SAVE: 11 浦島介に関する例の事件

─Part.2─


 京は曖昧な笑みを返して門をくぐった。先に入館していた人々は皆、保養施設の方へ小高い丘を登っていくようだ。アイのリバイバル治療を行ったスプラウトや、その手術待ちのスプラウトがここには収容されている。スプラウトセイバーズにおけるセイブ業務の終着点がこの場所であった。そしてセイブできなかったスプラウト、とりわけ特殊な事件に巻き込まれ生涯を閉じたスプラウトの遺体が安置されているのが京の目の前にあるドーム状の施設である。
 ここに来るのは一年ぶり、去年のクリスマス以来だ。
「試験管の中で生まれて、死んだあとまで試験管に入らなくちゃならないなんてな……」
 遺体は皆、瞼を閉じ胸の中心で手を組み眠っているように「展示」されている。何度か訪れるうちにこの異様な光景にも慣れてはきた。初めて入ったときは、その後三日は食事がのどを通らなかった。ここにいる彼らはもはや本当に人形でしかない。閉じた瞼の奥に、命と呼ばれるものはない。スプラウトセイバーズの無力の象徴が、この施設だった。
 一歩一歩、自分の足元だけを見て歩を進める。必要なところにに辿り着いた時点で顔を上げれば良い。怜奈の遺体がある場所までの道はもう覚えていたし、幸い足元のプレートに氏名とアイナンバーが刻まれてある。
「新堂、怜奈」
 その名を口にするのは、一年ぶりどころではなかったように思う。おもむろに顔を上げカプセルの中へ視線を送った。刹那、京はその眼を大きく見開いた。
「な……! どういうことだよ……!」
安置カプセルの中に怜奈がいない。遺体がないのだ。京は足もとのプレートを今一度確認した。怜奈の名前とアイナンバーが確かに刻まれている、間違いない。全身の毛が逆立った。今まで意図的に見ないようにしていた周囲のカプセルに視線を配る。プレートに名が刻まれていながら中身の無いカプセルが周囲だけで4、5機ある。
「なんだこれ……どうなってる」
 心臓などないはずの胸がざわつく。これを胸騒ぎというのか、だとしたら随分はっきりした預言システムだ。京は大股で出口に向かい、携帯電話の蓋をはじいた。ばらばらだった点同士があり得ない線で一本につながろうとしている。それを悠長に否定している暇はもうなかった。考えながら動くしかない。同じ轍は絶対に踏まないと、セイバーズバッジを胸につけた日に誓ったはずだ。
 コール先が応答しない。二つともだ。舌打ちをしながら金熊の携帯にかけ直した。こちらはいつもの調子でワンコールで応答する。
「課長! シンと小雪、今どこですか!」
ほとんど喧嘩腰に、血管がはちきれんばかりに通話口に向かって叫んだ。


