SAVE: 11 浦島介に関する例の事件

─Part.2─




 ジリリリリリリ! ──古い電話のベルに良く似た、しかし格段に緊張感のある音が社内に鳴り響く。今日はこれで四度目だ。流石にうんざりした態度を隠せずに皆項垂れた。それでも容赦なく、アナウンスは垂れ流される。
『外部より入電。管内南区ジャズバー“ニンフ”にてスプラウトが男性客に暴行。ブレイク要素は不明です。保安課職員は直ちに現場に急行してください』
二度目の同じ内容のアナウンスの最中、城戸が無言のまま上着を着直す。それを物欲しげに見つめる京、その視線に気づいて城戸が極上の苦笑いをこぼす。
「課長、どうですかね」
「うん? あぁ……暴行、南区ね。浦島、城戸と行って来い。邪魔はするなよ」
 死んだ、それだけでなく腐りきった魚のようだった京のアイに光が宿る。明らかに作成途中の報告書をうきうきと途中保存して席を立った。
「荒木さん、構いませんよね?」
「寧ろ願ったりだ。昼間っからバー行って、挙句スプラウトに殴られてる男なんかどうせろくでもないぞ。セイブよりそっちがストレスだ」
「だそうだ、浦島。行くぞ。ろくでもないのはお前に任せる」 
「お任せください。不肖浦島、ろくでもなさなら負ける気がしません」
競ってほしいのはそこではないが、明らかに面倒そうな方を引き受けてくれるというのだから荒木の言うとおり願ったりかなったりである。
 いつもは運転席側に回る城戸だが今回は助手席に座る。荒木との業務に不満はないが、たまにはこういうのも良いかもしれないななどと、のんびりした気分を味わっていた。目的のバーまでは車で十分かからない。京の自作の鼻唄と心地よいエンジン音をBGMに、二人は束の間の逆転バディを楽しむことにした。
「ジャズバーって、こんな昼間から営業してるのか」
「“ニンフ”は確か、昼は音楽喫茶みたいなかんじですよ。経営者は同じだったと思います」
「何だ、行ったことあるのか」
「いや、昔聞きこみでちょっと立ち寄ったことがあって。……あ、あれですね」
 雰囲気のある花屋の横に、花屋とは別のダークブラウンの置き看板がある。それを確認すると反対方向の路地に入って、手頃なコインパーキングに駐車した。看板のところまで戻ると、なるほど下方向に階段が伸びていて下りた先に板チョコレートのようなそれらしき扉が構えていた。
 階段の途中で「ガッシャーン」というガラスの割れる派手な音が轟いた。京と城戸、二人して顔を見合わせる。
「本当に面倒そうだな……」
「開けた瞬間テーブルが飛んでくるとか、そういうのは勘弁してほしいですね」
「そういう冗談は本当になりがちだから嫌なんだよ」
京は軽快に笑ったが、城戸としては冗談のつもりはない。扉は重厚なつくりのようだが、それでも中で大暴れしているらしい音が漏れてくる。引くタイプの肩開き扉だ、それぞれ壁に身体を付けて、合図と同時に京が一気に扉を引いた。
 テーブルは飛んでこなかった。しかし、別のもっと小さな何かが二人の間を風のように通り抜け「パリーン!」という清々しい粉砕音を耳に残してくれた。振り向くと、年代物のワインボトルが見る影もなく粉々に割れている。叩きつけられたであろう壁は殺人現場のように血しぶき、否ワインしぶきが飛び散っている。城戸と京の革靴にもそのとばっちりが付着していた。
「だからっ! そのおっさんが尻撫でてきたんだって言ってるだろぉ!? なにさ! あたしの言ってることは全部嘘だとでも言いたいわけ?」
 次に飛び出してきたのはガラス瓶ではなく罵詈雑言だ。耳につく甲高い声の女が、また二人の間を通り抜けて壁にぶつかった。
「す、すいませーん……」
