SAVE: 11 浦島介に関する例の事件

─Part.2─


「それで、何。デビューとかするの、ひょっとして」
「そうなっちゃうかもよ~? 貧乏歌姫レイナちゃんから世界の歌姫シンドウレイナへっ。……大丈夫! 京も一緒に暮らせるでっかいマンションとかに引っ越そうね!」
怜奈はいつだって至って真剣に夢を語る。黙っていれば絶世の美女なのに、口を開くとどうにも残念感が勝ってしまうのが玉に傷だ。しかし京を支えているのは、その玉の傷を一人占めできている実感であった。
 怜奈がいつもの歌を口ずさみはじめる。外で豆腐屋がパープー鳴らしているラッパに無理やり合わせて古いジャズソングを歌う。それも京が独占できる光景だった。「もっと明るい曲ないの? 合ってないよ」と茶化すと、怜奈は同じ歌を無理やり明るく歌い始める。それがたまらなく愛おしかった。
 怜奈が店のステージに立ったとき、彼女は文字通り「みんなの歌姫」になる。胸元の大きく空いたダークレッドのドレスに、同じ色のハイヒール、以前客からプレゼントされた大きなルビーのペンダントを身につけ、歌声で観客を魅了する。彼女が身に纏う赤色は自信と美貌の象徴のようだった。小さなバーが怜奈の支配する世界に変わる。スプラウトもスタンダードも、男も女も関係なく、怜奈にはファンが多くついていた。
「京は大人になったら何になりたい? 決まったら早めに教えてね。ガンガン協力するからっ」
 そう言えばよく、そんなことを言ってはガッツポーズを作っていた。
「ねえ、京は学校に好きな子とかいないの? できたらすぐ報告してよ? ……あ~……やっぱりやだな~、それ! 寂しすぎるな~。いやいやでも大人になるには必要なプロセスだもんね、大丈夫。ねえちゃん、耐える!」
 自分の方が賞味期限が近いだとかぼやきながら、いつも京の周囲の環境に気を配っていた。母親にも姉にも、時には父や兄にもなろうとした。
「クリスマスは家族で過ごすものよね! も~今日はお店の中カップルだらけでやんなっちゃった~! 早くケーキ食べよっ。京、お茶淹れて~」
 クリスマスは店でディナーショーをした後、必ず家で二人で過ごしてくれた。ケーキに緑茶という妙な取り合わせが怜奈はお気に入りだった。今思えば、クリスマスには恋人の役もやってくれていたのかもしれない。その日かかってくる電話を、怜奈がとることは一度もなかった。


