SAVE: 10 さば、敏腕課長


 金熊は腰をさすりながらもすぐに身を起こした。早いところ女性から離れないと今度は別の理由でこちらが非難される。駅で女子高生から痴漢呼ばわりされた部下のことを思い出して、金熊は青くなった。人助けさえしにくい世の中である。
「あいたたた……。ええと、君、大丈夫かね」
驚いた様子で首を縦に振る女性行員。どこの社にもだいたい一人はいる勇敢な社員、それが彼女だったのだろう。昨今は何故かそれが軒並み女性のような気がする。やはり部下のことを思い出しながら金熊は安堵の溜息をついた。
「お、お客様。血が……申し訳ありません……っ」
 撃たれてはいない。床に豪快に滑り込んだせいで顔に擦り傷ができたらしかった。
「いやいや、これは自分の不注意だ。こういうときは謝らずに礼の言葉をくれると嬉しいね」
などと言いながらも金熊はすぐに態勢を整え始めた。ここでメロドラマを展開している暇は無い。事態は何一つ好転していないのだ。その証拠に、ブレイクスプラウトは性懲りもなく奇声を上げ始めた。先刻と違うのはそれが絶叫根性系ではなくなったことだ。開いている口から、混乱や恐怖や敵対心が締まりなく漏れている風である。
 男は上半身裸で、肋骨の浮いた腹部と4桁の数字が印された胸部を惜しげもなく披露していた。誰がどうみても立派なブレイクスプラウトだ。
(通報から30分は経つはずだが……何をやってんだ、うちの連中は)
よっこいせ、と小さく呟いて立ち上がる。それがブレイクスプラウトを刺激してしまったらしい、「うわぁ」だとか「ひぃぃ」だとかを呟きながら銃口を金熊に向けた。
「うごくなぁ、こっち、くるなぁ……!」
「お? 何だ、きちっと喋れるじゃないか。それじゃあ君、とりあえず座らんか? 疲れるだろうずっとそうしてるのも」
「ひ、ひいいい! よるなって言ってるだろぉ!」
「天晴れなびびりっぷりだな。心配するな、さっき調子にのって腰を痛めたところだ。近よりゃしないからとりあえず座りなさい」
 カウンターの上で仁王立ちになって銃を構える男に、金熊は動じず臆せず座るように促す。男が座ろうとしないので、立ち上がったばかりにも関わらず金熊の方から座ってみせた。その際もやはり小さく「よっこいせ」が飛び出した。当人は無意識だ。
「君、いくつだ? 二十代……のどのへんだろうな。最近の連中はガリガリだったり巨漢だったり極端でよくわからんな。家族とかいるのか? どうだ、そこらへん思い出せそうにないかな」
「うる、うるう、うるせぇぇ! わかんないんだよ! 何イッテンノカ全然!」
「んー……そうか、そいつは困ったな。まぁ、でも退屈だろう。迎えが来るまでゆっくり世間話といこうじゃないか」
 その「迎え」の行動開始があまりにも遅いから、金熊としては内心業を煮やしているところだ。カンパニーから藤和銀行まで車で十分とかからないのだから到着していないはずはない。だとしたら何をまごついているのだろう、外にも銃声は聞こえたはずだ。
「『プリズム狩り』って聞いたことあるか? 俺がわかーい頃、お前さんが子どものころだな。流行ってた犯罪だ。プリズムスプラウトのアイを狙って連続殺人なのか、模倣犯なのか、未だ解明してない。とにかくそういうのが多発した。……俺はそこで一人の遺族に出会った。そいつもスプラウトでな。恥ずかしい話、当時の俺はスプラウトってのはスタンダードに養子縁組を組まれる以外で家族なんていないと思ってたんだ。ちょっと考えりゃそんなことないって分かるんだけどな」
 男は仁王立ちで銃を構えたままで、金熊を凝視していた。もしかしたら今の態勢からなら狙い通りのところに貫通させられるかもしれない、そう思って胸中で冷や汗をかいていたのは実は金熊の方で、スプラウトはそこまで意識が及んでいないようだった。銅像のように凝り固まっている。
「犯人は結局捕まらなかった。でも俺はどうしてもその事件から手をひけずにいた。俺たちの仕事は犯人逮捕ではなく、スプラウトのセイブだ。セイブ対象がいるのに見て見ぬふりをするなんて馬鹿げてる。……と、若いころの俺は思ったわけだ。もっと他にやり方があったようにも思えるが、俺はその、家族を失ってしまったスプラウトの新しい家族になってやりたいと思った。嫁さんにもよくよく相談して、当人にその話を伝えた」
 上半身裸のスプラウトは、いつの間にやら銃を下げ金熊を見下ろすような姿勢で黙って話を聴いていた。そして行員のほとんどが同じように固唾をのんで金熊を注視していた。それに気づいて咳払い。
「えー、その、めでたく家族にという結末じゃないんだ。そのガキ、あっさり断りやがってな。そういうのは重いからいいとか言いやがる。その時初めて、俺はセイバーズやめようかなって思ったな……。まぁでも、そこで縁っていうのができた。腐れ縁ってやつだけどな」

