスピーカーを通しているからに他ならない。対照的に、ガラスの割れる音はやけにクリアだ。コーヒーに口をつけたままだった荒木が豪快に噎せた。


 当然のことながら、行内は交差点で待機する野次馬(セイバーズ含む)以上に騒然としていた。強盗犯が所持している銃を何とか奪おうと行動を起こした女性社員、彼女に向かって銃口は火を噴いた。一定のクオリティを保ち続けていた強盗犯の奇声が止み、代わりに行員たちの悲鳴が方々で上がる。しかし床に倒れ込んだ女性社員の上には、どこから飛び出してきたのか中年のおじさんが覆いかぶさっていた。威勢の良かった悲鳴たちも、状況が飲み込めず尻切れトンボに小さくなっていった。

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