「誰だよ! 昼営業はオーダーストップの時間だろ!?」
「スプラウトセイバーズで~す……」
 店内に顔だけを覗かせて、公共料金の集金人さながらに愛想笑いを浮かべた。先刻の甲高い声の主は、おそらく今、中年男性の襟首を鷲掴みにしている女だと思われる。それだけで恐怖だ。その横でオーナーかただのウェイターか、鼻下と顎に髭を蓄えた城戸と同世代くらいの男性がうろたえている。
「あ、お待ちしてました。すみませんお呼び立てしてしまって」
「はあ? 何だよ、セイバーズ? ざっけんなよ! てめぇ、あたしのことブレイクだとか思ってんのかよ!」
「ち、違う違う。とりあえずイズミちゃん落ち着いてよっ。お客さんの言い分もちゃんと聞いてあげてさ……」
 そのお客さんとやらはそろそろ泡を吹いて倒れそうな気配なのだが。
 襟ぐりと背中の大きくあいた黒いラメ入りカクテルドレス、セイブ対象(?)の女性スプラウトが身につけているそれは、彼女のしなやかな肢体を際立たせていた。すらりと伸びた細い腕──からは想像もつかない腕力だ、掴まれている中年男性が昇天する前に解放してやらねばならない。
 集金人から今度はコンビ芸人へ、二人は手刀を切りながら薄暗い店内へそそくさと入った。
「えーと、お電話くださったのはオーナーさん? ですかね」
「あ、そうです。僕です。すみません、ご迷惑をおかけしてしまって」
「で、こちらがその、現在暴行に及んでしまっている女性スプラウトさん」
 片手だけで大の男の胸座を完全に締め上げている、現行犯だ。と、女性スプラウトは額に大きな青筋を浮かべてゴミのように中年男性を放り投げた。怒りの矛先は、先刻から癪にさわるセイバーズ、とりわけ三枚目の方へ向けられる。
「暴行に及んでるだあ? 決めつけんな! こっちが先にあたしの尻を触ってきたんだよ! そっちの方がよっぽど暴行だろうが、え? 違うっての?」
「あーなるほど。セクハラ。そいつは確かにいかん」
「だろ? あたし悪くないだろ。分かったらさっさとこいつ連れてどっか行ってよ。気分悪いんだよね、こんなのにあたしの歌聴かせるの」
「そうだねー、でも実際こうやって締め上げちゃってるから無罪放免ってわけにもねぇ。尻タッチ現場を俺たちは見てないわけだし。どうしたもんかなー……」
 城戸は数歩うしろで京のセイブ現場を観察していた。京は顎に手をあてて唸りながら、女性スプラウトのアイをまじまじと見つめている。一応これに意味があることは城戸も知っているところだ。十秒ほどして、京はひとつの結論を導き出した。
「イズミちゃんだっけ? 君の尻があまりにも魅力的過ぎたってことでひとつ丸く収めるってのはどうかな。尻だけに。丸く」
「はあ? 何言ってんのあんた。大丈夫? ……なんかお宅の相棒さんも爆笑しちゃってるけど」
 京が振り向くと、城戸が声を殺して笑っていた。京は至って真面目に仕事をこなしている。それを顔を背けて大爆笑とはあんまりではなかろうか。
「城戸さん、仕事しましょうよ」
「いや、だってお前……っ。いつもこんなかんじでセイブしてんのか? めちゃくちゃだなっ」
いつものごとくひとしきり声を押さえて笑うと、大きく一息つく。目じりに溜まった涙をぬぐって、ぐったりしている中年男性を優しく支え起こした。そして優しい声のままで諭す。
「昼間から酒飲んでセクハラとはいい御身分ですね。呼ばれたのが警察だったらあなたが加害者でしたよ、オーナーに感謝すべきだ」
つい今しがたの無防備な笑いはどこへ行ったのか、計算された笑顔を向ける。いつ見ても城戸のセイブは容赦ないというかえげつない。

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