──いや、家族とかそういうのはちょっと……重いんで。その代わり──

 あの日の小憎らしい少年の、どんびきした顔が蘇る。いつ思い出しても腹立たしいことこの上ないシーンだ。そして忘れられないシーンでもあった。

──その代わり、また相談に乗ってもらえますか。俺、やっぱりセイバーズに入りたい。あなたみたいなセイバーズに、俺もなりたいと思うから──

 忘れられないシーン、忘れられない言葉、忘れられない決意の“アイ”の眼差し。あの日、あの少年にスプラウトセイバーズはどのように映っていたのだろう。スーパーヒーローには見えなかったかもしれない、しかし少なくとも家族を殺した犯人一人上げられない無能な組織という評価でもなかった。そう思っていたのは金熊自身だった。自分の無能さと不甲斐なさを誤魔化すために、少年を『セイブ』した気になりたかったのかもしれない。
「おい」
「おっとすまんっ。ちょっと感傷に浸ってしまった。どうも最近そういうのが多くなってきたような気がするなぁ……。まぁ、結局俺が言いたいのはだな、君も家族を持つといいぞってことだ。そうすれば例え『こう』なっても恐怖が半減するだろう? こうなる前に止めてくれるかもしれない。次の人生の参考にしてくれないか。……君には次があるからね」
金熊は肩眉を上げて苦笑した。ブレイクスプラウトに今の話がどこまで理解できたかは分からない。理解していないにせよ、大人しく聞いてくれていたという点では大成功だった。
 金熊は応援が来るのを待っている。できるだけ迅速に、彼を刺激しない方法をとってくれるといい。彼らならやってくれると信じて、金熊はまたいくつかのくだらないエピソードを話し始めた。


 一方その頃、藤和銀行本店を望むコンビニエンスストア「ブラザーマート」の前で、彼らはもめていた。議題は「突入するか否か」という単純で血生臭いものだ。期待されたらされただけ、こてんぱんに裏切るのが彼らの特徴である。何せ現場リーダーである荒木が、ここ二三日の仕事量に参って憔悴しきっているのだ。致し方ないだろう。
「僕は突入した方が早いと思うけどな。入って、さっと投げて、えいって寝技決めて一件落着、みたいな」
シンは既に状況に飽きてきている。物珍しかった奇声のBGMも止んだ今、とっとと解決とっとと解散が彼の望むところだ。
「銀行員もお客さんもそのまま中にいるんだよ? 血迷ってまた発砲されたら大惨事じゃない」
小雪はもっともらしいことを言っているが、口の端についたチキンのころもカスのせいで何ともお粗末な空気を漂わせてしまっている。
「大惨事って……、いやもう発砲してるわけだし、情報がないだけで既に大惨事かもしれないよ。どうする、負傷者がいたら」
城戸はあくまで落ち着き払って最悪のケースを述べてくれる。短絡思考の彼ららしく、ここで一気に全員が青ざめた。荒木が拡声器を持って颯爽と立ち上がった。

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