 クリスマス──12月にも入っていないのに、街は早くもイルミネーションに彩られている。バスの車窓に映るきらびやかな景色から京は目を背けた。一年で一番嫌いな一ヶ月がもう目の前まで来ていることを知らしめる、吐き気のする光景だ。「家族で過ごす」その日を、京はあれからもう14回一人きりで過ごしている。その日だけはどうしても笑うことができなかった。あの日サンタクロースがくれたのは、血の匂いと孤独、光の無い真っ暗な現実、絶望と言う名の新しい世界だった。
 15年前の12月24日、怜奈はその夜、店の裏の路地で腹部と胸部にそれぞれ三発ずつの銃弾を受け、アイをえぐり取られて殺された。深夜になっても帰らない、連絡もない怜奈の身を案じて京はその夜、店の勝手口に直接向かった。そこで見知った男と鉢合わせになった。怜奈がスカウトマンだとか言っていた、短髪長身の若い男だ。黒いモッズコートのジッパーを最上部まで上げて顔を半分隠していたような覚えがある。その手に、水気のあるものでも直接入れているのかやけに重みのありそうなレジ袋が握られていた。
 あの中に怜奈のアイが、ゴミのような感覚で入れられていたのかと思うと今でも胃液が、憎悪と共にこみ上げてくる。
「……怜奈……?」
ワインレッドのドレスよりも一層赤い血が、狭い路地裏のアスファルトの色を変えていた。それ以上の言葉が何も出てこない。喉の奥に蓋をされたかのように、息も言葉も全てが詰まっていた。
 京はそのときの、若い男と自分の一挙一動を録画のように鮮明に記憶している。気付けば自分は喉がちぎれんばかりに何かを叫んでいた。言葉ではなかったと思う。耳に残っているのは獣じみた雄叫びだった。その場に立てかけてあった雪かき用の大きなシャベルで、男に襲いかかった。殺すつもりで体当たりした。かすり傷ひとつつかなかったが、意表を突かれた男は持っていた銃をとりこぼした。京はそれを無我夢中で手繰り寄せると、撃ち方も知らないのに狙いを定めて引き金を引いた。一発、二発、三発目で男の額に命中した。貫通したのだ、歓喜に震えた。
 しかし男は立っていた。彼の頭部には脳と呼ばれる命につながる器官がなかった。スプラウトにとって、頭部は急所とはほど遠い場所だ。男がスプラウトで、その眼が怜奈と同じように虹色に輝いていたことに京はようやく気が付いた。
 殺せなかった。ただその事実だけが残った。殺意が失せて恐怖が湧きあがって来た。殺されるとか殺せなかったとか、そういうことに対してではない。視線の先の怜奈が、恐怖そのものだった。この薄汚れた路地にキスをするようにうつぶせになった彼女は、もう自分に笑いかけてくれることはない。母でも姉でも、歌姫でもない。ただの死体だ。
「う、うわああああああああ!! わああああああ!!」
 事実を認識したのとは対照的に視界がぼやけた。アイが霞む。いや、濁っていく感覚が体中を支配する。ぐらぐら揺れる白みがかった世界で、長身の男が最後に見せた表情は憐みの笑みだった。伸ばされた手のひらが自分の頭に乗せられ撫でまわされた。持っていただけの銃を奪い返される。
「悪いなぼうず。うまく“忘れろ”よ」
 そう言って去っていた男の背中を、京はただ震えながら見送るしかなかった。何もかもが怖かった。怜奈によく似た目の前の死体、世界がよく認識できないポンコツの自分、レジ袋の摩擦音、男の革靴の軽快な足音。
 この内容は当時本社勤務で「プリズム狩り」事件を担当していた金熊に語られることになる。そして京のデスクにある黒いファイルへ、文書として──確固たる記録として──残されることになる。セイバーズとしてセイブ業務に当たる一方で、京は暇を見つけては「プリズム狩り」や怜奈の事件について独自に調べを進めて行った。金熊はそれを黙認してくれたし、権限が足りない時は乙女と共にフォローもしてくれた。始業前には「プリズム狩り」の被害者家族の元を周り、事細かに情報を集めた。更に、管轄内において届けのあるプリズムスプラウトに関しては情報を把握し「狩り」の防止に努めた。


 バスは目的地のすぐ付近を走行している。京は決して良くはない気分のまま、懐から小さく折りたたんだ書類を取り出した。乙女が昨夜襲撃される前にくれた「許可証」である。スプラウト保養・研究所の敷地内にある特別遺体安置所に入るために必要な手続き書であった。
 バスが終点であることを告げ停車する。浮かない顔の乗客たちが、足取りも重くここで全員降車した。京も例外ではない。施設の入り口は刑務所の壁のような高い堀と黒い門で外界からの接触を拒んでいるように見える。その門の横に、許可証を確認するための詰め所がある。その中でのんびり読書に更けこんでいた老人が、京に気づいて眉を上げた。
「お、来たなぁ。随分御無沙汰だったじゃあないか。あんたんとこの、ほら、相方が代理申請してくれたろ?」
 葬列のような他の入館者たちをテキパキと中に通しながら、老人は京に親しみのこもった笑みを送った。
「ここんとこ忙しくてね。何度も言うけど、あいつはもうバディじゃないの」
二人の話の中心は無論乙女のことだ。
「お前さんがうだつがあがらんから捨てられたんだろう? いい女なのになぁ……勿体ねぇ。そうだ、そういやあの子撃たれたんだって? ったくもう、物騒な世の中になったもんだな」
「じいさんそういう情報だけは早いんだな。退館時間までには出るけど、バス来たら引きとめといてよ」
「現金だねぇ。ま、久しぶりなんだからゆっくり話していきな。そっちに入るのはお前さんくらいのもんだから」

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