 シンは車内で、自分が金熊から得た情報の大半を小雪に話した。京の追っている黒いファイルの事件、その被害者であり今回加害者であると見られている新堂怜奈、そしておそらくその両方で暗躍しているであろう「ウルフ」と呼ばれる男について。腑に落ちない点はいくつかあるはずだ、しかし動揺が今はそれを上回る。シンが「見つける」と言った女性は、スプラウトセイバーズ浦島京介のルーツとも言える存在だ。それをこんな形で他人から聞かされる状況に、彼女は対応しきれていない。罪悪感と焦燥が同時に心中を駆け巡っていた。
 シンはハンドルを握りながら、小雪とは別の罪悪感に少しだけ胸を痛めていた。彼は金熊から得た情報の大半を話した。つまり話していない部分が存在する。それはシン自信が金熊に提案したことでもあった。
 新堂怜奈を警察よりも先に見つけ、ブレイクスプラウトとして保護することが第一だ。そのために今ある情報だけで闇雲に聞きこみを行ったところで、対象が尻尾を出すとも思えなかった。だから小雪を囮にする。敢えて晒して、その上で守る。
「降りよう、小雪さん。もう少し行った先に空き屋が並んでるところがあるって、みちるさんが言ってた」
 勝山大橋──弁当屋の娘、津留沙織の遺体発見現場。その土手の脇に社用車を停めた。土手沿いに少し進むと、みちる情報の通り民家が減り、工事車両だとか資材置き場だとかが目立つようになり、ちらほらと古い空き屋が眼に入る。勝山トンネルと名を冠した短いトンネルが眼前でぽっかり口を開けていた。これも随分古いようで、100メートル程の全長に対して蛍光灯が5つ。歩道は整備されているものの人が歩いて通り抜けるには適していないつくりだった。
「……シンくん。正直に答えてほしいんだけど」
「え?」
「私を囮に使ってるよね?」
小雪の言葉には確信があった。だから思わずシンは息をのんでしまう。それは肯定しているも同然だ。小雪は突然明かされた事実に混乱しているようでいて、なかなか客観的に分析をしていたらしい。シンは観念して小さく返事をした。小雪はとりわけ気分を害してる風でもない。
「ねえ、もしそれが思いのほかうまくいっているとして……接触が避けられないくらいにターゲットが近くにいて、凶器が飛び道具だった場合。私たち、どうすべき?」
小雪の声に緊張が混ざっていた。単なる例えばなしではない。トンネル内に響く足音は明らかに一人分多かった。そしてそれをもはや隠そうともしていない。様々な音がよく響くトンネル内、銃のコッキング音などは異質さも相まって一層際立った。
「小雪さん!」
 弾道が全く予測できなかったから、ひとまずセオリー通りに態勢を低く保った。反響する銃声と薬莢の音、背後から撃たれたということくらいしか状況理解が追い付かない。
「走って!」
小雪の背を押して、シンは後ろ向きに走った。人影がある、ただこの暗闇の中手ぶらで応戦することだけは避けたい。たかが100メートルだ、16秒強あれば日の元に出られる。
(ちょっとあさはかだったかな……!)
ただその後のプランが絶望的だ。丸腰の状態で拳銃をぶっ放す犯人とどう対峙すれば良いのか、先刻の小雪の質問はこれにつきる。
 パァァン! パァァン! ──連続して放たれた二発の銃弾、その音はシンと小雪に絡みつくように長く執拗にこだました。当たるはずはないとタカをくくった。視界が悪いのは相手も同じはずだ。小雪を押し出すようにトンネルから脱出すると、シンはその場でブレーキをかけて応戦態勢をとった。
「シンくん! それ無茶!」
自分でもそう思う。客観的で冷静な正しい判断をするなら、今は逃走して身の安全を確保すべきである。そして自分はその判断ができるタイプだ。にも関わらずそうしないのは、これを逃せば、自分たちが彼女をセイブする機会は永久に失われるかもしれないという危惧があったからだ。
「やんなっちゃうなぁ、ほんと……。こういうのキャラじゃないんだけど……っ」
自らの行動と状況に、そしてスプラウトセイバーズとして新堂怜奈を救いたいという、ぶれない感情に自嘲して苦笑いしてしまう。近づいてくる間隔の短い足音に身構えた。
「小雪さんはカンパニーに連絡入れて! 僕が止める!」
 暮れる前の最後の足掻きとばかりに、西日が悪意を持って世界を赤く照らしていた。そのおぞましいほどに明るい場所へ、暗闇の淵から女が一人飛び出してきた。二丁の銃をそれぞれの手に握りしめて。
 シンの表情が一瞬で凍りつく。しかしそれも束の間のことだ、二丁共に照準がシンを無視して小雪に合わされる。掲げられた両の腕の隙間に、体当たりすることくらいは造作もなかった。但し、そこからだ。
「シンくん!!」
小雪が悲鳴のように呼ぶ。それとほぼ同時に乾いた銃声が二発。銃弾はいずれも明後日の方向へ旅立っていった。安堵している余裕は無い。このブレイクスプラウトが撃ち抜こうとしているのは、頭でも心臓でもない。相手がスプラウトかどうかも関係ない。彼女はそれが使命であるかのように──それだけを命じられたパペットであるかのように──目の前にいる者のアイを撃ち抜こうとしていた。そんな切迫した状況で、もうひとつ気付いたことがある。
(何だよこのアイ……!)
 美しく濁る、輝きながら穢れる、虹色の光彩を放ち漆黒に染まる。全ての矛盾を体現しているようなアイだった。濁りは生き物のように蠢く。怜奈自身はそれに苦痛も恐怖も感じていないようだった。能面のように決められた表情をつくっている。ブレイクじゃないのかもしれない──疑問もそれに対する結論も今は曖昧に済ませるしかない。組伏せた反動で、左手の銃を落とすことに成功した。

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